一の酉(鷲神社境内にて)
この活況ぶりが伝わるだろうか
今年も霜月(11月)の8、20の酉の日に、市が開催された。
暦ではいわゆる二の酉で、両日とも好天に恵まれ、不景気風の吹く最中、たいへんな賑わいでござった。
葛飾郡の花又の大明神から起こった酉の市も、新吉原の新の市になってから隆盛を極めたといわれている。祭神は天日鷲神 日本武尊。鷲神は天手力男神の息子で、弦という楽器を司っており、その弦の先に鷲が止まったので、ここから開運をもたらすと祀られるようになったそうな。
幼い頃、いまより広範囲の道路が通行止めになった。家のまん前の車道で寝そべることがとにかく嬉しかった。ロウ石で丸や四角を書いて、いろんな遊びに興じたものだ。大きな熊手や湯気を立てた頭芋を手に、道をゆく人々の顔もホクホクして温かかった。
会社帰りの遅い時刻(酉の市は深夜0時まで)でも人の波は途切れない。
通勤の自転車を降り、長國寺に向かうと、長蛇の列である。
その波に流されるように、逆らうように掻き分けて進むと鷲神社の社がみえた。
運を掻っ込もうと、でっかい熊手が我が物顔に往来する。
其角が詠む、「春をまつことのはじめや酉の市」。
八つ頭の芋は縁起もの。
かつての下谷田圃に、あわもち、切山椒と並んで、どれも霜月の市の風物詩だ。
中央図書館にある熊手、森下みの家にある熊手もでっかいが、さすが本家本元、鷲神社正面にかけられた熊手の巨大さは度肝を抜く。
鷲神社の巨大熊手
福福しいお多福顔が、日本の美。忘れちゃ困る江戸の粋。
鷲神社そばの記念館では、一葉祭りが開催中である。
観音裏の一葉桜には、一斉にイルミネーションが輝き、スカイツリーと競演している。
もう一つ、昨日弊社刊U字工事の刊行記念のサイン会があった浅草東武ビル(松屋上)の屋上に、お神輿が飾られている。ここでも、スカイツリーと2ショットするチャンスですぞ。
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二の酉(巣鴨大鳥神社)
二の酉は、昼の散歩と会社帰りに巣鴨の大鳥神社に寄ってみた。
普段、ひっそりと佇む社だが、この日ばかりは、ご近所さんで賑わっていた。
旬を感じることの大切さを、まだまだ日本人は持っている。
大鳥神社(夜)
秋田肉巻きりたんぽの屋台
珍しかったので、パチリ。秋田名物のB級グルメ。
屋台を冷やかす笑顔が、人の心を明るくさせる。
鷲大明神も、きっとどこかで弦を奏でていらっしゃることだろう。
おいらはせいぜい言葉を選んで、書物で闇を照らすことができたらと思う。紡いだ文章に鷲が止まるかどうかは、この先の精進にかかっている。
毎度のこと。やるしかないのだ。やるしか。
今年も残すは、師走、浅草の羽子板市
12月17、18、19日に開催される予定。
しめか、飾りか、橙か、雑器に、木鉢に、摺子木に、火打ち石や、火打鎌、五徳…。
江戸の正月前は大忙し、いまの比でなかったはず。心ばかりが急いて、いっこうに身の回りが片付かない。ご先祖さまが見たら、さぞ嘆くことであろう。
穏やかなる正月を迎えるべく、師走の準備に取り掛かりたい
「江戸の市愚痴を売っては売れ残り」 海光
全線通行止め 海の上
2012年10月21日(日)のこと
初めて、TOKYO BAYを横断するアクアラインの上を走った。
千葉県知事森田健作氏の肝いりのマラソン大会だ。
なんといっても、暑かった。スタート時で23.5℃。ハーフポイントを過ぎる昼頃には、26℃を記録した。この時期の気温としては異例であろう。
毎年潮干狩りにくる木更津の海浜公園が会場。
第1回ちばアクアラインマラソン大会に、じつに1万4000人が参加したそうだ。
10時、号砲が鳴ってスタートした。
木更津 号砲直後
千葉真子さんや森田知事の立つスタート地点
はるばる尼崎から来た同窓と、東京から一緒に着いた友人と3人での参加だ。
同窓のかみさんとご家族の大応援団に見送られ、元気に出発する。
8キロ過ぎ、ようやくアクアラインが見えてくる。
高速料金所
普段はまず脚で走ることができない、アクアラインの高速料金所をETCもなしに潜る。
何とも言えない快感だ。
雲ひとつない、スカイブルー一色だ。
ハーフまで尼崎の友とランデブー。マラソンを走ってこんな楽しい経験は初めてだ。
お互いに写真を撮りあい、語りながら、海の上を抜ける潮風を胸いっぱい吸い込む。
なんて気持ちいいんだろう。
洋上には、たくさんのヘリが飛び交う。
TBSやNHKの特番が組まれるみたいだ。
秋なのに、汗が吹き出す気候を除けば、快走といっていい、ハーフまでのRUN。
ダラダラと続く上りのアクアラインに罠があった。海ほたる前の急な下り。抑えたつもりだが、膝を痛めるには十分の急角度。
アクアラインを降りるあたりでちょうどハーフライン。ここまでは快調だったのだ。
膝のバネが飛んでしまった。苦しいレースが始まった。マラソンを走って初めてというくらいの辛さがあと半分つづく。
赤飯のおにぎりやら、地元の冷凍ブルーベリーの給食と、沿道の声援だけが支えだった。
サブフォーどころか、サブファイブも危うかった。
その分達成感は高かったが……。
大会当日に日本陸上競技連盟の公式計測員が計測した結果、42.195kmよりも22.78m長い42.21778kmだったというオチも加わった。
通常、市民マラソンは90%以上の完走率。このアクアラインマラソンは、74%だという。
各所にある救護室は満杯で、氷も足りていなかった。それだけ、おいらと同じく、膝を痛め、熱中症になるランナーが多かったことを物語っている。
ほとんどのランナーが、自己記録を大幅に後退したという。
おいらも、友人たちも屈辱的な記録になったが、3人ともともかく完走した。
ゴール直後は、ビールすら飲みたくなかった。ひたすら水だけを欲する。
だから、東京駅で飲んだビールは最高の味。
一緒に走ってくれた、友2人。ありがとう。
声援してくれた友人ご家族に感謝、沿道の声援に感謝である。
今度の週末は、2012年の締めくくりのレースが待っている。だけど、まったくの練習不足だ。酒のためのRUN、創作のためのRUNなのだ。致し方あるまい。
とにかく、横須賀の海軍カレーとビールを楽しみにしている。
いろんな意味で、走り続けるしかないなという、今日のこの頃である
「海ほたるカモメになっていわし丼」 海光
足立の花火
「原っぱに寝転びみゆる薄かな」
海光
今年も荒川に花火が上がった。足立の花火だ。
区政80周年という節目の行事に合わせて、秋の開催となった。昨年は東日本大震災でやはり秋の花火だった。
花火といえば、夏の風物詩として定着している。お金がなくても愉しめるから、都心でも人気のイベントである。だから、各地の集客にも力が入るというわけだ。
この足立の花火。10年前に荒川の畔で観たときは、とても都心から程近い場所とは思えない素朴さがあった。景気の悪さか、ここのとこ人手が凄かった。
で、この秘密の場所。程よい距離感で花火がが愉しめるのだ。秋の開催は2年連続。競争率がない秋だからか、場所が知られたからか。結構な人が出ていた。
それでも、のんびりしたもんだ。
夜景モード、カメラがぶれて造形が面白く撮れた。
河川敷が広いから、隅田川の花火より大きく、派手な彩りも見える。
昼間みた鰯雲が一転して、夜空に光輪の華が咲く。
秋の風に、ビールの酔いが心地良い。
低気圧がきている証拠。明日は雨かな。
北十間川にかかる枕橋を渡る。
相変わらず、ここから川に反射してみえるツリーの照明は色っぽい。
地元が集う居酒屋はアニマルさんの行きつけでもある。
花見のときは大勢でお邪魔できるキャパがうれしい。とはいえ、チェーンにはないオリジナル料理が美味しい。しかも安いときちゃ、ねえ。
必ず頼む餃子鍋は、〆のラーメンがうまい。
子供たちも大人も愉しんだ秋の花火。
結局飲み食いするのが目的なんだな。ちがう(笑)。心が打ち解ける仲間の笑顔に会いたいのだ。
やることが多くて、何から手をつけたものやら。
とにかく走るんだ。やるしかないんだ。
って、ホントに走ったアクアラインマラソンのご報告は次号以降へ。
浅草寺境内
おいらの通勤路に、浅草寺がある
有名無名の寺町である台東区は駅に着くまで浅草寺はじめ、東本願寺やら先に紹介した曹源寺もある。ひとつ一つの歴史を紐解くと、それで一話の短編ができてしまうだろう。まさに小説のネタの宝庫。
一年中なにかしらの祭りやらイベントが行われる地元だけに、すべてに参加することは不可能とも云える。
疲弊した勤め帰りに、浅草寺のライトアップは誠に癒されるのだが、この日は境内中に燈篭が灯っていた。
地上からは燈篭、空からは五重塔とスカイツリーの点燈。
数え切れない無数の灯りを抜けていく夜風が優しい。
紫式部の一節が目にはいった。古典から現代アートまで、実に様々な絵柄が石畳やら玉砂利を照らしている。
幻想的な灯り。映画のワンシーンに飛び込んだようだ。
外国人や、若い女性、親子連れが、手に手にシャッターを切っている。
こうして形に残す、記録に残すことも大切だが、何より心に焼き付けることがそのまま豊かな感性となって、文学や芸術の素養につながるのじゃないか。
ほんのりした灯りが、疲弊し消耗したすべての大和人に届くといいな。
そんな希望のために、昨日も今日も明日もある。
来週はいよいよ第一回目のちばアクアラインマラソン。準備はOK!TBSで放映もあるみたい。
その翌週はわが同人恒例の秋の季節風大会。本郷で文学漬けなのだ。
インドア、アウトドアやることは一見違えど、行動するモチベーションはまだある。
天高く、刷毛で掃いたような雲が流れ、爽快な秋風が吹いている。
不惑にして風に逆らうことなく上昇下降と、流れてきた。これからもきっと。
今宵は足立の花火なのだ。来週からは酒抜き修行。
さて、と、参りますか
「川面ゆくランナーたちのイワシ雲」
海光
空とぶイカ君
先の三連休のこと
昨年も見たなあ。空とぶイカ君。
くるくる回るイカが人を集めていた。スルメってつまみにいいけど、買うと高いもんね。
試食に並ぶ人の列がつづく。
地元主催のかっぱ橋道具まつりにいってきた。いってきたっていっても、ついでに通っただけだけど、通勤時の山手線のように人が溢れかえっていた。
聞けば、合羽橋も100周年だそう。歴史があるのね。
料理好き、キッチンウェア好きにはたまらないイベント。包丁からカフェツール、机に椅子、看板、料理サンプルまでなんでもござれの目玉商品が店々に並んでいた。祝日に開くことがない問屋街。それぞれの品が通常の○○%オフなんてここでは言えないよ。
だけど地元民としては、込みすぎて、たとえ目玉でなくともゆっくり吟味したいもの。また来るのだ。
かっぱと言えば、同人のお仲間が河童の会なるもので集っている。拙作みの吉の貝独楽でご紹介したかっぱ寺こと、曹源寺を訪ねるツアーなるものが来月あるらしい。恐れながら拙者も呼んでいただいた。お邪魔だろうが、もうお邪魔すると返事した。ご覧の中央図書館に鎮座する池波正太郎大先生の執筆時のデスクなぞ見ながら、散策し、旨いつまみ片手に飲もうという算段。
埋め立てられてしまった新堀川を越えて、いざ、寅さんも食ったかもしれない、どぜうを食いましょう。
なぜかは判らんが、慶応の応援団とチアリーディングが合羽橋通りを練り歩いていた。観客はその他大勢。酔っぱらいも多いが、カップルやおばあちゃんなども多い。物珍しさにか、無料配布の河童饅頭に吊られてか。馴染みの曲は打倒早稲田。同人のK君が見たらなんと言うだろう。就職はできたのだろうか、いらぬお世話が頭に浮かぶ。
小学校で応援団を張る二男が見入っていた。本物の応援団。花の応援団。思ったより声が小さいと注文をつけていて、可笑しい。チアリーディングの女子のほうが元気がいい。いずこも女子のパワーに押されている昨今。せめて、創作では負けたくないなあ(笑)。誰ですかい、ムリだなんて。
ブログの更新も覚束ない今日この頃。
文学に集中したい。
月末の本郷が待ち遠しい。
ボロボロに叩かれてこその合評だ。どんなことを言われても男の子、泣かないぞ。限られた人生、いい生き様をしようではないか。
若い人のエネルギーをもらって、合羽橋を後にした。(完全にオッサン発言だな!)
熱燗より、まだまだ冷やの夕暮れなり
「秋のない時代を生きる下町っ子」
海光
「北海のしずくもてなす兄の腕」
海光
夏真っ盛りの8月初旬。大兄に御呼ばれしてノコノコと出掛けていった
仕事後の合流だけに遅れての登場。すでに揃った酒豪が含み笑って迎えてくれる。
北海から空輸したホタテをシンプルに焼く。
生で牡蠣を食す。
ご実家が魚を扱っていたという編集の大先輩ならではの料理は、まさに素材を活かしたプロ顔負けの味がふんだんだった。
長月に入っても、連日30度を越す暑さ。真夏に御呼ばれしてホイホイ来たはいいもんの、こんなご馳走に合うとは長生きしてみるもんだ。
谷中生姜に、塩辛が乗った奴、面取りした手の込んだ煮物に、甘い北海のミルクがたっぷりのアワビ。牡丹海老。これでもかという食材が次から次へと。頭も、目も、興味も、会話も追いつかねえなあ。
まったく、個人宅にお邪魔してこんな馳走ははじめてだ。
さすが呑んべの先輩、呑み助の勘所をわかっていらっしゃる。
贅沢すぎてどこへ入ったかわからん食い物が、自然集まった同志の笑顔を誘う。
なんて、豊穣な空間であり、時間なんだろう。
特別純米の銘、「國稀」を初めて口にした。
甘い辛いじゃない。ベタつかない酒は呑んべにはたまらないのだ。
野卑のなかにある洗練が、舌を越えて食道を舐め、臓腑に届く。
「酒は純米に限る!」とつぶやく、大兄に酒を注ぐ。
(まったくその通り!)と心で頷くのだ。
少し小さめだが、神宮の花火が見えた。
音と光。こんな距離からの鑑賞もまた美味なり。
話が咲いて、ほとんど観ていない同志もまた、人生の花火を咲かせた人物なのだ。
恐れ多いことに、ご伴侶様が築地で仕入れた唐揚げと旬の茄子びたしのつまみを追加で饗してくれた。
こんな至れり尽くせりは、もはや家庭料理の域を越えている。
エビスに、純米、焼酎に、ハイボール。
つまみも尽きないけれど、話も尽きない。
なんと水分補給とばかり、白桃と冷凍したブルーベリーが舌を洗ってくれた。
大兄、奥さま、ホントご馳走さまでした。
何よりおもてなしてくれるその心の懐の深さに感涙するのだ。
最後は終電を言い訳に、片付けもせずに飛び出した。
太陽に咆えろのごとく、商店街を走り抜けて、ギリギリ間に合った。
暑さが続くことを言い訳に、真夏の饗宴をご紹介した。
下品だが、ご馳走ももてなしもその最上級に満足のゲップ!!でござる
平川壕より北桔橋門の眺望
「悠々と急げ秋風脚と筆」
海光
9月9日大安の日曜日
当たっちまった「第1回ちばアクアラインマラソン大会」まで一ヶ月とちょっと。そろそろ30km走or3時間走をしておかないと走れねえべ、ってことで皇居RUNしてきた。
6時台の気温はほどほど、風はそよそよと優しく涼しげ。秋のランニングって気持ちいい。
目の覚めるようなスカイブルーの空に、秋と夏の雲がせめぎ合ってる感じ。
浅草から往復約90分。皇居3周して90分。ほどよい3時間走のはずだった。
大手門からスタート。竹橋を通って、登りがつづく。
だが次第にもくもくとせり上がる高気圧前線の入道雲。
千鳥ヶ淵を左手にかすめると、元気な夏の日差しを遮るものはない。半蔵門から桜田門、内堀通りは地獄の熱射だった。3周の周回のうち、半分以上がこの状態。いや、バテます。
折りしも残暑キツかった。まだ夏は終ってないってこと。
それでもどうにかこうにか走った。
半蔵門で5分休憩して、自作のお握りを頬張った。塩だけで漬けた特大の梅干が効いた。
とりあえず、トレーニングは終了。
シャワーの後は、牛乳をがぶがぶと飲む。これがスタミナ増強にいいらしい。なんてったって、牛さんの血そのものですから。
暑過ぎて、熱すぎる。
炎天下を3時間走るとさすがにビールなんて受け付けず、ガリガリ君が最高に旨いのだ!
赤城乳業さん、素敵なアイスをありがとう。売れすぎて発売中止になったコーンポタージュ味を、昨晩息子が走り回ったらしい。
下町っ子祭り
少し昼寝。エアコンを入れない我が家の気温は33度に上がった。
扇風機を掃除したり、網戸の埃を取ってみたら、少しだけ風が抜けた。
でも気休めだな(笑)。
息子たちがリバーサイドで行われている「下町っ子祭り」に行くという。後から行ってみたら、入道雲と一緒に生えたスカイツリーより上に雲はなし。
直射日光の中で、和太鼓が響き渡っていた。
ところ天、浅草橋バーガー、ホットドッグなどことごとく売り切れていた。
ラムネとかき氷が最高に旨そうだ。
射的に、ベエ独楽、竹馬なんて懐かしい。
子供たちは先にホットドッグに、クレープもゲットした模様。
おいらは先に帰り、エアコンを入れてこいつを書いている。
肝心のものはどうしたって?
そいつは今思案中!?
お客さん、野暮は云いっこなしでさ~
桜橋わんぱくトライアスロン
スタートを待つちびっこ選手たち
8月も押し迫る週末、隅田川の畔では、小学生を対象にした、「桜橋わんぱくトライアスロン」が行われた
毎年の恒例ながら、友達や姪っ子を応援するも、わが子は出場しなかった。
だって、本人が「イヤだ」というのだから仕方がない。
自分の子でなくても、懸命に健気に泳ぎ、走る姿には感動を覚える。
小学生最後、6年生になって、わが愚息、どうにか(ほぼ無理やり)初出場を果たした。
さながらちびっこオリンピック開幕式か
順々に貸切状態の隅田プールへ
まずは、SWIM。とりあえず、幼稚園から四年生まで続けて一通りは泳げる。サッカークラブに入ることを条件に、スイミングは止めたが、まあ100mはたいしたことないだろう。
この日も気温はグングン上昇しっぱなし。オイラも入りたいよ、まったく…。
学校、サッカークラブの友達も大勢参加していたから、待っている間は楽しそうだった。
泳ぐ前は、やっぱり緊張したのかな?
はだしで靴を履いたことがないと、ここでもたついて10人には抜かれた。
まあ、出場しただけえらい。完走が大切だ、と親バカなりにハラハラドキドキ。。
チャンリンコは得意のはず。友達からも、チャリだけは、適わないと太鼓判。
はてさて。
待てど暮らせど、いっこうに現れない。
流しやがったな、やつめ!
まあ、でも、どうにか親と兄ちゃんと友達が声援を送る中、目の前では格好つけていた様子だが……。
30度を超える猛暑。まあ、オイラも走るので、暑さがキツイのはよくわかる。
よく走ったな。
この走った後の水浴びが気持ち良さそう。
5月の鹿沼を走った時も、沿道のおじいちゃんがホースで水をかけてくれた。
何よりの給水なのだ。
終ってみれば、見事完走。
記録を狙うと、走り自体が嫌いになる。オイラ自身が体験済み。
マイペースで走り続けることが肝なのだ。人生も同じ。自分は自分。他人は他人。うらやんだり、妬んだりしたも、自分のプラスにはならない。
自分だけのペースでコツコツ、歩き、走ることが大切なんだ。
ご褒美の肉汁たっぷり肉まんを頬張ってる子供たち、この経験がいつか糧になることを願う。
若者のスポーツには、中高年を元気にする源がある。
わが友人が、LINE上でつぶやいた。
俺たちも、いつかトライアスロン走ろうぜ!
いつかって、もう不惑も半ばなんですけど……。
そんな野望を抱く、夏休みの終盤でござる
「夏休み泳ぎ走って光り体」
海光
佃島渡舟碑
「佃煮の匂いにつられ夏渡し」
海光
現在の新富町を隅田川へ向かうと、佃島の渡船址が見られる
佃大橋の架かる戦後まで、この渡船場は活躍していた。おいらの産まれるちょいと前のことだと思うと、都電とともに去りゆく歴史に触れられなかったのがじつに残念である。
さて、渡船に乗った気分で大橋を渡ると摂津国佃村の30余名の漁師たちがこさえた佃島、長谷川平蔵が人足寄場をこさえた石川島がみえる。もんじゃタウンの月島もすぐそこだ。
水辺の町らしく、掘割には今でもたくさんの漁船が停泊している。
腐らないようにと、祭りで使う大幟の柱が埋められている。幕府の許可を得てというから、歴史を感じますな。
佃小橋から掘割を眺めると、佃島の高層ビル群がそびえている。
埋め立ての地によくぞと、下町育ちのあっしなどは心配してしまう。
そんな近代的な建物とは対照的に、佃、月島界隈には、古い住居や小粋な路地裏が無数に存在する。
子供たちが大好きな細い道。大人になったあっしでもわくわくしてしまう。あの向こうになにかある。路地にはその想像力を養う力があるように思う。
戦後の移ろいは激しいが、古来を残すこともまた必要なのかもしれない。
高層ビルに囲まれても、下町の路地だけはなくなりませんように、と住吉大明神に願った。
昭和に入り、漁師たちが建てたご立派な鰹の石碑。
太古から海で生計をたててきた漁師たちは、自然への畏怖を忘れないでいる。
科学でも解明できない自然界の力。自然を人間の手で押さえようとする考えのなんと愚かなことか。
自然を前に、謙虚でいること。
今の時代にも云える至上命題だろう。
佃島界隈にあった井戸。
埋立て、海辺町のこの水は生活用水だったのかな。
ご存じのように、関東醤油を甘辛く煮詰めた佃煮は、この地が発祥。
天安は老舗の佇まいが十分だ。
佃大橋を渡り、明石町に向かう。大川で一番新しい橋、中央大橋がみえる。平成5年に新川とリバータウン21を結ぶ橋として渡された。
この眺めの右に見えるのが、石川島だ。
外国人居留地の名残の煉瓦壁に沿いながら、勝鬨橋へ歩く。
全国の旬の魚が集まるB級居酒屋で、喉を潤そうということだ。
次回は、築地の隠れ食堂を紹介しよう
言問橋とツリー
夏晴れの日曜日のこと
珍しく揃った子供たちを映画館まで連れていった。
ちょうど言問橋を渡ると、川面に縦長のボートがたくさん浮いている。浮いているというか、5人編成で漕いでいる。
時折川風が吹いて気持ちいいとはいえ、炎天下のなか、さぞ暑かろう。なにしろ自転車を漕いでいるおいらが暑いのだから。
とはいえ、水面のが涼しいのかな。
ブルーシートとボート
桜橋と隅田川レガッタ
「大川や 流れにのって 涼む夕」
海光
ゆったりとたゆたう大川の流れに任せたり、逆らったり息を合わせる人々。
6歳から80歳まで、歳もバラエティー豊かに愉しんでいたようだ。
北十間川から源森橋を眺める
新しく書き下ろした作品の舞台である。
北十間川から、封建の時代では想像もしない天に向かって聳える東京スカイツリーの眺め。
その昔、小梅(こおめ)村、押上村といった江戸郊外の田園が広がっていた場所に立つ。
そこから、久しぶりにスカイツリーの真下からのショット。
往時は、もっと空が澄み渡っていただろうな。
ゆりかもめや雲雀が飛び交う景色が幻になってしまった。
それでも、この日は蒼い空と白い雲の対比に、平成の塔が映えていた。
新名所。江戸っ子も新しいものには目が無かった。
暑い夏、人々の列に、今もそれは変わりないのだな、と思った
日光尽くし
「権現のお宮訪ねて葉月旅」
海光
わが町では、夏休み中に修学旅行がある
これはおいらのじいちゃんが小学生の頃から変わらないようだ。
同人の開隆人さんが働く、日光市は浅草から今をときめく東武線のスカイライナーであっという間だ。江戸と日光は徳川さんの時代から親密な友好関係にあるようにおもう。
5年前の夏休みの終わりのこと。
長男とふたりで家にいた。突然泣き出すのだ。いじめに合ってるのだろうか、親の杞憂を他所に、語るにはこうだ。
こんな楽しいことは人生でもう二度とないかもしれない、そう思うと切なく悲しくなったというのだ。わが愚息ながら、その純真なこころを愛おしいと思った。
下の子も今年、さらに日焼けして帰ってきた。
たくさんの日光名物のお土産を抱えて…。
おいらには、葵の御紋が入ったお猪口。さすが酒呑みの子供である。えらい。
とにかく、事故の多い世の中。無事に帰ってきてまずはホッとした。
親の願いはシンプルだ。
サッカー合宿、リーグ戦、家族旅行ととかく夏は忙しい。
蒸し暑さと、五輪の熱さ、町中を賑わす蝉時雨に眠れない夏の宵がつづく。
大好きな夏、もっと、もっと愉しもう
「蝉の声 かき消すほどの 祈りかな」
海光
7月29日(日)。
国会議事堂をすっかりと取り囲む、国会大包囲があった。あっしも回ったが、人の輪が途切れることなく、延々と続いた。
キャンドルに、ペンライト、思い思いのメッセージを書いた灯りを手に、これまで大人しかった民衆が立ち上がったのだ。
今夜も官邸前、各省庁前に、市井の民の祈りが集まることだろう。
熱中症も続出する猛暑のなか、これだけ継続的に、忍耐的に祈り続けることはただひとつ。
日本の未来を自分たちで守ろう、子供たちに安心して暮らしていける国にしよう、それだけだ。
主催者発表、警察関係者発表、(残念ながらマスコミ独自に調べた数はない)どれでもいい。
この数万人に及ぶ市民活動は、本気だということはたしかだ。
首相をはじめとする偽政者、官僚、経済界、マスコミも心したほうがいいと思う。
この数万の背景には、無数の民の意思があるのだ。
国民は本気だ。
「水浴びて まだかまだかと 空あおぎ」
海光
7月28日(土)午後6時を過ぎた頃、花火大会を知らせる号砲が鳴った
享保17年(1732年)大飢饉、疫病とたくさんの方が犠牲になった歴史がある。
ときの将軍第8代吉宗が、慰霊と疫病退散を祈り、水神祭を行う。その際に、両国橋の料亭が公許を得て花火を上げたのがはじまりとされる。
その名残で、昭和36年まで「両国の川開き」と呼ばれ親しまれていたようだ。交通事情から翌年には中止になる。この時に5尺玉の歴史も幕を閉じた。
場所が両国から上流の桜橋、駒形橋の2ケ所に移して復活したのが昭和53年。
そう、現在の「隅田川花火大会」のはじまりだ。
物心ついた10歳のことである。
すみだ花火とスカイツリーの初競演
音楽業界で活躍するいとこが遊びにくるという。
エアコンも入れず、大量の汗を流して、大きな中華鍋を振るった。
部屋の温度が36度を記録する。家族もよくぞ我慢して片付けをしたものだ。
暑い夏、冷えたビールに合うものはなにか。
激辛麻婆豆腐。ひき肉を使わずロース肉を包丁で刻むひと手間が味を深くする。花山椒をすり鉢で擦ってできあがり。
生で食えるヤリイカをたっぷり、ニンニクと唐辛子でじっくりと炒める。決め手はナンプラー。タイ風炊き込みご飯は、これまた夏にぴったり。
オイスターを効かせた塩やきそばに、ハチミツで寝かせたローストポーク。
家族みんなで水浴びして、やっとエアコンをON!
あ~、やっぱりビールが旨い!
クライマックスの大迫力
下町に花火が咲く。
小さい頃から、夏の風物詩として、火照った心を優しくしてくれる。
朝のランニングでは、猛暑のなか、場所取りをする若者が寝そべっていた姿をみた。
浴衣姿の男女もあちらこちら、団扇片手に涼しげだ。だけど、あっしは知っている。浴衣は見た目、回りは涼しいけど、当の本人は暑いったら暑いのだ。
こんな時に先日登った高尾山を思い出した。
山から下りてくる静謐な冷水に、足を浸らす優越。
正しい日本の夏が、閉塞した日本を救うかもしれないよ。
簾に、朝顔、江戸風鈴に、蚊取り線香。
季節の旬という大切なものを失くしてしまった我々は、ようやくそれに気付き始めたのかもしれない。
29日午後、国会を大包囲しようという。毎週金曜日のデモが発露だ。16日の大江健三郎氏の「個人の意思によって集まっている」という言葉の重さを偽政者に届けねば前に進まない。
昨日28日、日本版「緑の党」が結成した。直接民主主義を目指す彼らは、新たな出口を求める市井の民の受け皿となりうるのか。
終戦記念日を前に、脱原発の声が大きくなる。
封建の吉宗将軍は慰霊のために水神祭を行い花火を許可した。民を思いやる政治だ。
現代の首相は犠牲者を、民を忘れ、大飯原発を再稼動し、危険な買い物をする。
大量消費型の文明に疑問を抱き、経済成長を第一とする価値観を不安に思う。
前に進めるか否かではなく、前に進む言動がいまこそ求められている。
快楽に酔う、苦しみに喘ぐ、立ち止まるか、戻るか、それとも覚悟をもって進むか。
長く伸びた光りの塔と、丸く咲いた光りの輪を眺めながら考えた。
いろんな意味で、暑く、熱い夏がきたと云える
ミシュランガイドの☆ももらい、いまや関東屈指の観光地である、高尾山
1年ぶりに、仲間と日本一高い場所にあるというビアマウントに繰り込もうと行ってきた。
ただ飲むだけではつまならい。仲間たちは小仏バス停から目指す。
あっしは秋のアクアラインフルマラソンに向けて、高地トレーニング。高尾山口~陣馬山を往復し、高尾山頂で合流しようとひと足早くスタートした。
まずは、高尾山6号路びわ滝コースを遡上していく。水ッ気が好きなあっしはいつもこのルート。町の喧騒を離れ、標高があるといっても、この日は蒸した。
まるで、ミストサウナにいる中で、ダイエットトレランしているようだ。首筋から始まった汗の放出が、額、髪のなか、背中から腰、脚にかけて流れる。これぞ汗滝コース。
毒々しいキノコも、目に鮮やか。艶美な悪女といったところか。
釣られて食べた旅人は無残。季節遅れの山紫陽花や野花など、緑と土色のなかに、自然の彩色が見事な一例だ。
順調に登り、走り、辿りついたは景信山。
ここでハプニングが発生。一気に汗も止まり、やる気も止まる。
とにかく、どうにもならじと走りだすも、道で出会ったトレラン仲間の勘違いもあり、陣馬山に向かうはずが、小仏峠を下っていた。
登山サークル、ローゼンピークスの仲間たちとは、城山もしくは高尾山頂で待ち合わせする予定である。仕方なく、快調に飛ばした下り道を、逆に辿って登りなおす。
文明の機器を失い、道に迷っても、小仏、一丁平からみる峰峰は小憎らしいほど美しい。
遙か稜線に、スカイツリーまで眺められた。
人智を尽くした現代のバベルの塔は、ここでも人気ものだった。
一丁平
10名ほどの仲間と合流。通信手段のない中の奇跡。
思えば、人の勘と感ほど、不安定で確かなものはない。
山で吸った大気が、あっしの野生を呼び覚ましたものか。
まあ、会えてよかった。
仲間のひとりS氏が頑張って背負ってきたビールで、お握りを流し込む。
あ~、まさに山登りの醍醐味なのだ。
高尾山頂
1年前の雨の行軍とは打って変わって、ピーカンの高尾山頂は地獄の蒸し風呂。
それでも、三連休。小さい子供や外国人、カップルが軽装、重装備で賑やかだ。
薬王院で、昨年のお礼参り。
年末は初詣とご来光見たさに、寒さに打ち震えながら、たくさんの参拝客が訪れるという。
高尾山ビアマウント
「初蝉にノドが鳴るなり山ビール」
海光
日本一標高の高い山も、この日は暑かった。
暑いからこそ、飲み放題のハイネケンやハートランドがみるみる胃におさまっていく。
びしょ濡れのトレラン着を、わき道で汗を拭って着替えた。
ぷっふわぁぁ~~。精気が蘇る。
冷えた麦酒に、生き返るたぁこのことだ。
何杯飲んだかな。
眼下には、彼方に江戸がみえる。
思えば遠くへきたもんだ。
最後はケーブル組と、歩き下山派に別れて、駅で合流。
たいした怪我もなく、みな無事に登山と麦酒を愉しめた。
H隊長、誘ってくれてありがとう。
山中に潜む、憐れあっしのケータイはいずこ。
20ん年、ポケベルから始まって縛られてきた機械の小さな箱。
GPSでも探知できないのに、データにはガードができたという。なんという摩訶不思議。
しばらく、昭和に戻って、生活してみるのも悪くねえな。
ってことで、あっしのお知り合いの方がございましたら、どうぞケータイへのメール連絡はしばしお控えなすってくだせえまし。
ご不便、ご迷惑面目なく
今週9、10日はほおずき市
金龍山浅草寺に夏が来たのだ。
橙色の実が境内中で今宵は主役と輝いている。
毎月功徳日の10日だが、7月のこの日は「四万六千日」。
1日お参りするだけで、なんと四万六千日のご利益があるということだ。
仕舞いの早い浅草だが、この夜は22時まで煌々と照明が灯る。
お線香の煙がもくもくと焚かれる中、階段まで参拝者の列が続いていた。
祭り半纏のお兄さん、お姐さん、そして小さな売り子まで境内に威勢のいい声がコダマしている。
屋台も繁盛、六区も大盛況と景気が盛り返している。
行き交う人の笑顔に、心がゆるむ。
夏の縁日は汗ばむ胸を高まらせるね
本堂、五重塔、三社権現さま、ライトアップされた寺町の賑わいは華やかだ。
くぐつ師がついそこで演芸をしている錯覚を覚えるほど、夏祭りの幻影は江戸に住まう人々を魅了する。
2012年の皐月に完成した東京スカイツリーとほおずきのツーショット。
平成のほおずきもまたいいもんだ。
あと、2週間で浅草川に花火が咲く。
一番蝉の輪唱もきっともうすぐだな
「下駄の音鉢持つ袖のご縁かな」
海光