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週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

お祭り三昧!

2013年05月19日 | ★江戸っ子エッセイ★

  
          宝蔵門前にて

 お祭り日和である

 前週には神田の新調したお神輿が4年ぶりに練り歩いたとか。雨と翌日の潮干狩りで見学こそ断念したが、2011年当時を振り返ると、祭りこそ庶民の再生の源の一つであると思う。 

 金曜のびんざら舞から始まった三社祭。

 土曜はやること多しで、朝ランニングでカラダのスイッチを入れて戻ると、仕事のトラブルの連絡がジャンジャンと鳴っていた。結局、処理しているうちに、午前中も終わってしまい、いちばんの大神輿も担げず、夜の仲間のお祝い会の台本も手を入れられずという有様。

  
               浅草寺裏手 

 それでも、こうして午後から祭りに飛び込めば、そこは江戸っ子。血が再生する。

 連合渡御といって、44町会の大中小のお神輿が、浅草神社に順々と詣り、お祓いをする儀式なのだ。そう、大人神輿から子供神輿まで分け隔てなく、神様をお運びする神輿をお祓いする。

 
              浅草神社境内 

 威勢良く境内へ入る。

 担ぎながらなのでゆがんでいる。本社前でお神輿を掲げ持ちお祓いをうける。

 天気も上々。なんと晴れ晴れしいことか。

   
           本堂前の賑わい 

 権現さまを出ると、聖観世音菩薩さまのいらっしゃる浅草寺でお神輿をさす。

 天に向かって、神輿を腕一本で担ぎ上げ、担ぎ棒を叩くのである。

 大勢のひとの見守る中の渡御は、気持ちがいちだんと高揚する。

 この日夜神輿は息子に任せて新宿へ向かう。

 季節風の仲間のお祝い会だからだ。

 主賓のお一人、いとうさんのリクエストに応え、祭り半纏のまま大江戸線に飛び乗る。

 三社祭とは無縁の人々の視線を受けつつ一路NSビルへ。

   

 いとうみくさん、「糸子の体重計」児童文学者協会新人賞を受賞

   

 近江屋一朗さん、「スーパーミラクルかくれんぼ!」集英社みらい文庫大賞優秀賞を受賞

 近江屋さん、いとうさん、改めておめでとうございます。

 また、サプライズで、せいのあつこさん、「パン食い」児文協長編児童文学新人賞佳作を取られたということで、親分高橋秀雄さんから花束を祝辞を述べてもらった。

 おめでたつづきですな。

 それなのに、おいらは慣れぬ司会に台本を読んで心を落ち着かせていたが、同人の冷やかしを受けアドリブにしてみた瞬間、ご担当のお名前を間違える始末。とほほ。

 それでも、晴れやかで、おめでたい同人の顔を見て、花束に包まれた祝辞に耳を傾ければ、刺激を受けること多しでござる。

 祭り半纏をまとい、近江屋さん、いとうさんのロングセラーを祈願した。

 お二人とも、新作がつづくとか。祈願するまでもなかったかと、感心しきり。

  

 ここでこの夜は完全に電池切れ。二次会をドロンした。

   
            浅間神社前

 翌朝は比較的のんびりと過ごす。

 ここのところ、息つく暇がなかった。

 たまにはこういう時間がたとえ1時間でも必要なんだな。

 10時半から大人神輿を担ぎ、午後の本社神輿に備える。

 浅間神社と浅草警察署の前で、象三の半纏が勢ぞろいして待ち構えた。

 二之宮の頭は擬宝珠。そう天ぷらを脂を擬宝珠にこすりつけの、擬宝珠の形である。

 本物のお馬さんが登場し、地に響く熱気と人の怒声が飛び交うといよいよお出ましなのだ。

    
           本社神輿 二之宮 

 最初は押し合いへし合い、一つのケーキを取り合う様である。

 その殺到も、10分もすれば落ち着く。

 おいらもたっぷりと担がせていただきました。

 中学に上がったばかりの息子も、気合十分、何度もトライして友だちと本社神輿を見事担ぎ上げたのでござる。

 いつまでこうして息子と神輿が担げるものか。

  

 景気のいい、三本締めでことしも無事に渡御を終えたのだ。

 担ぎ手の皆さま、青年部の皆さま、ほんとうにお疲れさま。

 喧嘩もあった。

 三社権現さま、来年も担ぎます。

 どうぞよろしゅう


海だッ!潮干狩りだ!

2013年05月15日 | ★江戸っ子エッセイ★

   
             木更津の海

 どピーカンの日曜日

 木更津まで足を伸ばした。

 前日までの低気圧もなんのその。よくぞ晴れて暑くなってくれた。

 近来稀に見る皐月晴れに、心も浮き立つのである。

   
          みまち通り商店街

 木更津駅に降り立ったのは、昨年の第一回アクアラインフルマラソン以来のこと。

 干潮の10時を前に、野口情雨の詞で有名な證誠寺に向いて裏通りを歩くと、みまち通りに出る。

 さっそく、たぬき殿がお出迎えだ。

 
            塩浜公園前の漁港

 漁船が立ち並び、南国のやしの木が旅情をかりたててくれる。

 奥にみえるは、中ノ島だ。

   
             中の島大橋

 中の島大橋は、拙ブログでも何度か取り上げてきた。

 高さ27m、全長236mは、日本一の高さの橋だという。風も穏やかなこの日でも、頂上につくと強風に見舞われる。

 夕景には、富士山を望めることから恋人の聖地の異名もある。

 映画やドラマにもなった「木更津キャッツアイ」のロケ地としても有名で、男女がおんぶして渡ると、永遠の恋が叶うというから可愛い伝説ではないか。

 永遠の恋。こんな願望を持てる若さが羨ましくも、懐かしい。

   
            木更津海岸

 遠く、はやくも干潟になった潮干狩り場がみえる。

 この晴天、到着する10時過ぎの時点で、大賑わいだ。

 かつて江戸時代にも、対岸の品川では春の浅利狩りが季節の風物詩であったそうな。浮世絵に見る庶民の暮らしぶりに頬がゆるむものである。

   

 今年も出版健保組合の歩け歩けイベントにのっかってやってきた。

 熊手と網、タオルまで用意してくれる。

 潮干狩り好きとしては、これを利用しない手はない。

  
           中の島公園

 いやァ、大漁、大漁でござる。

 大粒揃いの貝がザクザク採れる。

 足掛け10年以上通っているが、こんなに愉快な漁はない。

 天候も幸いして、獲物を横目に、天然芝で飲むビールが格別なのだ。

  
         陸上自衛隊のヘリコプターの編隊

 昨今のきな臭い国際情勢の影響下、陸上自衛隊のヘリが頭上を飛び交い恐ろしいほどだ。

 そう思って、帰宅後調べたら、航空ショーが開催されていたらしい。

 会場ではファンから歓声があがったそうだが、模擬戦闘、機動飛行とはいえ、駐屯地のデモ飛行でさえ、素人目には不穏を感じる。

 沖縄や基地が日常にある人々の不安が計り知れないとおもった。

    
            内房線の車窓

 そんなことをツラツラと考えたり、史実の資料を読み耽る。

 限定の赤いホップに喉を潤しながら、今晩の潮出しと料理を想像する時間が貴重なのである。

  

 ハマグリは二個、あおやぎは三個、大粒の浅利はご覧通りの大漁でござる。

 一晩中、触覚を出して、ピューピューやってるアサリはかわいい。

 命をいただくからには、心していただこうとおもう。

 ボンゴレに、スンドゥブ、味噌汁に、潮汁、クラムチャウダーetc。

 白をキンキンに冷やしておこう。

 潮干狩りは、狩りから潮出し、料理と片付けまで、まさに男のスポーツなのである

 
 


浅草十二階

2013年05月06日 | ★江戸っ子エッセイ★

   
            白髭の鯉のぼり

 世はゴールデンウィークという

 三日、四日重なっただけで、ゴールデンとは日本人とは根っからの貧乏性なのだろう。

 もっとも、お江戸の頃は休日というものがほとんどなかった。 

 その代わり、陽が上り働き始めたらすぐに休憩、昼餉を取ったらすぐ御八つの時間と。お店ものんびりとしたもの。お武家も時計やスマホに振り回されることもなく、悠々と職をこなしたことであろう。

 生産者である農民だけは働き詰めだったということか。お百姓さんは昔から偉かったのだな。

 写真は、東白髭公園の350尾の鯉のぼりである。

 消防車も出張って、フリマも大賑わい。大川の向こうではこんなイベントもあるのだ。

  
          真崎稲荷の見える隅田土手

 四連休ということであるが、子供たちは連日のフットボール。

 遠方へ出掛けるでもなく、朝は大川土手を走った。

 日々座りっぱなしの仕事で重たい躰だが、四日目には実に軽くなった。

 人間、躰を動かして働くことのほうが、いたって健康を保てるということだ。

 いつもは、河口へ向かうRUN。このGWは、上流へ向かって普段走らない隅田川の両岸の土手の上と下をゆく。

 面白いもので、神田で手に入れた、清親や広重などの浮世絵などをみつけた。

  
               浅草瓢箪池

 大正7年作の浅草公園の画である。

 十二階も見える往時の活況が伝わってくる。

 そう、浅草は日本中の活力の中心だったのだ。

 双発機が飛んでいるのはご愛嬌か、そんなこともあったのかと想像するのも楽しい。

 昨今、戻ってきた感のある賑わいがつづくとうれしい。

 来週には神田祭の本祭が四年ぶりに、17日から三社祭、25日はお富士さんに、消防殉職者慰霊祭で江戸火消しの梯子乗りが見られる。http://members2.jcom.home.ne.jp/ichikondo/05%20shouboujunshokushaireisaiyayoimatsuri.html

 また、大川がブルーに染まる東京ホタルとわが町の魅力が尽きない。http://tokyo-hotaru.jp/


   
              凌雲閣

 浅草に威風を誇った十二階。

 当時のお人は、そこから何を眺め、思ったことだろう。

 差し詰め、この連休に列をなす、スカイツリーのごとし名所であったことは間違いない。

 関東大震災で崩れ、最後は軍に爆破された。

 荷風大人もそこに立ったとある。

 それを模した、仁丹塔なるものが、雷門通りにあった。

 つい最近まであったのだが、いまやそれを知るものも減っている。

 全そで唄ったカラオケ屋もそこにあった。



 手柄岡持の狂歌を一つ。

「水ごゝろなければ質もながされて袷のぬきできるもきられず」

 朝夕と昼の温度差が激しい。それは江戸の頃も同じだったようだ。

 (袷にしようと綿入れから綿を抜き取ったまではいいが、袷は質流れになってしまった。まさか綿を纏うわけにもいかず。水ごゝろとは、水練の心得。抜き手と掛けてこの季節柄を詠んだ見事な歌である)


 当たり前が、当たり前でなくなるのは世の常。

 せめて、浮世を心に留めておきたい。

 そのために草紙に紡ぐのでござる

  


疾走する馬

2013年04月21日 | ★江戸っ子エッセイ★

    
                  隅田公園の特設馬場

 4月20日は穀雨

 空は、その名の通り雨の予感の曇りだ。

 朝いちばんのランニング。言問橋から吾妻橋の間。

 300mにおよぶ特設の馬場の準備をしている。道行く人のカメラのレンズの先には馬が大人しく立っていた。

 そっか。もうそんな季節なのか。

  

 隅田公園では毎年、流鏑馬が行われる。

 今年で31回目だという。

 スカイツリーが完成し、公園の整備も済んでから初めての流鏑馬だ。

  

 昼飯を早めにすませ、再び公園に向かう。

 さっきまで人もまばらで快適だった川沿い。そこに大層な観光客が溢れている。

 外国人の方も多く見かけた。

 江戸時代、浅草神社の正月の恒例行事だったそうな。

 ポツポツときた。

 そんな中鎌倉時代の衣装を凝らした、小笠原流の騎手や武者姿の人々が通り過ぎる。

 いよいよ、鎌倉の流鏑馬の開始だ!

  

 「あーー」

 二の矢は当たらず。。

 騎手は雄叫びをあげて、馬は徐々にスピードを増していく。

  

  「克己たれ刺さった矢尻に穀雨かな」 海光

 
 カメラに捉えることはできなかったが、見事な的中!

 会場から、大きな拍手が湧く。

 競走馬を引退した馬たちが、かつての栄光よろしく疾走する。

 その凛々しさが美しい。

 人が歩く以外に、馬が万能の足であった時代ははるか彼方。

 その刹那が人の心を打つのだ。

  

 ダッ、ダッ、ダッードッー!!

 土煙をあげる馬の躍動が伝わってくる。

 鎌倉武士のごとく背筋のピンと張った姿勢に、小笠原流の克己をみた気がした。

 連休が開ければ、神輿の季節が到来する。

 穀雨がこの国に実りをもたらしてくれることを祈るばかり。

 かくも、季節の巡りは早いものである

 


弥生のさくら

2013年03月26日 | ★江戸っ子エッセイ★

  
             言問橋袂からの眺め

 今年の染井吉野。例年になく早く開花したと思ったら、あれよあれよと満開になった

 3月23日(土)、どんな様子かと早朝、隅田川沿いの側道を走る。

    
             山谷堀公園

 かつて吉原に向かいチョキ舟が通った堀である。

 おいらが高校生の頃まで、水が通っていた。末路はメタンの泡が湧いて、見るも無残な有様だったが…。

  

      
                  墨堤の千本さくら

 向島百花園、長命寺、弘福寺、三囲神社、牛島神社と続く、川向こうの墨堤の桜の下では、急ごしらえの出店の準備やら、花見の場所取りやら、花見客も大あらわのご様子。

 ひと足もふた足も早い船上花見に興じようと、屋形船も予約に大忙しのようだ。

 台東区側の隅田公園では突貫の工事中。そりゃあ、スカイツリーが完成して始めての花見だもの。

 当てが外れたのは、行政だけでなく、わが連も同じ。

 おいらが幹事を務める、わが全そ連の花見会も4月6日の地元さくら祭りの日を予定している。まぁ、花はなくとも気は心。水上バスのアトラクションもあるし、新緑の元の宴会もいいもんだ、タブン、ネッ!

   
                 ポップ三味線

 午後は電車に乗って、中野小劇場へ。

 〈べらんめえ〉という劇集団が演じる、江戸弁の朗読芝居。

 山本周五郎〈初蕾〉佐江衆一〈いぶし銀の雪〉立体落語〈大工調べ〉を観てきた。これも、時代創作のお勉強。

 「あたぼうよっ!」(当たりめえだ。べらぼうめ)

 山田二郎さんのべらんめえ調の言い回し。

 幼い頃聞いていたおっちゃんのようで懐かしい。

 また、その山田さんが縁あって誘ったという、マーサ☆リノイエさんのポップ三味線が秀逸だった。

 亜流の津軽っぽい節から、ベンチャーズ、洋楽メドレーまで多才な演奏である。

 リノイエの由来は、李家と書くらしい。なんでも秀吉の朝鮮出征の際に帰化したご先祖だといわれる。スゲエことだ。

 山口百恵さんのバックコーラス&ダンサーだったマーサさん。

 なんと地元では長唄の師匠とか。

 江戸の長屋文化の粋がこんな形でみられるとは、人生まんざらでもない。

  
  
               築山の花盛り

 突貫工事中の築山でパチリとやって、言問橋を越える。

 それぞれ持ち寄った弁当で、観測史上2番目に早いと云われる満開の花見と洒落込んだ。

 泡の後は、福井の銘酒〈伝心〉を冷やで飲る。

 満点の桜星の元、得も云われぬとはこのことか、と思う。

  
             物見台とツリーと桜

 スカイツリーのために出来た観覧席とさくらをバックに子供たちがいい感じだ。

 桜を好むのは秀吉だけじゃない。

 寒の末の暖。それは四季を日常とする、大和人の心の故郷だからかもしれない。

   
          色の変わるツリー
  
 この日のスカイツリーは、何色か、照明が変わった。

 これもさくらが特別の意味を持っているからだろう。

 川向こうには本所、業平橋。

 業平の歌がある。

 〈世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし〉

 桜の花に一喜一憂するのも太平ならでは。

 この花がなければさぞ長閑だろうとは、おいらは思えない。

 梅より、桃より、江戸っ子には桜の花が何より春の象徴なんだ。

 浮世の華やかであり、現世の儚げのようである。 

 季節の早過ぎた花見の宴の寒風は、まさに弥生の寒気そのもの。

 愉しい酒のおかげさまで、おんぼろのカラダに世にも恐ろしいノロが巣食ってしまった。 

  〈散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき〉

 このウィルスが休日の飲み食い、あれやこれやすべてを流してしまう。

 弥生のサクラ。

 散りゆくサクラに己の身を重ね見ゆ

  

  「眩しさや 白輝を舐むる 春の酒」 海光  


紅梅と優勝杯

2013年03月03日 | ★江戸っ子エッセイ★

   
             呉服枝垂れ

     
          道知辺(みちしるべ)

 今日は3月3日、快晴のひな祭り

 隅田公園の畔の梅も、ようやく満開である。

 控えめな梅のなかで、野梅系の呉服や道知辺がじつに艶やかで、道行く人の足を止めていた。

 今週は啓蟄を迎え、わしの誕生日もある。

 春はもうすぐだ。

   
              日月(じつげつ) 

   
            吾妻橋水上バス乗り場

    
              流し雛の列

 公園を走っていくと、流し雛が行われるところだった。

 紙で作られたお雛様、女の子を持つ親御さんがたくさんの列を作っている。

 ひな祭りの元となった儀式といわれ、祓い人形と同じく身を清める意味があるという。

 源氏物語に記述が残っているというからその歴史は古い。

  
            リバーサイド競技場

 下の息子がサッカーの試合に出場するというので、午前中から応援にでかけた。

 スクールカップという、台東区の小学校チームの総当たり戦。

 第一試合、開始早々なかなかいいアシストをしている。ふむふむ。

 ぜんぶで5試合。

 すべて勝利し、なんと優勝してしまった。

 仲間の一人は、12点を決め、MVPに輝く。

 素晴らしい結果に、親の顔もほころぶ。

 女の子の祭りの日だが、元気な男の子の活躍に、爽やかな勇気をもらう。

 午後はなでしこたちの試合もあったという。

 若いエネルギーは、世の中を明るくする力があるね。

   

 優勝杯を掲げる子供達の笑顔がステキだ。

 友だち同志で、ランチ焼肉で優勝を祝ったようだ。

 おいらも夕食を豪華にして、祝ってあげようと思う。

 道明寺の桜餅も用意した。

 合評会の報告文も書いて送ったし、短編もとりあえず書いてみた。

 忙しさは休日も変わらないが、充実した一日だった。

   
             子規の句

 パーティーの準備があるので、今宵は子規の句でごめんください

 


豆まき

2013年02月10日 | ★江戸っ子エッセイ★

  
            竜泉町 鷲神社の大鳥さま


  「豆飛んだしゃがむ頭がゴッチンこ!」 海光

 
 節分とは、季節の節目〈立春、立夏、立秋、立冬〉のそれぞれ前日を指したのが由来とある

 暖も炭以外の手法のなかったその昔、陰気に閉ざされた冬はことのほか春が待ち遠しかったのだろう。厳寒の冬から暖かな風の吹く春にかけて、まさに1年の境という思いが強かったように思う。そんなわけで封建の豆まきは年の瀬に行われていたようだ。創作にあたって、こんなことも判る。旧暦、新暦、風習の違いに、古来の習わしを浮かべることができるのだ。

 そうしたわけで、先週末、節分の豆まきが行われた。

   
          熱田神社の豆まき

 わが町浅草は、神社仏閣が多い。氏神さまの熱田神社の豆まきから回る。ご縁がありますようにと、五円玉が入ったお豆をありがたくいただく。

  
             今戸神社の豆まき

 続いて、実家の氏神さま、今戸神社に向かう。

 神主さまとご息女の神官さま、氏子の町会の方々が順々に豆やお菓子を撒いていく。

 地方によっては、落花生を撒くらしい。落ちても拾って食べられると聞いて、なるほど勿体ない精神、大和人の知恵だな。

  

 熊手で有名な神社だけに、大鳥さまの面を被った神官が運をかっこめとばかりお祓いに興じてくれる。

 豆まきの後は、富くじを配ってくれた。

 当たり、外れもまた嬉しや悲しや。外れても、カップ麺やらえびせんやら入った袋をくれる。

 寒さも忘れる豆まきの行事は、大人も子供も楽しめる浮世の笑顔。

 ちなみに、入谷鬼子母神では、鬼を祀ることから、鬼はそとは禁句。悪魔~外というらしい。

   

 歳の数、プラス一つ多く食べる習わしに従って、ビールのともにつまんだ。

 立春も過ぎ、大陸から化学物質の偏西風が吹いてくる。春はもうすぐだけど、こんな大気汚染こそ、外に追いやりたいと思うのである

 鬼は~外 

 福は~内


 


大雪のリベンジ

2013年01月20日 | ★江戸っ子エッセイ★

   


   「雪解けて青き芝生に汗が翔ぶ」 海光

 成人式の大雪が嘘のような冬場れである

 まだ、随所に氷となった残雪はあるものの、澄み渡る空は気持ちいいの一言に尽きる。

  

 全国高校サッカーの決勝戦が延期となって、再び国立競技場で開催された。

 京都橘は都内に残って調整に励み、鵬翔は地元宮崎を往復するハンデをおった。

 いずれのチームも、同時優勝では納得せず、最後の戦いを望んだ。これぞ、勝負の世界に生きる男子たちである。
 
 2トップが話題の攻撃力の京都橘が先制で前半を折り返す。

 二男の公開授業で駆けつけたオイラ達は、後半戦にどうにか間に合う。 

 昨年の試合より、スピード感が溢れ、じつに見応えのある展開となった。

 点が入ると、取り替えず一進一退の攻防は、延長戦に突入する。

 後半に追いついてから鵬翔のリズムがよい。それは延長戦になってからも変わらない。

 だが、京都橘も粘る。

 両チーム死力を尽くして、ついにPK戦へ。

 その勢いそのままに、PK戦を幾度も重ねて勝ち上がった鵬翔に軍配が上がった。

   

 あっぱれ!!

 フィールドに近い席からみると、センスの京都は線が細く、技術体力に秀でた感の鵬翔が勝負強さを発揮した。

 我が子を失くした監督は、サッカーが心の支えだったという。

 30年を経て、努力が結実する。やはり、ここでも努力の継続か。

  

 チケットをくれた従兄弟たちと観戦。

 手配してくれた大手広告マンに感謝。大量の早期退職者を募るマンモスの力はまるで恐竜のようだ。一人ひとり付き合うと、案外いいやつが多い。これが日本流の組織というもの。このアンバランスが日本株式会社の利点であり、弱点でもあるのだろう。

 共に観覧したヘアーアーティストは来月からロスに永住するという。

 夢や目標に向かう若者だけでなく、可能性にかけて飛び出す勇気を間近で見られたのも幸運だ。

 ひたむきに進む汗に、負けてはいられまい。

 両校の選手に拍手するとともに、延期の試合をバックアップした親御さんと関係者に。

 おめでとう!!

 2013年も観にきて正解だった。スポーツは観るもやるも、得るもの多しだ。

 次週はオイラがこの国立を走る。

 その調整と、大寒に鞭打って体が悲鳴をあげている。

 今宵は馬力とばかり、アメリカ流に、ビフテキとポテトと赤。
 
 せいぜい酒量を控えて労わるべきかな

 


新吉原のお狐さま

2013年01月13日 | ★江戸っ子エッセイ★

   
                吉原弁財天


       「百目灯 輝く瞳 狐舞い」 海光

 
 まだ新年ネタでござる

 紅白歌合戦で2012年をしみじみと振り返った後は、除夜の鐘に108つの煩悩を認め、気を新たな年に向ける。

 年越し蕎麦は、尾張屋の天ぷらか、藪か、長寿庵か、蕎麦処の浅草では迷うところだが、地元も地元千束通りの能登屋の暖簾をくぐって正解だった。

   

 鴨がたっぷり入った鴨汁は、鴨を叩いて砕いた団子の出汁で旨み脂が膜を張っている。

 千住の根深ネギがこの辛めの汁を吸って、ほのかに甘い。

 どん詰まりの年の瀬に、熱燗が沁みる。

    

 長男だけ冷やしとんかつ蕎麦を大盛りで。

 忙しい大晦日に、こちらも揚げたてを饗してくれる人情がありがたいこって。

  
  
 熱燗に五臓六腑が唸っていると、ふとポスターが目に入る。

 なんと郷里の吉原神社で、70年ぶりに狐舞いが行われるという。

         

 こりゃあ、なんとしても見なければ気が済まない。

 除夜の鐘の鳴り終わる頃、ひっそりと静まり返る仲の町通りをいく。

    

 弁財天の前に人だかり。

 白いお狐、青いお狐、赤いお狐の登場だ。カメラやスマホを手にした地元客が冷やかしている。おいらもその一人に加わったのだ。

     
     

 これぞ、〈絵本風俗往来〉に見ゆる、狐舞い。

 大晦日の新吉原の活況が頭に浮かんでくる。

 昨年のドラマ〈みをつくし料理帖〉で、〈あさひ太夫〉に扮した貫地谷しほり がお狐さまのお面を被って聴衆をわかしていたのが記憶に新しい。

 翁屋の看板花魁であるが、上方から一人でお歯黒ドブに囲われた人生はさぞ孤独であったと察する。旭日昇天(きょくじつしょうてん)」という天下取りの運は果たして幸だったのか不幸だったのか。

    
 
 獅子舞の代わりにお狐さまということだが、サービス溢れる現代の吉原狐舞の方々は、新年を祝う獅子も用意してくれていた。

 獅子に噛まれて泣く赤子。笑う大人。正しい年明けを体験した。

      

 これぞ正真正銘、赤い狐といったところか。

      

 酔拳ならぬ、青い酔狐。

 きちんと風物詩を行うことは、幸運をもたらしてくれるものなんだ。

 北斎も描いた、吉原の終年行事。

 吉原の四隅に点在した稲荷神社。

 今でこそ一つの社になったが、目を閉じれば、華やかなりし格子の花魁たちが見えてくる。

 浮世の栄枯盛衰を地でいった新吉原のあれやこれや。

 幼い頃、お狐さまに取り憑かれたのは、もしやこうしたご縁に繋がっているのやもしれない。

 保存会の方に感謝。

 まだまだ、知らないこと多しだ。

 書かずにはいられない

 


お正月気分

2013年01月06日 | ★江戸っ子エッセイ★

   

 年末の忘年会もキャンセルし、ランニングはおろか自転車にも乗れずに過ごした

 おかげで体がすっかり鈍った分、頭脳がすっきりと随分明晰になった気がする。

 これも医者の言いつけ通り、我慢して禁酒したせいだろう。

 お正月、大切な友人からの贈り物、40%まで磨いた大吟醸を開ける。

 紫波という町の腕っききの杜氏が仕込んだ銘酒である。

 昭和を思い出す大瓶のラガーで肝臓に合図を送る。

 そして、おもむろに常温のまま〈月の輪〉の酒精を流し込むのだ。

 甘くべたついた幼稚さは全くない。琥珀は叩き磨いた熟成の証。

 香りもフルーティーはなく、東北の朴訥の洗練が鼻腔をくすぐる。

 こんな格好の祝い酒はない。

   

 カンカン!っと、栓抜きで叩き開ける快感、子供心になんと憧れたことか。

 家族との他愛ない会話をツマミにする贅沢、年明けの静謐な時間が訪れる。

  

 可愛らしい包装紙は捨てるに忍びない秀逸のイラスト。

 紫波町には、あの野村胡堂が暮らしたという。

 今でこそ判るが与力しか持てない十手を腰に差した岡っ引き、寛永通宝を投げる平次の正義は、祖母とのかけがえのない思い出である。

 亭主が仕事に出掛ける。火打ち石を鳴らすのが夫婦愛だと気づかずに知らされていたわけだ。

 旧きには学ぶこと多し。

  

 お正月千住まで脚を伸ばすと、地元の神社で俳句大会なる看板が目に付いた。

 そう、ここは芭蕉、奥の細道の出発点。

 日光街道の千住宿は、旅の起点でもあり、江戸に入る旅人にとり身支度を整える町でもあったのだ。

  
  
  

 そのまま白髭橋へ差し掛かると、石浜神社がある。剣客商売の大治郎が暮らした、真崎稲荷の地だ。

 2013年事始めに七福神巡りをした。この神社も寿老人。

 真摯に、やらずにはいられないものを願った。

  

 第一京浜でオープン参加となってしまった母校の塩谷選手に声援を送る。

 参考記録でも区間記録を出し、精一杯走りきることは未来への希望をつなぐのだ。

 精々しい気持ちを伝えてくれた後輩たちにエールを送りたい。

    

 あれから何度この門を潜ったのだろう。

 申年のおいらの守り神が鎮座する神社は、神輿も立派だという。いつか見てみたいものだ。

    
    

 仕事始めの会社員らしき人も多く見受けられた。

 新年がまたぞろ動き出したのだ。

  
  

 赤坂に来た時に必ずといっていいほど寄る、坦々麺の名店〈希須林〉はまだ休みだった。

 期待してきた二男ががっかりしているので、新橋の四季保坊に電話した。

 働き者のお母さんは、元気な声でお待ちしてます、と。

 名物の麻婆麺と、坦々麺、長男はエビマヨ定食を頼む。

 唐辛子や豆板醤の辛さよりも、花山椒の実が舌に痺れる快感を味わう。

 お母さんが、鉄板餃子をサービスしてくれた。

 新年最初の中華に、お腹も心も満腹になる。

 家族と過ごす貴重な時間の合間に、〈星の王子さま〉を再読し、先輩から薦められた〈ドローセルマイアーの人形劇〉を読んだ。自分では決して手に取らない本だからこそ、発見がある。

 そして、師が青春期に最も影響を受けたという〈嘔吐〉に取り掛かっている。

 一つ一つ足りないものを補充している充足感がある。

 心の準備は万端だ。

 寒の入り、明日は七草粥を食すだろう。

 2013年、微速ながら、いいスタートが切れた
  

 


将軍の梅屋敷

2012年12月29日 | ★江戸っ子エッセイ★

 

 早いものだ

 昨日で会社も仕事納め。年末は訳あって病院通い。ひどい目にあったが、人間どうにかなるもんだ。それでも、新たな年であり、歳は巡ってくるのだ。容赦なく誰にでも平等、それが死に向かうということだろう。悲観でなく、素直に生きとし生ける物の定めと腹を決めてしまえばかえってすっきりするというものだ。

 勤め人で、ここ1年半ほど内勤のオイラは、時間ができると昼間散歩する。坂道を登ったり下ったりも好きなので、お隣の千石、巣鴨地蔵へは時折出掛ける。

 11月のお酉様の時に気づいた。この白山通り沿いの広大な一角は、かの徳川慶喜公が晩年に暮らした屋敷があったという。長生きされたのは知っていたが、こんな会社の傍に住んでいらしたとは、妙なご縁である。

 謹慎を解かれ、この地に移り住んだという。年少の思い出か、水戸の梅をたくさん植えていたので、地元の庶民からは〈ケイキさんの梅屋敷〉と呼ばれていたらしい。

 時に明治30年、慶喜公61歳のこと。

 なお、巣鴨屋敷傍を鉄道が通ることが決まり、騒音を嫌って、終焉の地、小日向(現在の春日)へ引っ越している。

 後に、公爵、勲一等旭日大授章を授けられた慶喜は、明治34年に明治天皇と拝謁している。新旧の天下人の語り合いを想像するのも愉しい。

 大政奉還の決断、徳川軍を残しての敗走、謹慎、いろんな見解がござろう。あーだこーだと論争するより、老年の慶喜公が故郷の匂いを嗅ぎたがったこととか、自動車に乗り、萬盛庵という上野の蕎麦屋に突っ込んだ逸話などをつまみに酒を飲むほうが興がある。

 旧水戸屋敷に近い、巣鴨の地で余生を暮らした慶喜公の感慨たるや幾ばくなりや。

 巣鴨駅から大塚へ向かう線路沿いには、ソメイヨシノが並んでいる。

 ケイキ屋敷の梅が開く空想をしながら、春を待つのもわるくない。

 師走も大詰め。会社の次は、家の大掃除でござる。

 年越しのそばを愉しみに、それまでお医者のいう通り禁酒としよう。

 皆さんも、新春の準備、怠りなきよう……

 
   「天下人獲って獲られて廻る年」 海光


聖夜の灯り☆

2012年12月24日 | ★江戸っ子エッセイ★

    
    グリーン色のスカイツリーと五重塔(スマホから)

 Happy Christmas
   
  「半月が見下ろす灯り聖夜かな」 海光


 
 12月24日(祝)騒がしかった選挙も終わり一段落の師走、街に聖歌が流れている。いろんな向きも多かろうが、それでも平和にクリスマスイブが祝えることがうれしい。神様に感謝

 年賀状も無事に投函し、ふと夜空を見上げれば、頭のてっぺんに半月が輝いている。

 目の前に転じれば、東京スカイツリーがモミの木色のグリーンのLEDを灯していた。

 浅草寺境内から、五重塔とスカイツリーを撮影。

 同じ場所から、スマホとデジカメで撮った。どちらのほうがキレイだろうか。

  
       デジカメの夜景モードで撮影

 歳のせいだろうか、疲労が抜けない。体の不調に喘いでいるが、これも今は休めとのサインかと、大人しく過ごしている。

 黒い出目金の水槽も水を入れ替え、縞泥鰌とイシマキ貝を入れた。

 水を替えて黒ちゃんが変調をきたして心配したが、いまはスイスイを泳いでいてホッとする。

 今日は擦り切れた衣類やいらなくなったモノを仕分けし処分することにしよう。

 これから、三日続けて子供たちへのプレゼントを探しに街に繰り出す、恋人はサンタクロースならぬ、オヤジがサンタクロースだな

 夕食は丸ごとチキンを焼いて、聖夜を祝おう。

 日々癒しと元気を与えてくれる家族の笑顔に感謝し、一年間健気に働いてくれた体、特に肝臓君を労って飲もう。

 大切な同期から、真心溢れるプレゼントが届いた。

 大寒並みの寒さでも、同期の体温がとても近くに感じられた。

 紫の波という名が素敵じゃないか。まだまだおいらの知らないことがたくさんある。
物書きを目指すものとして生涯勉強を続ける意味を考える。

 岩手の紫波町からの逸品。新年の楽しみが増えた。

   

 皆さんも、心に残るクリスマスを

 Merry Christmas



平成の歳の市

2012年12月20日 | ★江戸っ子エッセイ★

  

 師走も終盤に入ってきた

 歳のせいか、ジングルベルより、和の風物詩が心がなごむようになった。

 わが町浅草寺境内では、17日~19日まで、年の瀬恒例の行事<羽子板市>が催された。

 肉厚に盛り上がった羽子板は、とても羽つきには使えそうもないけど、絢爛豪華な装いは、福の神を呼び込むのに十分であろう。

 押絵の羽子板が出始めたのは江戸の隆盛、文化文政の頃だと伝わる。歳の市として現在の原型となったのは、明治中期とか。

 本物のスカイツリーの灯りに、ツリーの絵の入った手ぬぐいが輝いている。

  

 派手な流行ものも見ていて愉しい。商売人の掛け声と、道行く人の笑顔が、木枯らしの寒さを一時忘れさせてくれる。

 邪気を跳ね返すといわれ、女の子の成長を祝う風習がなんとも長閑で豊かな発想ではないか。

 封建の歌舞伎役者の絵が、さながら現代では韓流スターに早代わり…、とか。

    

 たまたま訪れた外国人客が、ビデオやカメラを撮っている。

 彼らにはどんな風物に見えたことだろう。

 こうした古い慣習こそ、美徳と財産であることを振り返るゆとり。ぜひ政を司る人に思い出してもらいたいものだ。

 うわべの贅と華美の毎日じゃ、所詮市井の民のことはわかりゃしねえって。

 残念な浮世の憂さを晴らして、そろそろ年越しのそばのことでも考えよう

  
   「板のなかこぼれる笑みや歳の市」 海光


横須賀の潜水艦

2012年12月16日 | ★江戸っ子エッセイ★

    

 昨年についで今年も横須賀に行ってきた

 第37回目を迎える、〈よこすかシーサイドマラソン〉だ。

 戦艦三笠が停泊する、三笠公園に選手が集まってくる。

  

 当日の気温は9.2℃、湿度45%、北風4.7mと、昨年のモンスーンのような蒸し暑さに比べて、非常に快適な天候に恵まれた。

 昨年苦労した分、観音崎へ向かう走水のアップダウンも、精神的には大分楽に走りきることができた。走り込みができず、調整不足ゆえ、左膝の痛みがぶり返した。それでも、21.1kmという距離はどうにか走り続けられる距離なのが嬉しい。

  
  

 家族と横浜地区に住む、句会仲間が応援に来てくれた。

 沿道の応援もどこか長閑で、海風が優しく背を押してくれる。

 ゴール間近のラストスパートに、息子が気付いてくれたようだ。

 走り終えた後の、ビールと点心がうまいこと!

    
  

 仲間の案内で、米軍の戦艦と、海上自衛隊の潜水艦を見学にいく。

 現役の潜水艦を見るのは、親子ともども初めてだ。

 横に厚みがあって、かつて映画で観たUボートとの違いにびっくりする。

 当時は水上移動がほとんどだったが、現代は海中での走行が多いという。

 こんな中で絶対死にたくないな。

     

 痛めた脚を引きずりながら、ドブ板通りまで散歩した。

 看板に横文字が目立つ。海風が流れる道が整然とキレイな印象を受ける。

 スカジャンや軍モノの店を冷やかして歩く。

 さすが、横須賀。小泉元首相の写真が飾ってあったり、Barで騒ぐアメリカ人の陽気さに、日帰り旅の醍醐味を感じた。

 マラソンの旅、訪れる街での発見が新鮮。また来年も来たいと思わせる街だ。

 これから、マラソン、駅伝のシーズンを迎える。

 新年の新宿ハーフマラソンまで、少し走り込みをしたいと願う今日この頃である

 
     「走り水陽溜まり温しドブ板道」 海光

 
 


権勢の果て、六義園。

2012年12月07日 | ★江戸っ子エッセイ★

  

 師走に入った。

 日中のポカポカ陽気が一転、陽が沈むと寒風が吹いてくる。体調を崩している方が多い。気をつけないとね。

 会社帰り、巣鴨と駒込の間にある、六義園に寄ってきた。

 ライトアップされた紅葉狩りに繰り出そうという魂胆だ。写真は夜桜でなく、照明をあてた楓。白色等で照らされてスマホのシャッターではこれが限界。ごめんなさい。

    

 この庭園は、綱吉の時代、側用人の柳沢吉保がしつらえたものだという。明治に入り、やはりあの人岩崎弥太郎が買い上げ、昭和13年に東京市へ寄贈した。

   

 吉保が側室のために作った茶室は、吟花亭といい、吹上浜から登ったところにあったらしい。

 広大な庭地といい、大樹や滝、別邸、茶室、島の管理には膨大な費用と、呆れるほどの人手がかかったと思う。それも文化といってしまえばそれまでだが…。

 当時の権勢に思いを馳せる。

   

 人の気を惑わすと云われる、水香江があったり、竹林の風に当たったり、池を回っているだけで飽きさせない。

 人工的な幻想の景観も綺麗だが、鏡面のように写りこんだ紅葉が見事だった。

 先ほどまでは池に細波がたっていたから、きっとここだけ風が当たらないように工夫されていると察せられる。

   

 スマホの夜景モードではこれが限界だが、見えるだろうか。

 大きな湖面に映える紅葉は、黒い鏡のようにあちらの世界へ誘う。

 心のシャッターを切って、胸奥に仕舞っておきたい。

   

 寒風吹き荒ぶ庭園は、体を冷やす代わりに、精神の静謐を教えてくれた。

 熱燗がやけに沁みる師走の夜である。


   「ハラハラと落つる楓や池の月」 海光