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週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

自意識の問題。

2014年07月05日 | ★江戸っ子エッセイ★



 およそそう呼べる代物かは別にして、小説らしきものを書いている

 書くようになって変わったことといえば、読書への主体的な取り組みだったり、論理性、倫理性への追求だったり、知らずプロットの構築を巡らしたりするようになったことか。この作者はこれをどのように取材をしたのか、参考文献の選び方、研鑽の先にたどり着いたモノへの嫉妬だったりいろんなものを抱える病にかかったとも云える。

 圧倒されるそれらにいつまでも臆しては書けやしないし、そんな程度のものでしかないのなら、 そもそも筆を持つ必要もないのだ。


 師と仰ぐ小説家も、かつてカミュやサルトルをまえに、己の書くべき余地などもう残されていないのではないかと自問、葛藤していた。物書きのみならず、クリエーターとはそうしたものを大なり小なり感じて通過するものなのかもしれない。

 こと知見に関して云えば、 遅れを取ったものは先人の知識に一度は呆然を憶えるはずだ。だが、小説とは一筋縄にはいかず、その圧倒的な知識をそのまま転写したような文章に、反吐を憶える瞬間も訪れる。如何にはやる気持ちを抑えられるか、ひけらかしと見られたらこれほどの恥辱はない。物書きとしての資質に関わることなのだ。並べた小説群には本物と偽物がある。いまこの段階でそれを愉しみ、眺め、見極めている。

 西加奈子の[舞台]を読んだ。

 太宰の人間失格になぞらえる冒頭は挑戦的だが陳腐に思えた。だが、私小説に通ずるような自己憐憫、自意識への嫌悪の描写に知らずハマっていった。舞台はニューヨークとはいえ、じつに狭いブロックの中で起こる出来事を淡々と綴っただけ。ラストに向けて疾走をはじめる主人公葉太の憤悶、そして解放感は圧巻だった。人を描く。読後至極考えさせられる。久しぶりに、純粋に読むことを愉しめた一冊だ。 


「自意識や梅雨の干ぬ間に汗かけり」哲露





 先日、物書きの先輩ふたりと飲んだ。

 生肉を喰らい、マッコリを飲み、創作の辛みを味わう。

 忌憚のない遠慮で、言いたいことを言い合った。常に眼前にある小説をネタに、愉しい時間があっという間に過ぎる。

 ロックで飲む韓国と石垣島の原酒は、理性を飛び越え、本能を呼び覚ます。

 心地よい時間。けだし、祭りの後は、自意識への過敏な瞬間でもある。

 作家などというもの、元々自意識の塊なのだ。文章に紡ぐその自意識で満足しろ。実生活においての自意識を極度に畏れる。西加奈子、おそるべし。



 地元民に配られる台東区の区報。

 享保に始まり、昭和に復活した両国の花火。

 昨年は天候の急変に中止を余儀なくされた。

 今年も7月26日(土)に開催予定。

 不穏な空気を吹き飛ばす、江戸の大輪を今年こそ観たいものである
  


亀は万年!?

2014年06月28日 | ★江戸っ子エッセイ★




 生憎の雨、今年二度目の植木市が開いている

 午前中は降りが酷いせいか、せっかくのお富士さんも人がまばらだ。

 商店街へ特売のオージービーフを買いに走る。自転車を漕ぐ私に、シワシワの雨が容赦なく降り注ぐ。

 

 一葉通りの屋台も、開店休業。

 ベビーカステラのお姉さんが雨がかからないよう、軒を調整していた。

 行政のなんらかの力か、かつてより規模が小さくなったことが賑わいを減らしている。

 至極残念なことだ。裏観音一帯を占めた、あの頃の植木市の復活を願いたい。



 お富士さんと親しまれる由縁は、浅間神社の信仰によるもの。

 浅草中の老舗の提灯が境内の緑に色を添える。

 濡れた鳥居に、玉砂利もまたオツなり。



 龍神さまの手水場から潤沢な水が溢れていた。

 恵みの雨のこの季節はやはり潤いをもたらしてくれる。



 右回り、左回り、右回りと、茅の輪をくぐる。

 半年分の罪穢と、疫病を祓う、大祓の儀式なのだ。

 私は家族と浅草の民の健康を願った。



 お昼を過ぎて、空が明るくなってきた。

 夕涼みにかけて、人が増えていくことだろう。

 サッカーから戻ったら、酎ハイ片手に子供らと露天でも冷やかそうか。

 何年か前のこと。

 地元の先輩は、亀掬いなるものにハマり、一家で8,000円も使っていた。

 ギャンブラーが多い。それもこの土地の習性なり。

 実家に住むミドリ亀は、ガメラのようにデカくなっている。

 亀は万年。

 先輩の亀はどうしたろうか。




「溝の先見えぬ柳や籠の鳥」哲露


 昨晩の朝日新聞の夕刊に、森光子「吉原花魁日記」が紹介されていた。

 明治期に地方から売られた悲しい女性の手日記である。

 決死の覚悟で廓から逃げる描写が生々しい。

 「花子とアン」に出てくる華族の百蓮の元へ逃げて、光子は救われる。

 晩年のことは知られてないが、幸せな生を全うしたと思いたい。

 功罪あろうが、封建の時代、吉原は多種多様な文化の発展をもたらした。

 落語に出てくるような若旦那で道楽者だった祖父が、見返り柳の再建に力を入れた。

 これも何かの因果か。

 たわわに実った柳とともに、祖父の筆による石碑の写真が掲載されている。

 忘れ去られた吉原のことを語るべく、今日も私は筆をとる

 


きざみ鴨せいろのお味

2014年06月22日 | ★江戸っ子エッセイ★


         みとう庵

 仕事場の近くに話題の蕎麦屋があるので行ってみた

 二週続けての食い物ネタ。

 食券機が置いてある様は、立食い感覚だが、店内は白木のカウンターで席もある。

 お値段も立食いなのに、包丁切りのちゃんとした手打ちが食えるのだ。



 もりそばは300円から。せいろは田舎の太麺と細切りの粗挽きも愉しめる。 

 この日のお得セットは、穴子天丼ともりで780円。

 私は初会なので、いちばん人気というきざみ鴨せいろを購入。


        きざみ鴨せいろ 


「知るごとに夏至の明るさ背伸びして」哲露

 
 まず、何もつけずに香りごといただく。

 太さの違う蕎麦は、紛れもない手打ち。

 鴨の脂が浮いた濃厚な汁が、この蕎麦によく絡む。

 う~む、550円でこのお味は合格点だ。

 きざみは、本物の刻みで、肉感が味わえる量がなく残念だが、汁に溶け込む野生に近い鳥の存在感はたっぷりと味わえる。

 きちんと鴨肉を食したい方は、850円の鴨せいろをどうぞ。

 大塚はかつて、池袋より栄えた三業地を抱える。

 そこの手打ちについで、贔屓にしたくなるコストパフォーマンスだ。

 麺量も食べ応えあり、蕎麦汁も好きなだけ用意してある。

 次回はかき揚げを頼もうと思った。



 こちらの傍には、名刹天祖神社がある。

 年初、同僚たちは雑誌の成功を祈りにお参りする。

 商店街のど真ん中にあって、土地の人を見守り続けてきたのだな。



  
 この界隈の路地裏には、様々な店が雑多に競う。

 老舗から、都心から通う女性向けのワインバーや洋食屋までありとあらゆるものが揃う。



 バラも散り加減。

 来月には、この都電に三駅いくと、雑司ヶ谷の神社で朝顔祭りだ。

 大塚、なかなか侮りがたしである。



 話しが飛ぶが、地元に帰った週末は、次男の運動会。

 浅草中学校伝統の組み体操は、迫力と若者の気概が込められている。



 私のときは、土のグランドだった。

 スカイツリーの眺めも美しい整備された競技場に、子供たちの汗が光る。

 全力疾走をしなくなった大人たち。

 たまには、若い汗に刺激をもらって、何かに熱中したら、巷の閉塞感も吹っ飛ぶかも。

 観戦した長男と一緒に、大川沿いを走って身体の毒素を流した。

 W杯を観ていて思う。

 懸命の迫力には、誰にも勝てない。

 なにかが足りないなら、まずは全力疾走をしてみたらどうか。

 そう自分に言い聞かせ、今日も駄作を綴るのだ

 

 


銀座の寿司屋。

2014年06月15日 | ★江戸っ子エッセイ★

 
       鮨 方舟

 10年前の2004年、高校の同期が一軒の店を開業した

 今をときめくスカイツリー。その母体である東武鉄道を若くして退職し、株式会社セオリーを設立したのだ。

 1号店は汐留の囲炉裏居酒屋の方舟。高校時代の友達数人でお邪魔した。厳選された海鮮を自分で焼いて食べる。最初こそ興味を持って焼いていたが、途中から面倒になった。

 こだわりの北陸4県の日本酒は、口当たりを考え、錫であったり、竹であったり趣向を凝らしている。こちらは旨すぎてどんどん進む。

 このスタイルは、疲れたサラリーマンにとってどうなのだろう?と懐疑的に思ってた。

 ところが、私の心配などいらん世話だった。

 TVの取材を受けたりした辺りから、この囲炉裏スタイルに火がついた。銀座のど真ん中にあって、自ら炭火で鮎や蛤を焼ける。そのことが癒しになるのか、望郷を呼び起こすのか、はたまた田舎暮らしへの憧れか、見る間に店舗を拡大していく。

 私からしたら、法外と思えるような金額の自己投資は今でも怠らない。そうした不断の努力が結実した。

 ある日、方舟オリジナルの小冊子の相談を受けて、信頼できる友人を紹介する。

 その冊子も数冊目になり、慰労に、初めて開いた鮨方舟で一杯やろうという。

 旨いツマミに、良質の酒とあって、呑んべはのこのこと出掛けた次第。

 オバマ大統領と安倍首相が会食した数寄屋橋近くの地下に潜り込んだ。



 扉を開けると、和服姿がにこやかに微笑んでくれた。

 ベルリンで銀熊賞を受けた黒木華さんによく似た美人仲居が席へ案内してくれる。

 こちらが、鮨方舟である。



 ヒルズ倶楽部から引き抜かれた親方も至極気さくな方だ。ネタについて質問すると快く魚のこと、仕込みのことを教えてくれる。

 

 極限まで薄く冷やしたグラスは、ビールの味をストレートに楽しめる。

 さすが、酒飲みのツボ、わかってまんなぁ。

 富山名産ホタルイカから始まり、白海老など能登の逸品がつづく。




 カウンターで、親方の見事な手さばきで目を潤し、素材の味を引き出す技を堪能する。

 一品ずつ供される魚は、丁寧に仕事され、北陸の酒によく合う。


「冷酒注ぎ大人の街の海三昧」哲露




 清潔な白木は疲弊した精神まで洗ってくれるような輝き。

 掃除の行き届いた店内は、銀座の寿司屋ならではのいい意味での緊張感がある。

 職人の心意気、どうぞ味わってくだされ。



 こうして大人の街で、ゆっくりと盃を口にするのは何年ぶりだろう。

 年頃の子供たちの成長につれ、馴染みの安酒すら遠のくようになった。

 今更30代の勢いは望むまいが、たまには精神を刺激するのもいいものだ。

 まだ時間が早かったので、5年以上無沙汰をしていたBarに立ち寄った。

 バブルの頃を思わせる盛況ぶり。

 憶えてくれていたママに、景気いいじゃないの、と問うと、今日は特別よと返された。

 銀座のママのことだ。真実はどうでもよく、友人との心地よい時間を何より貴重に感じた。



 鮨と酒を贅沢に腹に収めたのに、巻物と赤出しの締めがこれまた嬉しい。

 これだけのコースを、1万円前後で愉しめるのは銀座としては破格である。

 貸し切りや出張も出来るそうだ。

 青木や次郎は手が出ない諸兄淑女も、こちらなら銀座の鮨を十分に堪能できるはず。
  
 
 
 池波正太郎もこだわった口直しのデザートの甘露にも、職人の遊び心がある。

 銀座ソニービルのすぐ裏手。

 親方と仲居さんのお人柄も特筆もの。

 大人の夜を過ごすにはうってつけの店を一つ発見できた。

 同期のオーナーは、銀座を中心に飲食店10店舗、宿泊事業5施設、物販として道の駅まで多角経営に乗り出した。まさに、同期の誉れである。

 原ぽん(オーナー)、どうもごちそうさま


◇銀座「鮨 日本酒 方舟」

〒104-0061
東京都中央区銀座5-4-14 国松ビルB1

03-6274-6597

http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13164583/ (食べログ)

http://www.ceory.co.jp/shop/shop10/ (方舟HP)

 

 


熱田宮のお祭り

2014年06月07日 | ★江戸っ子エッセイ★


       宮神輿の宮出し

 浅草弾左衛門の著書で有名な塩見鮮一郎の記述にも出てくる熱田宮

 熱田神社の遷座三百七十年と氏子吉野町会の創立百周年を記念して、宮神輿が20年ぶりにお目見えした。

 朝早くから、お祭りに沢山の人々が集まる。

 

 2014年6月1日朝の9時、宮司さんが祭礼に際し型通りの儀式を行う。

 これぞよくいう神輿に神様をのせる恐れ多い時間である。

 町会青年部を中心に宮神輿を担ごうと、意気盛んの男衆たちが熱い。

 幅の限られた鳥居を通る。外棒を担ぐ担ぎ手は、中に肩を入れ直して宮出しするのだ。

 熱田さんならではの規則はそれごと面白い。



 この日は30℃を超す真夏日。

 立っているだけで汗が吹き出るというのに、男も女ももみ合いへし合い、渡御を開始した。

 小さな町会だというのに、三社祭を終えた近隣住民も押し合いへし合いの歓声を上げる。

 

 三社様の宮神輿もサラシを巻いた喧嘩神輿だが、熱田さんのサラシはまた別の装い。

 太平洋戦争の戦火も逃れた御神輿は強運で、頑丈で、ご立派だ。

 氏子に御神輿の職人がいるから細部の意匠がすごい。

 堂々とした鳳凰も御殿も神様の重みとともに、担ぎ手の肩にずっしりと。

  

 棒が短いから順番を争う男衆がもみ合うシーンもあったが、その重さからか、人の足りない時間も現れた。

 吉野町会の半纏を背負った私は、思う存分担ぐことができる。

 渡御は清川のほうまで出張って休息した。



 ありふれた駐車場の片隅に祠がある。

 もしやと思い、長老に声をかけた。

 やはり。

 ここは鳥越町から移転してきた際の、かつての熱田宮があった場所だ。

 塩見の描く車善七にも熱田宮のそばに暮らすがいた。

 

【新町の橋を流るる紫陽花や】哲露

 そうか、ここがあの場所だったか。

 小説を書いていると、執念が引き寄せる偶然のような必然がある。



 熱田神社には、この陰陽丸という伝家の宝刀が鎮座する。

 全長3.7mの大太刀は、幕末安政5年(1858年)コレラが流行った折、厄を祓うよう浅草新鳥越町を廻った。



 弘化4年(1847年)、川井(藤原)久幸の作と言われる。

 元鳥越の祭礼は今週行われているが、この雨だ。人の出はどうだろう。

 20年前は叶わなかった熱田宮の宮神輿が担げた。

 楽しいお祭りもひと段落。

 この熱を、創作へ打ち込めることができれば本望だ。


                 浅草山谷堀の紙洗橋


                   隅田川大橋

 晩年の荷風が暮らした傍で、隅田川などたくさんの品種の紫陽花が艶やかに花を咲かせている


都電と薔薇

2014年05月28日 | ★江戸っ子エッセイ★



 都心でも30度を記録する暑さが戻ってきた

 戻ってきたというのは、私が無類の夏好きで、この季節を待っていたから。

 各地で樹木の緑が映え、色とりどりの花が目を楽しませている。

 大塚の都電通り一帯は、いまや丸の内のOLが通う隠れ家の店が多い。 

 その坂道に、赤、黄、ピンク、白、桃色の薔薇たちが咲き乱れている。 

 

 豹柄の彩色を施した車両は帝京大学のもの。

 一見、グロいようだが、都バスと同様、都の収入源の一つとして宣伝に勤めているのだ。

 

 桜カラーは、城北信用金庫のもの。

 三井住友(さくら)銀行と間違えないように。

 

 こちらは最新車両だろう。

 富山の市電のごとく欧州レイルの雰囲気もまたいい。

 レトロ車両と旧装飾の車両は撮れませなんだ。

 代わりに、下記の写真を。

 

 「五月空目抜き通りをチンチンと」 哲露

 会社の裏手にある公園に、旧車両が展示されている。

 錆が浮いて、もの悲しい風情ではあるが、昭和40年代に生まれた私の頭のなかでは、東京の景観の主役そのものである。

 

 三社祭のとき、地元の友人と都電に乗った際の記憶が話題にのぼった。 

 私はといえば、今は無き仁丹塔の前で父と安全地帯(都電が道の真ん中で停車するための駅)で手をつないで都電を待っていた記憶が鮮明にある。

 今戸に住む友人は、大川沿いのバス通りを都電で走ったという。

 貧しかったし、ITに慣れた現代人からすると便利とは程遠い時代だけど、人々の顔はどこまでも優しく、大人たちには寛容があり情にもあふれていたように思う。

 松屋デパートの屋上には、スポーツランドがあり、花やしきも入場券などいらず、子供たちには天国だった時代。

 都電に乗って、お出かけする。

 それだけで、ウキウキした気分になれたものだ。

 

 日比谷花壇で、薔薇の花一輪、10年前で800円だった。

 とすると、この沿道の薔薇の価値やいくらほどか。

 なんて、どうも庶民は下世話で仕方ない。

 でも、その価値は十分。

 だって、このバラの花びらを見ているだけで、こころが豊かになれるんだから

  


三社祭。

2014年05月18日 | ★江戸っ子エッセイ★




「汗を吸う草染め半纏初夏の風」哲露


 浅草に三社祭が帰ってきた

 町中に祭り囃子が響く。こうなると江戸っ子はじっとしてらんねえ。

 紺地の帯、職人結びにキリリと巻いて白足袋に足を入れる。

 町会を発進した大中小の御神輿は元気だ。踊り子さんと呼ばれる浅草芸者を派遣する総元締、見番まで担いで待機する。



 市川団十郎像が見守る観音裏手に三之宮の氏子が集結する。

 順に、浅草神社へ御神輿をいれお祓いをしていただくのだ。

 チョコパピコで一息ついて、神社を詣り浅草寺の参道へ。

 ご覧の大観客の中、担ぎ手は声を枯らしても誇らしい。



 観世音菩薩に御神輿を掲げると、拍手が湧いた。

 この気持ちいいこと。

 町人の晴れ姿とはこのことか。

 

 高張り提灯が点る。

 ちろちろとロウソクの燈りが人々を封建の時代へ誘うのだ。



 町内を巡回した六町会の御神輿が浅間神社へ集まる。

 挨拶が終わると一本締め。
 
 わっ! 

 六基の御神輿が一斉に上がる。

 鳥肌が立つわ。 

 大勢の観客からうお~と歓声が上がった。

 夜神輿はじつに幻想的で魅惑に包まれている。



 お馬さんと赤子のにらめっこ。なんとも微笑ましい。

 日曜になり、いよいよ浅草神社の本社(ほんしゃ)神輿のお出ましだ。

 

 馬がひひんと嘶き、ぴーひょろぴーひょろ、お囃子がひと際高く鳴り響く。

 日頃の練習の成果が担ぎ手のみならず、観衆の心をとらえる。



 三之宮の登場。

 本社神輿が来ると、異様な興奮がわき上がるのだ。

 怒声が飛び交う。みな、本社の棒に触れたくて、殺気立つ。

 一葉通りは女の子たちの担ぎ番。ひい婆ちゃんは女が神輿を担ぐなんて、ヤクザだと叱った。その若い女性たちが半分を占める。

 マンチェスターユナイテッド香川の真っ赤なTシャツに半纏を纏った金髪の外国人も横乗りで参加だ。昭和に比べて、隔世の感がある。 



 宮神輿を無事に渡御し、町会神輿も堂々と担いだ皆の衆。

 いったい、何本のビール、発泡酒を飲んだことだろう。



 友達の家では茣蓙ををひいての大宴会。

 親戚の店の中華やら、千住の鮒忠の焼き鳥やら処狭しと料理が並ぶ。

 祭りで配られた弁当に、手製のつまみ。

 いっぱい担いで、一杯飲んで食って、地元の仲間とおしゃべり。

 サッカーへ出た次男も夜神輿に間に合って、ずっと担いでいた。

 来週から石浜、玉姫、熱田、鳥越と界隈のお祭りがつづく。

 見事な日本晴れのなか、浅草っこは今日も元気でござる

  


江戸の売り声、聴く♪

2014年05月10日 | ★江戸っ子エッセイ★



 GWから地元浅草で観光まつりが行われている
 
 祭りといっても一年中祭りのある賑やかな町。来週から三社祭もはじまる。

 全部体験するわけにはいかないけど、宮田章司さんが生出演とあっては是が非でも行かねばなるめえ。



 宮田さんは江戸売り声の伝承を芸としておやりになっている。

 芸能生活60年とのことだ。こりゃ、すげえこってす。

 某版元の元編集長からCDをお借りしたことがある。それが宮田さんを知ったきっかけ。

 調べるとNHKにもご出演なさっていて、テープやCDに音源を残されている。図書館で借りては聞く。家人につまんないと言われながらも、宮田さんの声に、遠きお江戸の裏店に思いを馳せるのだ。

 間違いなく、私の小説には欠かせない大切なものをくださった。



 仲見世の煎餅屋、ご兄弟で働いていたエピソードも聞けた。

 若かりし宮田さんはそれでは物足りなく、芸の道にはいる。

 そこで、運命のひと、坂野比呂志と出会う。

 病床についた坂野さんから「芸を継いでくれ」と。その遺志を固く守り、寄席の芸として江戸の売り声をこの歳まで続けられている。

 芸の合間のお話の端々に、血のにじむような修行、勉強の片鱗が見えた。 

 まさに、継続が芸を昇華させたのだ。



 生の売り声にうっとりと、居残って寄席の映像を観ていたら、ご本人が近くにお座りになった。

 私にしては勇気をもって話しかける。拙いが小説を書いていること、曾祖母の面影などをぽつぽつと話すと、かつて宮田さんが訪れた向島百花園の女将さんの粋な台詞を気さくに教えてくださった。

 思わぬ幸運に、心がうち震えた。



 「皐月花かねて聴きたし西風に」哲露

 宮田さんは、往時を生の声で伝承している。

 私は私のやり方で、文字で文章で、江戸にあった人情の欠片を伝えられたら本望だ。

宮田「何かリクエストありますか?」

海光「冷や水売り~」

 目の前の宮田さんにお願いした。

宮田「へえ、お客さん、よく知っているねえ」

 とおっしゃる。

 その昔、向島には上水の水が届いていなかった。そこで大川の上流などから冷や水売りが舟に乗ってやってきた。もちろん、冷蔵設備のない時代のこと。錫の器に水を汲んで、唇が、ひゃっこい、と感じるのが庶民の暑気払いの一興だった。

 こんなことがあるから、浅草を離れられない。

 宮田さんは末広亭や鈴本演芸場、浅草演芸ホールなどで芸を披露されている。

 お元気なうちに、またお目にかかりたいと思う。

 宮田さん、ありがとう存じました。

 やらねばなるめえ


  


清水寺と上野戦争。

2014年04月15日 | ★江戸っ子エッセイ★


     寛永寺から逃げる輪王寺宮

 福沢諭吉が慶応義塾を開いたのとほぼ同じくして、ついに上野戦争が勃発した。

 新政府の思惑や計算が狂い、この時代関八州では旧幕府軍に身びいきするものも多かった。

 徳川(とくせん)さまと永く親しんだ太平の世を市井の民はどこかで贔屓にしていたのかもしれない。

 江戸開城の翌日4月12日、大鳥圭介率いる一隊は桑名藩兵を併せて二千余名の大所帯で結集する。これに意気を感じた江戸の鳶職、左官などの職人兵も加わったというからまんざら捨てたものではないのだ。

 彼らは新政府軍を官賊 と呼び、自らを天兵と呼んだ。

 彰義隊はそんな流れのなかで生まれ、旧幕臣の澁沢成一郎や天野八郎は、輪王寺宮を擁して、慶喜警護の大義名分で動く。

 

  ときに、1868年(明治元年)5月15日。大村益次郎率いる新政府軍は、決死の覚悟で旧幕軍に対し総攻撃を開始する。

 旧幕臣渋沢成一郎(渋沢栄一の兄)と天野八郎がまとめた彰義隊は、近代兵器の砲撃を前に敗走した。 これは後の奥羽越列藩同盟の戦いにも影響を及ぼした。

 この年の7月、江戸は東京に改称された。 

 日本が大きく変わった瞬間である。




「山の段登り聞こゆる彰義の音」哲露


 西郷隆盛像にほど近く、彰義隊の供養碑が花見で賑わう上野公園に堂々たる存在感をみせていた。 

 教科書で学ぶ遠い過去でありながら、曾祖母の生きた元号であることを思うと、にわかについ先頃のことかと気持ちの奥底がぞわぞわする。 

 書けるだろうか。

 そんな思いを抱き、染井吉野の根っこで騒ぐ喧噪を他所に、清水寺の舞台から不忍池を眺めるのである。 

 家族を守るため、平和を願うため、皮肉にも戦い散った人々の生き様に思いを馳せる。

 相次ぐ家人の流感に一葉桜と花魁道中は見逃したけれど、今度の週末は隅田公園にて小笠原流流鏑馬の登場である。 

 まず、いまを乗り越えたい


  


大川に春が来た♪

2014年03月16日 | ★江戸っ子エッセイ★


          大寒桜


 「薄紅や卒業までの背丈見ゆ」哲露

 
 大寒桜の蕾がひらいた

 たゆたう流れ。空を見上げれば、雲も染みも何もない紺碧が広がっている。

 胸いっぱいに大気を吸い込む。

 花粉もPM2.5も全開で、平成の世はうかうかと深呼吸もできやしねえが、それでもこの蒼い空には心が躍る。

 

 寒桜の花が川沿いの公園に、艶やかなピンク色を染めている。

 カメラを構える人、犬の散歩中立ち止まる人、人も犬もユリカモメの顔もほころぶ。

 ようやく長く凍える灰色のトンネルを抜けた。

 朝陽も眩しい、浅草に春が来たのだ。

  

 カラダが軽い。

 永代橋まで走った。隅田川東岸を行くと芭蕉が見下ろす小名木川に出る。

 若い女性、カップル、拙者と同じおじさん。カラフルに纏うランナーが多い。

 およそ健康的な人の営みに、ホッと胸を撫でおろす。

 西岸を戻って、かつても火除け地、両国広小路の喧噪を思い浮かべる。

 大川の風を切りながら、自分だけの小説世界が広がっていく。

 これから暑いだろう夏に向けて、やっと自分の季節が来たと思うと嬉しさであふれる。

 敦盛の節に近づいた。

 人生五十年、下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり。

 幸若舞は踊れまいが、いっそ太極拳でも舞おうか。


      ソメイヨシノの芽

 染井吉野の芽が膨らみはじめた。

 仲間と酒を酌み交わす恒例の行事もあと三週間後。

 アラフィフでの結婚、男子の出産、児童文学の入賞と仲間の吉報がつづく。

 ソワソワとした気持ちのなか、私は自分のペースで、オリジナルの小説世界を書き綴っていく。

 春の陽光とともに、スイッチが入った。

 とかく生きにくい浮世でございますが、せいぜい風物を愛でて飄といきやしょう


  


大根マラソン

2014年03月09日 | ★江戸っ子エッセイ★


        三浦海岸にて

 先週予告してしまったのでご報告

 4年ぶりに戻ってきた三浦海岸。

 名物の三浦大根が記念撮影よろしく鎮座している。

 この時期の三浦の天候は相変わらずで、どんよりと肌寒い。

 関東の山では雪の予報も出ているほど。

 日中の気温も5.7℃までしか上がらず、氷雨による湿度は83.4%。北北東の風7.4mにプラスした海風がランナーと観客をなぶる。

 

 ハーフマラソンは昨年1月国立の新宿ハーフ以来。

 絞り切れていない体重に不安を憶えながら入念にストレッチ。

 千葉真子さんの元気な声とともにスタート!

 80mの高低差が続く三浦海岸から城ヶ島へのアップダウン。

 21.1kmのこの大会の締め切りは140分。結構厳しいのだ。


 

 坂道を登ると、大根畑が広がる。

 雨のなか、沿道の応援は温かい。

 子供たちの声に応え、冷えた体を鼓舞して走る。

 4年前の記憶以上に厳しい登り下りに、10km過ぎて腿は上がらず 、ふくらはぎはパンパンに張ってきた。

 やっぱりしんどいレースだ。

 海から吹き上げる強風、ひょうが交じった雨が横殴りに体に当たる。

 最後の登りをスパートもできない。

 そのままフィニッシュ!

 ワーストタイの1h54min、どうにか2時間を切れてホッとする。


    シーパラダイスのペンギン君

 ゴールの海岸に、たくさんの物産、露天が並ぶ。

 湯気の立つ料理に釣られ、走り終えたランナーたちが我先にと並ぶ。

 かじかんだ手で記録証をもらい、大根と記念Tシャツをもらった。

 動いている間はさほど気にならなかったが、寒風に体が固まる。

 金沢八景シーパラダイスのペンギン君にはちょうど良い気候なのかもしれないな。

 
     マグロ大根

 ほうとう鍋、まぐろラーメン、わかめスープ、美味しい料理がたくさん出店していた。

 だが、私の食欲は低温と疲労で減退している。

 小学校の体育館で着替え、ようやく人心地ついた。

 駅前にあった露天、三崎名産のマグロと煮込んだ大根が芯から温めてくれる。

 通りにオープンしたばかりのベーカリーがイーストのいい香りを立てていた。

 それらを買い込んで、ビールと一緒に京急で三崎へ。

 混雑を避け始発で引き返す作戦だ。


         河津さくら


「波しぶき凍てつく頬に花便り」哲露

 
 三浦海岸の駅前。

 河津桜の濃い紅色が目に鮮やかだ。

 ちょうどさくら祭りの時期だという。

 車窓から線路沿いに続く、桜並木。

 今年初の花見が、達成感と疲労感の心に沁みる。

 一緒に走った先輩が1分先にゴール。50歳を越えてなお進化する肉体に感嘆。

 仕事で走れなかった友人と、近いうちに慰労会が開こうと思う。

 それにしても雪にならなくてよかった。

 この調子でソメイヨシノは咲くのだろうか。

 封建から楽しまれる墨堤の桜。

 大川の花見を思い浮かべ、華やぎの春を願う今日この頃である

 

  


薬研堀不動尊。

2014年03月01日 | ★江戸っ子エッセイ★

 
                           佃島

 久しぶりに佃島まで走った

 ここから見える大川端に老舗の佃煮屋があり、由緒ある住吉神社が鎮座する。

 ここまで往復すると約20km。

 3/2の三浦国際市民マラソンはハーフ(21.1km)だからちょうど良いプラクティスなのだ。


      佃大橋からの眺め

 聖路加タワーがみえる。

 かつて電通が入っていたビルはお昼時に行くと、眺望のいいランチタイムがとれる。

 ポンポン船の佃の渡しは隅田川で最後の渡しであった。

 大川はこの島を境に分かれ江戸湾へ注ぐ。

 
    やげん掘不動尊

 今書いている小説に薬研掘が登場する。

 堀端から産まれた薬種で作られた薬研掘の七味唐辛子はここが発祥と言われる。

 スペインから伝来した唐辛子。寛永2年(1625年)のこと、からしや徳右衛門が漢方薬だった唐辛子に、山椒や麻の実、芥子の実、黒ごま、陳皮を調合して作った。当時は蕎麦の薬味のほか、風邪薬としても重宝されたようだ。

 京都の七味家、善光寺の七味もここから伝わったらしい。西の都からの下りものの多かった時代の数少ない江戸産の薬味だ。けだし、土地ごとに調合する薬草が違いそれぞれの地の味わいを楽しめる。

 私は山椒が効いて、青のりと紫蘇の入った香り高い京都の七味家もお気に入り。地元の薬研掘の焙煎と乾燥の唐辛子の大辛に山椒を多目に入れてもらう。これを蕎麦にのせると、じつにいい香りなのだ。これが我が家の味。

 ちなみに、善光寺は寒所だからか、けしの実の代わりに生姜が入る。 さぞ、温まることだろう。

 階段を登って作品の成功を願いお参りした。

 
    弘法大師の像

 こじんまりしたお堂の左手に順路がある。

 川崎大師別院の薬研掘不動院は、古くから目黒、目白と並んで江戸三大不動と呼ばれだ。

 境内を入ると、お遍路姿の弘法大師が毅然と見守る。

 

 講談発祥の碑もある。

 ここは両国広小路が近い。江戸縁の諸芸が盛んだった名残であろう。

 

 順天堂発祥の地の碑。

 学祖、佐藤泰然が天保9年(1838年)に和蘭医学塾を開講した地。

 

 梵字発祥の碑まであった。

 近くにあったが知らなかった。足を惜しまず訪ねると面白い発見があるものだ。

 

 歳の市は江戸の頃からその年の納めの大事な行事だ。

 コンビニやスーパーが元旦から開いている現代の合理主義に、年の節目に感じる心の変容や切り替えが出来なくなった。私たちは大切な何かを失くしてしまった。

 またしても、明日は雪の予報。

 海沿いの町はさすがに大雪はないだろうが、冷たい雨になることは避けられまい。

 一年以上のブランクでのぞむハーフマラソン大会。

 三浦大根がお土産につく。

 三崎名物のマグロ料理、三浦半島の地の青魚を楽しみに走ろう。

 一週間の酒抜きの真価を試したい。

 寒暖のみぎり、皆さんも体調にご用心あれ

  


東京マラソン2014

2014年02月23日 | ★江戸っ子エッセイ★


         先頭集団

 雷門まで行ってきた

 今年も無事に2月23日(日)TOKYO MARATHONがスタートした。

 地下鉄の通路を潜って、三定の向かいから観戦する。


「大江戸の目抜きひたひた色の河」 哲露



        車いすランナー

 まず、車いすランナーのトップ選手が通過。

 速いッ!

 先頭集団を待っていると、灰色の空から粉雪が落ちてきた。

 気温4.5℃とのこと。

 観戦する身にはお陽さまが待ち遠しいが、ランナーにとっては好条件である。

 
    ほぐっしー

 ゆるキャラが大流行りだが、どこのゆるキャラだろう?

 ほぐっしーも応援するマラソン大会、浅草周辺も大騒ぎになっている。


         金の龍

 金龍山浅草寺の名を表す金の龍が雷門通りを飛んでゆく。

 見事な舞にシャッター音も、人の歓喜も止まらない。


      櫻川流江戸芸かっぽれ  

 太鼓、金竜の舞、櫻川流かっぽれと沿道の応援が楽しい。

 半纏姿の老若男女は浅草っ子の意気と張り。

 カラフルなランナーたちのフォームと脹脛に見とれていると、どんどん体温が奪われてゆく。

 渋井選手が来るまでと待っていた。まだ太陽は顔を出さない。

 寒いぞ。



 伊藤舞選手が通過した。

 波の激しい渋井選手はずっと遅れて走り去った。

 その赤い髪を声援して、家でのTV観戦に戻る。

 帰り道、薬研掘本舗で唐辛子を調合してもらった。

 大辛に山椒を多目、これが我が家の味。



 来週の三浦国際市民マラソンのゼッケンが届く。

 昨日は佃島まで19km練習RUNNING!

 流感予防のため、体が絞り切れていない。

 昨年より体重が3kgは重い。だが体脂肪を12.5まで落した。

 三浦海岸から城ヶ島まで高低差と海風が待ち受けている。

 長男がセンター二次試験に飛び立つタイミングで断酒に入ろうと思う。

 さて、一週間でベスト体重にもっていけるか。

 お陽さまが出てきた。

 あとですこし走るぞ  
 


Snowy St. Valentine's day

2014年02月14日 | ★江戸っ子エッセイ★



 本日2月14日は聖バレンタインday

 汚れた都会を覆う真っ白い結晶は、神様から可憐な恋人たちへの粋な計らいであろうか。

 なんでもこの由来はローマ帝国時代にまで遡るらしい。

 時の皇帝クラウディウス2世が戦闘する兵士の士気が下がると結婚を禁じた。

 そのお触れを破り、キリスト教司祭ヴァレンティヌスは若者を結婚させたが為に処刑された、と伝えられる。

 紀元269年、 ルペルカリア祭の前日2月14日のことであった。

 

 息子二人が通った都内のサッカー練習場の一つ、某小学校の廃校の校庭だ。

 足跡ひとつつかない状態。数十年ぶりという都会には珍しいピュアな雪を敷き詰めている。

 真夏には野池で育ったボウフラが空を舞う運動場も、ひっそりと静謐なものだ。

 どこまで降り積もるのだろう。

 他の版元では早退の指示が出ているという。

 ハーフマラソンまであと二週間。明日も走れない。



 「ひたひたとよせる思いの白化粧」 哲露

 
 カマクラでも作って、創作に勤しむことにしよう。

 あ~、それにしても冬生まれだけど、冬は大の苦手なり。

 春が待ち遠しい大雪のバレンタインdayである 


さよなら国立。

2014年01月25日 | ★江戸っ子エッセイ★

 
        高校サッカー決勝

 月日は百代の過客にして………、俳聖のおくの細道にある

 正月明け、七草粥を食したと思ったら、大寒をとうに過ぎ、もう睦月が終えようとしている。

 こうして、肝心なことが何一つ進まないまま歳を重ねてしまうのだろう。

 新年も恒例の高校サッカーの決勝戦に行ってきた。

 オリンピックも決まり、老朽が言われていた国立競技場もこれが最蹴章だという。

 中学生だった長男が台東区連合陸上の代表選で金メダルを取ったのもここ、私も新宿ハーフマラソン大会、先輩たちとの駅伝大会と思い出が深い。そういえば、大学生の時に日韓定期戦を観たこともある。それから、Jリーグが始まった。ほとんど勝てなかった韓国戦にも自信を深め、アジアの王者になった。あの頃、日本がW杯の常連になるなんて誰が想像しただろう。

   

 ここ数年ライブで観戦してきたが、満員御礼は初めてのことだ。

 国立最後、富山県代表富山第一と石川県代表の星稜の北陸同士の対戦が影響したものと思われる。

  

 攻撃力が自慢の富山第一が終始攻め上がる。

 支配率も高かった。

 だが、決定的なゴールが奪えない。

 ゲームの流れというのは非情なもので、前半34分星稜寺村が一瞬のチャンスをモノにする。
 
 前半を1:0で折り返し、流れは星稜のまま、70分に森山が追加点を奪う。

 勝負あったか!

 俄然盛り上がる星稜応援団とは反対に、シーンと静まりかえる富山の応援席。

 もはや祈るしかないのか………。

 

 決して諦めないのが高校サッカー、毎年劇的なドラマを観てきた。

 そして、後半も残り3分。ついに富山の高浪が決める。

 さらに、アディショナルタイム3分の間に富山大塚が同点ゴール!

 気温が下がり躰が冷えていく一方、試合のほうは白熱していく。

 延長戦に入り、双方とも徐々に足が動かなくなる。選手を交代する星稜、ベストメンバーを代えない富山。

 それが功を奏したものか、延長後半ラスト1分に、富山の村井が決勝ゴール!

 

 

 歓喜に沸く富山応援席。

 

 対して、項垂れ、泣く姿の星稜イレブン。

 ミランに移籍した本田圭祐のデビューが報道される中で、下馬評では星稜有利だった。

 人生もスポーツも骨頂はライブ。

 諦めなければ、夢に手が届くという大切な気持ちを教えてもらった。

 二男と私たちはライブで、長男はセンター試験を前にテレビで観たはず。

 
         優勝杯授与

  

 報道のシャッターが切られる中、高々と優勝旗を掲げ、母校応援席の富山の方々にさぞ誇らしいことだろう。

 星稜の選手たちにはこの悔しさが明日へのバネになる。

 成功より失敗のほうが学べることも人生の定石なのだから。

  

 場外へ出ると早速読売の号外が配られていた。

 デジタル化というのはこういうスピード感なんだな。

 

 国立最蹴章と銘打った、高校生たちの汗にたくさんの勇気をもらう。

  

 キングカズのプレミアチケット。

 手配してくれた従兄弟に感謝。

 大手を飛び出し芸能の世界で独立した彼も元は高校サッカー部出身。

 刺激ばかり受けてないで、書こうぜ自分。

 隅田川で梅が咲いた。


「紅い花深呼吸して春感ず」哲露

 
 そろそろ、原稿に戻るとするか