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週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

留萌の海岸。

2013年08月27日 | ☆文学のこと☆

  
             「海のむこう」
         著:土山優 画:小泉るみ子
           新日本出版社発行
         2013年8月10日第1刷
 
 海が好きだ

 南国の柔らかい水も、北陸の猛々しい飛沫も、はるか地平線の彼方を眺め、波の音に耳を澄ませば、不思議と心が落ち着く。

 自然の力に油断はならないけど、畏怖と謙虚を忘れなければ、人は太古からこの膨大なる恵みを享受し、崇高なパワーと折り合いをつけてきたのだ。 

 20年以上前、留萌から稚内まで、海岸線を一気に走り抜けた。

 富良野回りで永遠と思える国道をゆくと、唐突に開けた大海原が見えた。あの感動は忘れない。

 後藤竜二氏が言っていたのだから、絵本はその描かれる線と点と色彩にすべてがあるのだろう。

 お隣の美唄で育った小泉氏の本領がまさに発揮されている。

 記憶に留めてある広大な国の空、土地、堅牢な家、糧となる舟、いずれも不可欠なものであり、自由と縛りのなかの表出の多彩に、リアルな映像以上に想像力が掻き立てられる。

 だがそのベースには、コタンの潮騒を聴いて育った少女の感性と体験が流れているのだ。結局、どちらが欠けても商品にならないのだから、生命の営みのようなものだ。

 絵本の奥深さを感じ、ため息する。

 頁を捲ると、多感で繊細で活発な少女があちらこちらに跳ねている。まるで絵本から飛び出しそうな勢いで。。

 海風が頬に当たるくらい伸び伸びと描かれたコタン浜、親密な家族の声、日々を生きる活力がそこかしかで息づいている。

 表紙の空の色が、鈍色に近い蒼、暗い印象を持ったが、そこが北海の本領だとするならば、誠に信を伝えていることになる。

 かつて海岸線を走っていると、ときおり波ごと引き込まれる怖さも味わった。

 海のむこう。

 少女はこの大いなる命の源泉に、どんな壮大な夢を託したのだろう。 


  

 
  「潮騒の音がコタンの子守唄」 海光

 
 巻末に添えられた、イラストをみたら、胸に迫るものがあった。

 子供の頃に仰ぎ見た大きな空。海の上を思う存分飛翔できたら、そのとき人は何を思うのか。 

 きっと読むほどに、読む年代によって、感じ方は千差ある。 

 内なる豊穣な語彙を削いだひと文字ひと文字に、土地の人の存在を感じた。

 誰よりも知的好奇心旺盛で、闊達な少女ここにあり。

 土山さん、初出版おめでとう。

 それぞれにしか紡げない物語はたしかにここにある

  


新吉原の芸者さん

2013年08月17日 | ☆文学のこと☆

   
            七好さんの幇間芸と、よし涼さんの三味線

 炎天下、短パン姿で久しぶりにハチ公前の待ち人を眺め、文化村通りを往く

 夏休みってこともあるが、相変わらず人混みの多い町だ。人種がまた浅草のおのぼりさんと違う。つまり若い!

 帰路H&Mに寄ると、モデルばりの女子がうじゃうじゃいる。そうここは原宿、青山の隣町だと思い出させる瞬間。かつて遊び、勤めた町、スペイン坂や公園通りまで行く気もしない暑さの中いそぐ。

 さて、今回は「吉原最後の芸者みなこ姐さん」の上映会。

   
        購入したみな子姐さんのパンフとDVD

 映画の中に、おいらの暮らした町、育った家が見える。

 土手から見える、見返り柳はおいらの亡き祖父ちゃんが書を認め寄贈した石碑が今も置かれている。あの日は、妹がテープカットして新聞にも掲載された。

 七五三、入学式、ハレの日にはこれも最後の引手茶屋「松葉屋」でかならず記念撮影した。

 この松葉屋に奉公し、15歳で半玉になった二三松さんは、みな子師匠最後のお弟子さん。

 二調鼓の唯一の継承者だという。

 衣紋坂を下り、五十間通りを通ったはとバスのツアー客を相手に育ったおいら。みな子姐さんや二三松さんのお顔を拝見したように思うのは錯覚ではないだろう。 

 今更、どうして、ひいじいちゃんはこの地を選んだのだろう?と思う。

 戦前、みな子姐さんが住んでいたという蕎麦屋大村の裏手は、幼い頃の遊び場でもあった。

 重曹で焚く、吉原の七町が煙で満たされていた。お歯黒塀が残る横手の吉原公園で、蠟石片手に麩菓子をかじっていた。

 当時はソープランドをトルコ風呂といった。

 二百軒もある数を不思議に思い、父ちゃんに聞くと、

 「あれは風呂屋だッ!」

 「銭湯にしては高いんだね?」(店の前に入浴料が書いてあった)

 「あれは高級なサウナなんだ」

 「サウナってこんなにたくさんあってどうすんの?」

 「…………」

 おいらもいま子供に聞かれたら困るだろうな。

 あの頃は、日本堤のいろは商店街の入り口に日活ロマンポルノの看板が眩しく、うちの並びにあったヌードスタジオのピンクのネオンがなにか怪しいと睨んでいた。

   
           
 大判小判を引っ提げなきゃ、そうそう見られなかった幇間芸が今日日はこんな形で見物できる。

 安原監督は、おいらとまったくの同世代。江戸に興味を持ち、みな子姐さんの追っかけになってくれた監督に感謝する。

 監督のエネルギーが同世代のパワーなら、おいらも書けるはずだ。勇気を頂いた。

 

 みな子姐さんは、7歳の時、北海道から上京、11歳でこの道に入り、なんと12歳で半玉、16歳で一本になった。それから80年という芸者人生を歩む。

 たくさんのご苦労もあっただろうに、この味のある親しげなお顔。

 芸は売っても、身は売らない。その気骨が芸一筋の生涯を支えたのだろう。

 ご近所だったという監督との交流も気さくそのものだったようだ。

 映画にあった「並木駒形」の一節♪

  山谷堀から ちょいとあがり

  長い土手をば 通わんせ

  花魁が お待ちかね

 どうです、粋な三味の音が聴こえてやきませんか。

 みな子姐さんは向こう岸に行ってしまったが、目を閉じ三味線に耳を傾ければいつでも会えるのじゃないか。

 全そ連の句会に、是非七好さん、よし涼さんのコンビをお呼びしたいものである。

 いい勉強になった。

 本物の江戸に触れられる、このDVD、今ならまだ手に入りやすよ。


  「猪牙やって引手通いも芸のうち」 海光

 
 最後は、吉原締めで、締めたい。

 ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、なな

 お後がよろしいようで


東大のある町で。

2013年07月05日 | ☆文学のこと☆

  
                     東京大学駒場

 思い立ち私鉄に乗って東大へ

 「敬愛する、絲山秋子さんがやっていて、面白そうだなと真似てみる。

 以下、今回は〈よろず五七五調〉でご案内。 」

 
         イザベラ・バード写真展

 イザベラは明治を旅するイギリス人。

 東大の駒場に飾る維新かな。

 写真展世界を股に飛びまわり。

 懐かしやカイロにハワイエジンバラ。

 京大の教授が語る世界旅。

 熱心に聴き入る人はみな若い。

 
      駒場東大構内のイタリアントマトcafe

 白門も赤門にもあるイタトマや。

 マイナスのイオンの包まれ瞑想す。

 涼風のベンチで油断蚊に食われ。

 日曜日おっさんのワシも大学生。

  
        井の頭線踏み切り

 踏み切りに並んだOLランチかな。

 階段を降りた所は商店街。

 長ランを久しぶり見て若返り。

 住宅の隅に粋な古書店や。

 のんびりと過ごす時間は宝なり。

 
          渋谷スクランブル交差点

 すれ違うマジック世界の驚愕や。

 Bハザード噛み付き少女ショッキング。

 変わらない変化の早さ世界一。

 ヒカリエに魅力感じずUターン。

 スイスイっと原稿進むメトロかな。

 
             奥浅草 浅間神社

 龍神の水もしたたる山開き。

 吊忍ぶチリリと鳴るは江戸の風。

 
              植木市 露天

 夕涼みビールの汗や植木市。

 嬌声も呼び子の声も夏の月。

 浴衣みて欲情しない柳かな。

 おばちゃんのタイラーメンはエビの味。


 五七五こんなくだりも愉快なり。
 
 お粗末でございましたm(__)m

 by 海。
  


声が聞こえるか!?

2013年06月16日 | ☆文学のこと☆

   
           「アサギをよぶ声」
      森川成美著 スカイエマ画
      偕成社 2013年6月初刊 

 同人、森川氏のデビュー第二弾がでた。

 アサギをよぶ声。タイトルからして魅力だ。スカイエマ氏のイラストがさらに興味をそそる。 

 間違いなく和の国の話。だが、太古のようでもあり、遠い未来のようでもある。

 森川さんの現代モノ、時代モノを読ませてもらったが、作者の懐の深さにため息が出る。

 アサギは、漢字でいうと浅黄。自身の躰ほどの長さの弓を引く少女に相応しい名前をつけた時点でこの物語大半は成功したのではないか。


 「おまえが男だったらよかった」 なんて母から言われて育ったら、おいらなら間違いなくグレたであろう。

 由緒ある父の血筋が仇になったとはいえ、特別な宿星にあるのは定番の物語の根幹とみた。

 「なにもないところからはじめることのできる力を信じるのだ」とは、まさに創作するモノすべてに送られた言葉だ。ご自身への励ましともとれる。 

 「実際に起きたことを認めること」これは本日書いたはいいが自信を喪失したばかりのおいらに送られた言葉。と勝手に思っている。

 声がするか否や。駄文しか書けない身には途方にくれる溜息だけが聞こえる。

 もときた道へ戻らない決心をしたモノにこそ、 日の光が差すのであれば、決して戻ることはすまい。

 アサギの成長が、そのまま読者の歓び、成長と重なる日が近々訪れる。

  

 「あるがまま身の丈に引く弓が降る」 海光

 そんな次作への期待を担った初刊である。


浅草生まれの作家

2013年04月28日 | ☆文学のこと☆

     
       「にげ道まよい道おれの道」
      著:今井福子 画:ふりやかよこ
     文研出版 2002年4月15日初版 

 浅草ゆかりと言えば、池波正太郎を筆頭に、荷風大人、沢村貞子、久保田万太郎、幸田露伴、山田太一などなど

 石川淳、泉鏡花、一葉や子規、鴎外もこの辺りに暮らしていたし、新しいところ!?では、吉本ばなな、山本夏彦など、題材として書かれたものをあげたら芥川龍之介までそれこそ切りがない。 

 同人の先輩に、今井福子という作家がいる。

 いまはこの地を離れているが、流れる血はまさに江戸っ子そのものだ。

 その気質は作品を読むとわかる。

 この「にげ道…」に出てくる彫師の卵の名が哲。そう、おいらの名だ。

 今井さんと知り合う前に書かれた作品なのだから、その奇遇に驚く。

 そして、表紙を開けば、わが町の全体図が見渡せる。おじいちゃんの家は、現在のおいらの家の傍だし、勇太の家はあの友だちの家、通ったプールに、母ちゃんにねだった懐かしい焼き鳥の味を思い出す。

 これでもかと随所に散りばめられた故郷のアイテムに、そこに暮らす市井の息遣いが新鮮だ。

 「まちがったことをしたらすげぇこわい、はんぱない」 彫師小暮源三を指して、暴走族あがりの哲が言う。

 「元気、やる気、その気。元気があって、やる気があれば、人間こわいものはない。その気になって本気を出せば、鬼に金棒…。」

 読んでいると本当に元気になる作品である。書けない言い訳を唱え、なよる背を押してくれる。

 源三の葬式の日、三社様に霊柩車をつけると、本社神輿が弔ってくれる。このシーンには思わず一緒になって拝んだ後、心のなかで拍手喝采してしまった。

 明日には皐月である。その三社様が下町人の肩にお乗りになって、町を練り歩く。

 お神輿と縁起を担いで、同人のお祝い会に司会として馳せ参じつもりだ。

 今井福子はまったく鯔背(イナセ)でござる。

  
          「止まったままの時計」
        著:今井福子 画:小林葉子
      文研出版 2005年8月20日初刊

 親友の自殺から始まる骨太のテーマに驚いた。

 あとがきで、作者自身が語っている。四番目の姉は戦争がなければ救えた命だったと。

 昭和19年、わずか三歳で亡くなったお姉さんは、軍歌を歌い、死ぬ直前に「天皇陛下ばんじゃい」と叫んだという。

 なんとも切ない話ではないか。

 親友大夢、通称タイムはなぜ自ら死を選んだのか。なぜ何も相談してくれなかったのか。

 翔も、帆乃香も許せないと思い、死をまっすぐに受け入れなかった。

 悲しい出来事や苦労が重なり、未だに戦時中に生きているひいおばあちゃん、アサさん。

 近所の子供たちのため、庶民価格でもんじゃを作るサナエおばあちゃん。娘として認めてもらえない辛さは幾ばくだろう。 

 病室の一室で、タイムスリップした翔と帆乃香は、それぞれツヨシとサナエになる。

 にわかに元気になるアサさんに涙を憶える。

 亡くなった後に渡された手紙は、アサさんからサナエに宛てたもの。娘はピンク色が好きだと覚えてくれていた。そのアサさんを慕う、サナエおばあちゃんの気持ちがやるせない。

 もしかしたら、タイムは翔に相談しなかったんじゃない。SOSのサインを出していたかもしれない。 見逃していたかもしれない。

 それらを抱えて、心を開こう、前に向こうと話す翔に希望を見た。

 ひとは生まれた瞬間から死に向かっている。これはどんな生き物でもおなじ。

 だからこそ、尊い命を精一杯生きなきゃ損だ。

 真の孤独を理解し、人との関わりなしに生きられない人としての業を受け入れる。

 その覚悟ができたら、まさに鬼に金棒だ。 

 今井福子の込めたメッセージに、シャンと背筋が伸びた。 


 「一刀に打ち込む魂さつき空」 海光
 
 
 
 週末、中野であった春の研究会。

 同人たちと集い、あさの代表に喝を入れられた。

 過去の作品にとらわれることなく、常に先を見つめる目を持ち続ける。

 その真摯と緊迫に痺れた。

 同人それぞれに感じたものがあったと思う。

 リアルに厳しい荒波の大海をゆく代表だからこその気合いが、カラダ中の細胞という細胞に染み渡る。

 

 源三が叱る。

 「心だ、心。この作品には、いちばん大切な心が入っちゃいねぇ。」

 一刀入魂。

 今井福子は同人のなかにあって浅草の粋を体現する先輩である。

 わが町の気っ風をここまで詳細に表現できた偉業に、感嘆とともに感謝申し上げたい。

 おいらも浅草生まれの物書きとして、しっかりとこの土地を描いていきたい。

 差し詰め、一筆入魂を肝に銘じ、新作に邁進したいものである
  


平成の花魁道中なり

2013年04月14日 | ☆文学のこと☆

   
               花魁 

 

 卯月も半ば

 墨堤では、カンザンや駿河台といった品種が見頃だが、ここ一葉通りのさくらは葉のほうが多くなっている。例年より早いソメイヨシノと同じく、盛りは終えてしまった。

  

 とはいえ、すっきりと晴れ渡った青空の元、 花魁道中が行われる。

 散らずに残った桜の花が春の陽光に輝く。

 なんて愛おしく切ないのだ。 

  
              舞台の見物客 

 新吉原にちなんでのイベント。花魁とともに、70年ぶりに復活した狐舞いも舞台で舞われる。外国客やちびっ子連れも多くみられた。

 沿道にもカメラやスマホを構えた人が目白押し。

 おっと、喧嘩はよくねえなぁ。

     
         禿、番頭新造の行列 

 公議も認めた遊郭は、様々に複雑なしきたりや階級があった。

 奉行も及ばない、独自の自治の囲われた特殊な町、新吉原。

 人形町にあった元吉原から移り、太夫も格子も減り続け、宝暦には揚げ屋も廃れている。

 最後の引手茶屋、松葉屋は学生までのいい思い出となっている。

   

   

   

 新吉原では、散茶女郎が最高級となり、呼出、昼三、附廻の三階級に分かれ、花魁と呼ばれた。

 皆さんご存知ように、禿(遊女の卵)が「おいらの姐さん」と呼んでいたのが語源とも云われる。

 その禿、新造と、順に列でお目見えする。
   
    
                   花魁道中

 

 派手な衣装に、前に垂らした色鮮やかな帯、髷と簪が見ものでござる。


 
  
  
              お狐さまの御成

 大晦日にご紹介した、吉原神社の狐舞い。

 なんと花魁と一緒に歩き、舞う姿も厳かなり。

  
  
           桜葉に包まれた浅間神社

 行列は浅間神社までつづく。

 この神様はおいらが初めて書いた創作の舞台である。

 

 吉原の土手まで流れていた山谷堀の緑も眩しい。

 こうした行事を季節の風物詩として見られる幸せをいま思う。

 書かにゃなるめえよ、おっかさん
  

  「花と舞う 禿とすする 茶漬けかな」  海光


清親に出会う。

2013年04月01日 | ☆文学のこと☆

  
             「小林清親」の浮世絵

 季節の変わり目の寒暖は古くからある現象だろうが、今年ほど酷いものも珍しいのではないか

 3月中旬に5月並みの温暖が訪れ、桜も大慌てで開花した。

 ところがどうだ。満開になってみれば、三寒四温なんて、生易しいもんじゃない、寒波が再び舞い降りた。

 先々週末は地元で花見を決行。息子のノロに寒風と疲労が覆いかぶさり、カラダが機能を失った。

 先週末も聞くだけで親しい人々が、花見を計画し、その余りの寒さに茣蓙を畳んだようだ。

 まるでお天道様が神をも恐れぬ人の所業にお灸をすえているかのようであるが、桜に関していえば、これだけ長く愉しめる年もない。

 清親の光線画のような四季折々の季節感が、美しい陰影を刻む時代がなつかしい。

 杉本章子さんはどうして遠く九州にいて、お江戸の市井をあれだけ描けるのだろう。

  
               向島の風景

 ご覧の絵は、おいらが生まれて間もない時期に集英社が刊行した「浮世絵体系」の清親の中からとったもの。

 内勤になって久しぶりに神保町の書店に出掛ける用事があった。その帰りに、破格の古書と出会ってしまった。

 小林清親と、春章の作品。ほか、豪華「肉筆浮世絵」 を衝動買いした。

 浮世絵体系は、縦43.0cm×横30.0cm×厚さ2.8cm 143ページ 3.1Kg。 二冊で6.2kg。肉筆にいたっては、一冊でその二冊分はあろうかという重さ。

 会社まで、自宅まで腕の筋トレには十分な重厚感である。そして、いつでも見られるという満足感もたっぷり。

  
                今戸夕景

 この今戸から山谷堀が通っていた。

 いまや花見の名所でもある。

 今年は今戸神社も陽の年で、本社神輿が出る。6月がいまから待ち遠しい。

 絵の今戸橋跡からほど近く、竹屋の渡しの石碑がある。

 ここで、この週末「第25回 桜橋花まつり」が行われる。

    
                    湯屋

 賑やかな湯屋に見えるように、下町の春はどこもかしこも笑顔でいっぱいだ。

 杉本さんの作品で知った清親だが、晩年紙洗橋に暮らした荷風大老も好んだ画家だとこの時代の博識、優女さんから教えてもらった。

 清親の写実も味わいがあっていいが、光線画の後描いたポンチ絵も風刺を効かせた心意気もみせる。

 墨堤の露天は3週続けての花見となる。

  
             特別純米酒「国稀」

 その花見句会に香りを添えようと、全その華、優女さんが北の誉れを送ってくれた。

 枝に残る桜の花びらを惜しみながら、皆で黄金の滴を飲み干そうと思う。

 酒は純米に限るとは、小林清親と同じ姓の画家小林豊氏の名言である。おいらもまったくの同感。

 合羽橋と仲見世を回って、句会の賞品も準備した。

 当日は気温もあがり、穏やかに晴れ渡るなかでの会合となるだろう。この週末まで持ってくれよと祈るばかり。

 山の宿の渡しに、集まる粋な兄さん、姐さん。

 大川を往復する出船に間に合うよう、皆さんよろしゅう

   
  「花ひらり 清明までの 命かな」 海光

 


蜘蛛の話し!

2013年02月24日 | ☆文学のこと☆

   
          「くものちゅいえこ」
      森川成美 作  佐竹美保 画
    PHP研究所 2013年2月27日初刊

 
 ついに、というか満を持して刊行された新刊「くものちゅいえこ

 同人、森川成美単著デビュー作である。

 ミツバチハッチのような自然界の大冒険かと思いきや、舞台は人間界のおはなし。

 柱時計、扇風機が活躍する古道具屋という設定に、昭和の香がプンプン匂う。

 世代や時代設定を選ばない筆の力はいまさら言うまでもないが、幼年ものにおいても抑えた才が全開である。

 おいらが読もうとテーブルに置いていたら、目ざとい二男に先行された。

 虫嫌いの都会っ子は、かわいいイラストを、気持ち悪いとのたまう。

 ところが、生み出された文章は、頁を捲る手を進め、一気に読み切らせてしまった。

 主役のちゅいえこ、父のちゅたるける。

 ふたりして疑問に思った。

 著者に会ったら、ぜひ名前の由来を聞かせてもらおう。そう思いながら、昨日の合評会で聞きそびれてしまった。

 その代わり、いろんな話しができた。

 向かい席の先輩、I女史のご主人は、なんと仁丹塔の前を都電が走っていた写真を撮っていたカメラマンだという。ぜひ、見てみたいものだ。

 いつか長男がてんとう虫の絵本を作った。上野の美術館に飾られたものだ。なんとなく雰囲気が似ていて、家族とも好感を持って話題にした。

 物語のなかで、前のことしか話さない(話せない)時計をかわいそうだと言うちゅいえこ。昔話しか話せない人は希望がないということだ。そうなると、本当に人は時計のように老けてしまうのかもしれない。

 これから、森川氏から希望溢れるたくさんの物語が生まれることだろう。

 大会で読ませていただいた、時代ものの傑作。

 あれは、かならず世に出してもらいたいな。

 季節風の先輩の活躍が目覚しい。みんな前の話しでなく、前を向いて書いているんだ。

 森川さんのお祝い会も待っている。

 今年の愉しみがひとつふたつ増えた。

 おいらも、マイペースで頑張ろうっと


  「向かい風 カラダつき抜け 小正月」 海光

 


あけましておめでとうございます!

2013年01月01日 | ☆文学のこと☆

   
        浅草寺宝蔵門からの後光


  「野次馬の初日に祈る可笑しさや」 海光

 
 あけましておめでとうございます

 いつもご愛顧ありがとうございます。

 拙いながらも頑張って更新して参ります。

 江戸っ子瓦版、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

    
          新年仲見世の賑わい

 思えば、昨年は平成の中村座が興行された喜びもつかの間、肝心の勘三郎さんが旅立ってしまった。いつでも観られるとタカをくくっていたらこの始末。年を追うごとに、やりたいと思ったこと、伝えたいと思ったことは躊躇している暇はないんだな、そう感じた年だった。

 また詳しく触れるが、暁九つ(0時)きっかりに、訳あって吉原神社に初詣した。70年ぶりの催しを見物にいったのだ。そして、氏神である熱田神社でお神酒をもらって布団をかぶった。

 眠い目をこすって、6時過ぎに浅草川へ出掛ける。

  

 西の空には、満月からかけた月がひっそりとその存在を輝かしていた。

 初日も有難いものだが、こんな月のような作品もいいな、と思ってしまう。

   
        築山から隅田川の眺め

 日の出の時刻になってもご覧の雲に隠れて、お陽さまが顔を出さない。

  
                初日を待つ人々

 下町だけに大勢の見物客がびっしりと川沿いを埋め尽くしている。

 今か、今か、と。。

   
           初日のとき

 写真ではわかりにくいが、どうやら初日の出がお目見えござる。

 ランニング姿で薄着のおいらの体は、そろそろ寒さの限界。吾妻橋に向かって体を温める。

    
           今日も日が昇る

 アサヒビール本社ビル、炎のオブジェ(うんこビル)の横から、神々しいご来光がみえた。

  
         鴨が川面をゆき、白サギが羽ばたく

新暦は明治政府が採用し始めたのだが、旧暦でいうと、本日元旦は11月20日。数字だけ聞くと、晩秋といったところか。

 睦月と言われた江戸では、凧が空を占拠し、大店の門松は4~5mと天を貫く勢いで、神様の降臨を願った。

    
        池波先生が愛した駒形堂

 正月の日本橋は、本屋が大人気でごった返した。めでたい七福神や宝船の刷物が飛ぶように売れたというから、江戸っ子の流行りもの好きはご先祖さま直伝なのだ。

 挿絵入りの草紙は、田舎土産に重宝されたというし、浮世絵、絵暦など贈答にも活躍する場面も多いことから、新年は新刊の時期でもあったのだ。

 さて、時代は移って平成の世。

 人々が列をなして並ぶほどの書物があるやなしか。

 物書きを自称するおいらの襟を正すのに格好の幕開けである。

   
            浅草寺本堂

 身分の低いものが空から武家屋敷を見下ろす痛快からついた奴凧という妙名。

 市井を描くおいらは、糸が飛んだ厄払いのタコではない。

 しっかりと、地に足をつけて、一筆一筆、の所存でござる

 


河童の遠足

2012年11月14日 | ☆文学のこと☆

  
                  曹源寺の河童さま

 ここんとこいろんなものに追われている。地に足がついてないとはこのことか。そんな折、ご近所に住む作家高橋うららさんから愉しい遠足にお誘いいただいた

 なんでも、拙作みの吉の貝独楽が季節風に載って、このブログで河童寺こと、曹源寺を紹介したのがきっかけになったそうな。これも嬉しいことだ。

 一番近い駅なのに一度も乗ったことのないつくばEXPRESSの改札で、河童の会の皆さんと、待ち合わせる。一同ぞろぞろわいやわいやと、合羽橋本通りを上野方面へ向かった。かつて新堀川という掘割があったとおりを越えると、右手に曹源寺の入り口がみえる。

 入ってすぐ、一種異様な河童のギーちゃんが出迎えてくれた。

      
      水木ワールドに出てきそうな河童のギーちゃん

  
                   ご奉納のキューリ

 禅寺の中にある、河童のお堂にくると、ご覧のリアルな男女?雄雌?の仲睦まじい河童の夫婦が鎮座している。

 お賽銭箱にのるキューリを見て、カブトムシと好物は一緒なんだなと妙に納得してしまった。

    

 安永年間の古地図にものる禅寺曹源寺だが、河童の伝承は文化年間の頃のこと。

 たびたびの洪水に対処するため私財を投げ打った合羽屋喜八(川太郎)。彼の窮地を、かつて命を救われた大川の河童が助けたのがこのお堂ができた由来。そして新堀川が完成する。

 以来、禅寺に祀られた河童大明神を参詣すると、商売繁盛するということになった。
 
      
                  河童大明神

      
                  河童のミイラ

 矢追純一、川口探検隊よろしく、ミリテリアスな匂いがプンプンする、河童の水かきらしきものも撮影できた。

      

 道具街にある黄金の河童さまにご利益を祈願し、池波正太郎記念館にご案内する。

 池波師匠の執筆時そのままの机やペンを見て、河童の会の方々も感得するものがあったらしい。
         
     
     
                どぜう鍋ぬき
  
 遠足の後は、愉しい会食が待っている。

 初めての方が多かった、どぜう鍋。丸はキツイだろうと、骨抜きを注文。賢明ですな、うららさん。

 このお鍋。父譲りのこだわりは、ゴボウとネギをお代わりすること。

 泥鰌の滋養が滲みたゴボウとネギが、最高の酒の友となるのだ。

 風邪気味の方も一発で治ったという泥鰌の力。予防にもなったはずだ。

 きっと江戸の頃は、田んぼや水辺にたくさん泳いでいたであろう、泥鰌。庶民の家々では、味噌汁など安価で手軽に栄養の取れる食材であった。それが今ではこうして頂く、お出かけ用の食材になってしまった。これも世の趨勢か。

 この飯田屋は以前にも紹介したが、東京の三大どぜうと云われている。

 建替え前は、寅さんの撮影にも使われた。そう云おうとしたら、お隣の会の方から立ち会ったことがある、なんて貴重な話も飛び出した。

   

 近郊も遠方も、各々お土産を買って、観光気分でお帰りに。

 あっという間の遠足でござった。

       

 河童堂にあった幟に、気になる文字が書かれている。

 今度海に行くときには、ここにお参りすると、波乗りが上達するかもしれない。

 一人そんなことを思ったおいら。

 嵐のような息抜き。刺激はビンビンいただいた。

 うららさん、河童の会の皆さん、お招きくださりありがとうございます。

 冒頭の写真奥に、川太郎の墓がある。

 河童さまのご利益がありますように
  

   「てっぺんへ手向けの水や川太郎」 川太郎の墓にあった句
 


糸子目立ってます!

2012年11月04日 | ☆文学のこと☆

     
           童心社本社まえ

 雲ひとつない晩秋の空に吸い込まれそうだ

 文化の日があけ、今年もあと2ヶ月残すとなる。先達たちのお言葉通り、まこと月日は矢のごとし感である。ついこの間、洗足池で花見をしていた気でいたら、来週はもう酉の市だ。

 今年は2の酉。8日と20日でござるよ。

 とはいえ、今日は旧暦でいうところの9月20日。気分よろしく、一つひとつの用事を片付けて前に進みたい。

 ここのところ、職場環境の急激な変化で、散歩する余裕もなかった。久しぶりに、早々と昼飯を済ませ、巣鴨まで散策に出かける。マラソンで膝を痛めて以来、大事を取っていたのもある。

 オイラの勤めるオフィスから坂を登ると、すぐに千石界隈。銭湯も残る下町と山手が混在した高級住宅街でもあるのだ。

 その銭湯を左手に過ぎると、童心社の綺麗な社屋がみえる。道沿いの展示スペースを覗くと、いとう氏の「糸子の体重計」があった。

 なんとなく嬉しくなって、スマホでパチリとしていたら、ランチ帰りのSさんに見つかってしまった。ちと恥ずかしかったなぁ。あとでメールして言い訳を。オイラは下着ドロボーでもストーカーでもないっす、はい

 自分の出版物が、こうして版元の顔として飾られている。これは誇りにすべきもの。いとうさん、早くもすごいなあ。

 やっぱり外にでるといいことがある。個性豊かな家々の庭に、渋柿や名前の知らない実がなっている。収穫の秋に、そろそろと食い気も増してくる。時間を無理やりこさえて、走らないといけないな。

 皆さんも、こんなに素敵な天気。たまには散歩に出てみたら!!

 秋の散歩の嬉しいニュースをご報告まで
 

   「坂道を登るとそこに秋みつけ」 海光


物語十戒!

2012年10月31日 | ☆文学のこと☆

   
              本郷合宿所 「鳳明館 森川別館」

 今年もこの季節がやってきた

 あっしが身をおく、同人の仲間たちが全国から集まった。

 その数、116名。学生から93歳まで創作への熱い思いを抱えた同志である。

   

 この地下にある大広間で、議長を命ぜられる。2012年の活動報告と2013年の活動方針を読み上げる係りである。皆さん、下手っぴでごめん。思ったより、エネルギー使ったな。

 あさのあつこ代表の宣誓で各分科会に分かれる。

 よちよちから現役の作家まで生原稿を引っ提げて、合評するのだ。

 がっつりとレポートやら意見やら、感想やら注文やら。

 笑い、引きつり、凹み、泣く2日間。

 まるで修学旅行に来た学生さながらなのである。

 辛辣な批評も率直さゆえであり、すべては作品がよくなりますように、との同志の愛情から。

 だから、その場でカチンときても、家に帰って熟せば熟すほど、その辛辣が親身だと悟り、ついには身に滲みるというわけ。

   
                物語9名の生原稿とレポート


       「ものがたりひとり一人の秋の声」 海光

 最初は戸惑い、不安だらけの参加であったが、これで3回目。

 季節風大会としては、34年目だという。

 これは、この規模の同人の集まりとしてはギネスじゃないか、とも思う。

 ドクターストップで来られなかった委員長の代理の土山氏の機転もすごいが、その体であってもスカイプという文明の利器で批評に加わった吉田氏の熱意には打たれるものがあった。

 改めて、後藤竜二氏の偉業に崇敬し、ありがとうと云いたい。

 あっしは、あさのあつこ、いとうみく両氏が世話人の物語分科会。

 ここは、あさの氏はじめ、作家として活動されている方、文学賞を受賞した方、同人での実力者、猛者が集まってくる分科会だ。

 物語を構築する困難と技、己をさらけ出す肝要と作家としての心構えを学んだ。

 まさに、物語分科会、珠玉の十戒だ。

 
       秋田産「天壽」

 初日合評の後は、愉しい夜会合が待っている。

 秋田の井嶋宅から銘酒が送られてきた。昨年も堪能した大吟醸に狂喜する。

 選び抜かれた酒米を磨きに磨いて絞った酒精は、驚きの吟醸酒だ。洗練された香りは甘く、舌にのせると品のある辛さに包まれた。

 極上のボルドーは農業国の豊かを運んでくる絶品の果実を含んでる。たくさんの差し入れをいただく。

 もちろん、ご本人と一緒に盃を交した。井嶋さん、ごちそうさまでした

 この2年で知り合いも増え、愉快で濃密な幸せを満喫した。

 また、この大会から同人に引きずり込んだ先輩も、初回のあっしと同じだった。軽い興奮と高揚、創り手たちの強いエネルギーに触れ脱力した顔には、愉悦と己の可能性への期待が含まれていた。お誘いしてよかった。

 初日はレポート。二日目はあっしの合評。無事におえた。

 最後にあさのあつこが問う。

 プロとアマの差とはなんぞや?

 その答えのひとつは、毎日、1枚でも原稿を書き続けること、なのだそうだ。

 大明神のお告げだから、その通りでござろう。

 大会後の日曜も根津で一杯やって、帰ってから書いた。

 月曜も朝と夜書いた。

 火曜も書いた。

 こうして、覚悟と習熟が積みあがっていくのだな。

 幹事会、大会運営に携わった皆さん、本当にお疲れ様です。 

 そして、熱き思いの同志たちよ、ありがとう。

 あっ、これってどっかの国の労働党みたい、だな。

 脱力のあとにくる、充実とやる気に、いま、包まれている




 


ガーナからの贈り物!

2012年08月28日 | ☆文学のこと☆

      
               「チョコレートと青い空」
         著:堀米薫  画:小泉るみ子
         そうえん社(2011年4月発刊)
 
 

 クレヨンで塗りたくったようなイエローの表紙が印象的だ。そこにガーナチョコレートの文字色が映える

 「チョコレートと青い空」。

 季節風の先輩作家三人のお祝い会で、手に入れた本である。

 同人の堀米薫氏が児童文芸新人賞を受賞した作品であり、2012年度の全国青少年読書感想文コンクールに選ばれた課題図書でもある。

 裏表紙を開くと、青く描かれた世界地図が見える。

 主人公のぼくんちとエリックさんの生まれた国ガーナの距離感が一目瞭然だ。まさに地球の反対側って感じ。

 出だしはいたって純和風のおでん鍋の描写から始まる。

 周二が大好物のはんぺんをつまむと、お父さんが一家の重大事を話す。

 ガーナからの研修生を迎え入れるという。おでんを食べる日本の正しい夕食の話題にして、なんと、不釣合いな話だろう。それがまったくもって違和感なく書かれ、いつの間にか物語の中に飛び込んでしまう。

 これが、堀米マジックだ。

 最初に書いた小説が本になって、次々と形になっていく。そしてこの本は課題図書だ。なんといううらやましい才能。 

 ウチにはなかったが、外国の研修生や留学生を受け入れる話はたまに聞く。

 掘米氏の実話というから、そういうおおらかなご家庭の雰囲気が素敵だ。

 読み進めると、長男の一樹くんはまさに反抗期真っ盛り。まだ真っ直ぐな純粋を残す二男の周二や幼い無邪気そのままの妹ゆりのごく自然な家庭がそこにある。

 エリックさんと農業や牛の世話をともにしながら、兄弟たちは成長していく。教えるお父さんもまた自分の仕事を再確認し、前向きに生きる姿勢が新鮮だ。そう子どもだけでなく、大人だって異文化に触れると大いに成長できるのだ。 

 エリック、コフィ、マンフェイ。金曜日に生まれた男の子という意味の名を持つ、エリックさん。

 ガーナでは生まれた曜日を名前につけるという。

 周二は、シュウジ、クワメ。

 ゆりは、ユリ、エシ。

 そして、反抗児、一樹は、エリックさんと同じ、カズキ、コフィだった。

 生まれた曜日がさらっと出てきて、お母さんの愛情がそっと伝わってくる。

 殺風景な見慣れた田舎の景色を、ビューティフルというエリックさん。

 同じ反抗期を故郷の家族へぶつけてきたエリックさんの一樹を見る目が優しい。

 両親不在の元、水びたしになって仕事をこなし風邪を引いたエリックさん。

 意固地な自分が手伝わなかったことで病気にしてしまったと反省する一樹もまたいじらしいのだ。

 マーメ。パーパ、と素直に遠い故郷の両親を呼ぶエリックさんに子供たちも胸を衝かれる。

 ガーナと言えば、チョコレート。でも、産地であるガーナの農家ではチョコレートの完成品を口にすることはまずないという現実。珈琲コーディネートの勉強をした時も、そんな話を学んだ。

 こんな貧困な発想しかないおいらにたくさんのメッセージを送ってくれた作品。

 堀米さん、メダワセ


   「チョコレート甘く切ない秋の蝉」
                     海光


かっぱ寺

2012年08月08日 | ☆文学のこと☆

    

 わが町、台東区松が谷に、合羽橋本通りという商店街がある

 浅草国際通りのすきやき今半から、昭和通りまで続く道に商店が軒を連ねている。あっしの大好きな夏にぴったりのどぜう鍋も、ここの通りの老舗飯田屋で味わえる。

 お江戸と呼ばれた時代、この通りを横切るように、新堀川が流れていた。そう、江戸が水郷の町であった頃のこと。

 今回、同人誌「季節風」に掲載していただいた、「下町長屋物語 -みの吉の貝独楽-」はこの町が舞台。

         かっぱ寺曹源寺

 主人公のみの吉が遊んだかっぱ寺は今も現存している。そう実物のお寺さんなのだ。

 河童大明神が祀られ、お堂には河童の手のミイラが安置されているという曹洞宗曹源寺がここだ。

 水はけの悪かった文化年間の頃のこと。

 雨合羽を商売とする、合羽川太郎が私財を投げ打って治水をした。土着が当たり前の昔はそういう気骨ものがおったのですな。その時、かつて命を救われた河童たちが手伝い見事掘割ができたという。

 この伝承が残る寺。

 江戸時代は、お寺や神社は子供たちの遊び場所だった。町ぐるみで子育てするシステムが構築されていたから、親も安心して仕事ができた。土地の人徳者である、和尚さんや神主さんが、お八つも出してくれたのだ。

 豊富に与えることが当たり前の現代でも、おやつに惹かれる子もいよう。少なくともうちの子はそうだ。

 夏休みのラジオ体操も、お菓子に釣られて、眠い目をこすって寝床から起きてゆく。

 子供に厳しく優しい町。かつての下町はどこでもそうだったのだ。

        かっぱのお八つ 

 この菩提寺には合羽川太郎も眠る。

 子供がいきいきと遊びまわれた時代を、これからもあっしは伝えていきたいと思う。

 今の日本じゃ、さぞ河童さんも住みにくかろうな

         

 
   「住みにくや 河童もつぶやく 江戸の夏」
                          海光

          


おねえちゃんっていいもんだ!

2012年06月28日 | ☆文学のこと☆

    
     著:いとうみく  画:つじむら あゆこ
     2012年6月30日 第1刷 岩崎書店 


 「妹と アイス取り合い いち抜けた」
                                  海光


 同人のいとうみくさんの新刊

 先日デビューしたと思ったら、もう2作目が刊行された。出版記念パーティーで売られていた準備のよさ。こりゃあもう、売れっ子作家顔負け、その素質充分ですな。

 このお作、リズムとテンポが抜群

 大人になってしまった今だから分かる、ナッちゃんこと、かいじゅうと呼ばれる妹はおねえちゃんが大好きなんだ。

 大好きで、大好きで、だからいつでも一緒にいたい。

 思えば、齢のはなれたうちの妹も背伸びしてよくおいらのケツを追っかけて怪我をしていたっけ。懐かしいな。

 あっしも、上が欲しかった。お兄ちゃんがいたらなあ。何度も夢想したことか。だから、学生の時も、社会人になっても、先輩ができると無条件に敬愛して何でも話してきた。

 信じて裏切られて人間不信になったこともあった。

 でも、今ではすべての出会いが必然だったと思ってる。

 ココねえちゃんもホントは分かってるはず。だって、おかたんの娘だもんな。

 花やしきのジェットコースターのような物語。

 もっと読みたいなぁ、この続き。

 絵本の面白さが満載。

 これが同人のみんなが言ってたいとうみくさんの実力なんだ。

 成人向け、幼年向け、ぜ~んぜん関係ないね。

 面白い物語に年齢制限はないのだ。

 本を楽しむというシンプルな面白さが味わえる、出来立てホヤホヤ。

 読んだら一日がハッピーになりやす。

 今すぐ、書店かアマゾンへGO!!みなさん乗り遅れないように