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週刊浅草「江戸っ子瓦版」 -のんびりHiGH句な日々-

文学と食とRUNの日々を、PHOTO5・7・5で綴るエッセイ♪

呑気な緊張。

2014年10月27日 | ☆文学のこと☆


          森川別館鳳明館

 澄み渡る碧さも眩しい秋の週末

 今年も本郷の台地に仲間が集まった。

 緑に覆われた門をくぐった。

 水を打たれた石畳に気が引き締まる。

 同人誌季節風の泊りがけの合宿がはじまる。



 大広間の総会、ぼんやりと聴いていた。

 あさのあつこ代表が立ちあがる。

 地下に響く、凛と発した言葉が、私を現実に引き戻す。

 そうだ、漠然と生きるのではなく、何を成すかがもっとも大切なのだ。

 私は【愛の物語分科会】に参加。

 昨年に続いて、越水利江子、土山優両師匠にお世話になる。

 参加者は12名。創作10篇、評論1篇。

 ひと月かけて読み込んだ生原稿を元に、一筋縄でいかない御仁たちがあーだこーだ。

 どの言葉も作品をよりよくするための真摯な助言に満ちている。

 私と小西大兄の作品は初日に終える。

 それぞれに抱える思いを癒すため、日の落ちた本郷の町に出た。


          おでん「呑喜」

 言問通りを渡った先に、老舗のおでん屋がある。

 その名も「呑喜」。

 明治20年の創業だという。

 なんと。。




 店に入るとラッキーなことにカウンターが空いていた。

 横には東大生と思しき若者たちが味の滲みた芋を頬張っていた。

 大振りのそれは、カラメル色に染まっている。

 東京でも珍しくなった醤油たっぷりの関東炊きだ。



 私はツミレ、筋、ガンモ、はんぺんなど頼み、サッポロラガーをぐびり。

 緊張感の張りつめた合評で強張った肩が、解されていく。


【呑気にもぬる燗飲みつ筆は持ち】哲露




 燗酒に切り替え、今日を振り返る。

 年輪を重ねた琥珀は、何千、何万の呑んべの肘を支えてきたカウンター。

 辛口がしみる夜。

 大根が煮えるにはまだ時間がかかるとのこと。

 残念だ。

 代わりに頼んだお新香が素朴でいい。

 東大のおひざ元、歴代の首相経験者やら各界の大物が通った暖簾。

 同人と杯を交わすため、早々に店を出た。



 20代に憶えたMac。「日曜日のiMac」の著者、山川健一さん親子が飛び入りの参加。

 脱原発の急先鋒で、名うてのロッカーであり、プロデューサーであり、プロフェッサーであり、書き手である。越水師匠に紹介してもらう。

 若き日の憧れの方と話せて、思わぬ収穫だ。

 山川さんとお嬢様で若き作家でもある山川沙登美さんはその場で同人に入会されたとか。なんとも不思議なご縁である。

 そして、毎年、天水を差し入れてくださる奇特な先輩ご夫婦。

 磨きに磨いた天の酒精は、微かな色をまとい、米粒の深みを残している。この珠玉は、この地下でしか飲めない。

 フレッシュな果実をそのまま含んだようなモノ、湖の底に沈殿させた宝石のようなモノ、ワインの名品もいくつか飲ませていただく。

 同部屋の高田さんからも佐渡、新潟の地酒を振る舞われる。そして、櫻井さんからも。

 なんという贅沢。

 グラスや茶碗に満たされた、虚栄と慢心、率直と反省、宣誓と失望。

 交わす言葉の鋭さと重みこそ、現代の寺子屋。

 安酒に慣れた内臓の襞が各地の銘酒に洗われ、 勇み尖った気持ちを溶かしていく。

 ただ、呑気に飲んでるわけじゃない。

 はしゃいだ宴は2時まで。タハッ。

 井嶋さん、今年も御馳走さま。 

 高田さん、櫻井さん、呑んべに名水をありがとう。



 二日間に渡る、合評を終えた。

 バブル全盛のゴールデン街に迷い込んだような濃密な気配が充満した小部屋。

 推薦作は、越智さんの「キタキバシリ」に決まった。越水師匠の的確を胸に、きっと名作が完成することだろう。

 発表した安田さんがひとこと、

 「疲れた!」

 場内がどっと湧いた。

 だが、みんな知っている。この疲労はただの虚脱ではないと。

 薄い木枠の窓ガラス、そろりと歩くと軋む廊下、清潔な洗面所、紅い座布団、染みのついたフスマ、窓からみえる洗濯物、赤門に佇む学生たち、陽に輝く銀杏並木。

 どれもが私の秋の風物詩となった。

 こうして文字を書いていることがかぎりなく幸せだ。

 あれも書きたい、これも書きたい。

 私を推してくださったありがたい同人たちに感謝。

 今日の一票が背中を押してくれる。

 脱力のなかに僅かに芽生えた光の粒が、やがて誰かを燈す日が来ますように


 追記

 近江屋さん、大会委員長という大役はホンマ大変やったと思う。本当にお疲れさま。

 幹事会、関係者、同人の皆様、今年も何かをいただきました。どうもありがとうございました。

 
【お知らせ】
 


 11月15日(土)、子どもたちのことを考える、フォーラムが開催される。

 詳しくは、 http://www.jpic.or.jp/event/jpic/2014/10/09161959.html へ。


作家の輝き。

2014年10月18日 | ☆文学のこと☆



 2014年10月16日のこと

 職場を早く抜けさせてもらい、神楽坂に向かう。

 児童文学作家で、日本児童文学者協会の理事でもある加藤さんのご厚意で、予約をせずに、【子供たちの未来のために】フォーラムに参加できた。

 やや遅れて到着すると、会場は約270名にも及ぶ、人々が集まっていた。

 特定秘密保護法の違憲性を問い、廃止にしようという児童文学に関わる大人たちの集い。この問題に関する関心の高さが伺える。



 グローバルに法の世界を説く慶應の名誉教授の小林節さんの講演から始まった。

 ときにブラックなジョークを交える砕けたお話しは、法に疎い私の煩悩にもすんなり入るほど判りやすい。なるほど、頭脳明晰だけでは教授はできないのだ、と学生時代を思い出した。人気のある教授は、実績だけではなく、話術に長けた方が多かった。

 5分の休憩を挟み、リレートークがスタート。

 あさのあつこさん、いわむらかずおさん、さくまゆみこさん、武田美穂さん、森絵都さん、岩崎書店の岩崎社長が順にお話しをしてくださった。

 それぞれの家族や社会背景を元に、それぞれの思いや痛切を、ときに強烈な辛口とユーモアでたっぷり語られる。特定秘密保護法の問題は、平面だけでは論じられないということだろう。

 原発の問題、集団的自衛権の問題と複層的に論じる方が多かった。

 それにしても、皆さんおしゃべりのお達者のこと。話しに長じてないからこそ、物書きになるもんだと思っていたけど、高橋うららさんのおっしゃる通り、昨今の作家はおしゃべりができないと第一線には立てないようだ。 

 森絵都さんは作家としての自分と個人としての自分を分けて考えているとおっしゃった。

 だが、皆さんの話しを聞いていて思ったことは、 作品の個性そのもののように、語る口調にも個性が宿っているということ。

 加藤さん、司会お疲れさま。関係者の皆さん、ありがとうございました。

 帰りは、その刺激を胸に神楽坂の石畳を下ったのである。

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 そして、本日18日は息子の家庭教育学級というのに参加してきた。

 講師は、第20回松本清張賞を受賞された、山口恵以子さん。

 そうこの名前と響き、どこかで聞いたことがおありだと思う。

 食堂のおばちゃんが大きな文学賞を取ったということで、時の人となった方だ。

 早稲田の学生時代、就職活動をせず、漫画家を目指し、宝石会社の派遣などをしながら、漫画家を諦め、シナリオのプロットを書いてきたエピソードを伺った。

 話題とされた、食堂のおばちゃんが苦節25年の末という表現は正しくないそうだ。

 実際には苦労も挫折もない。

 彼女には、幼き頃から物語を創るというはっきりと見える一本の糸があり、 その糸を手繰ってきたら小説家としての賞を得た、ということらしい。

 ここにも、確固たる作家の意志が感じられる。

 先のフォーラムの作家たち同様、ときに辛辣なペーソスを交えながらも、ユーモアも忘れてはいない。

 時間の感覚にルーズな娘の指導に困った方の相談には、インドへ行け!
 
 これには笑った。

 また、会場にはそのインド人の会社で働く方もおり、10年先の計画を考える日本人の滑稽をインド人に嗜められた体験を語られていた。なるほど、土地や文化の尺度、モノの見方を変えると風景がまるで違って見えるのだ。

 この意外でかつ単純なロジック、およそ気付かないで日常を過ごしてしまってないか。自問してみる。

 ここ一番では全力で立ち向かう、その末の敗北は決して挫折などではなく、諦めがはっきりすることで、新たな道が切り開かれる、次のステージに向かう好機であると山口さんはいう。

 諦められるほどの全力を投じたか!

 この世は輝ける闇。ハイデカーと開高健の投げた球を私はいまだ追い続ける。

 来週は、窒息するほど密度の濃い、作家集団の合宿である。

 いろいろと刺激をもらっている、文学の秋である
  

 【道半ばベンチで鮭の握り飯】哲露


紅玉忌といちばん蝉

2014年07月25日 | ☆文学のこと☆


            自由学園明日館

 7月19日。わが同人にとって大切な日、紅玉忌があった

 いまでも書き手に大きな影響を与える後藤竜二氏の作品を語り偲ぶ集まり。

 JR池袋から近いと思ったら、案外離れた場所にあるのね。

 不安になりながらも住宅街をずんずん歩く。すると婦人の友社の看板があり、そのすぐ先にあった。

 学園に入ってからも迷った。そう私は都会育ちの田舎者である。

 アロハ柄にストローハットで扉を開けたら、いとうみく氏に笑われた。

 洋平大兄の隣に座る。かつてこの近所に暮らしていたと知って驚く。


『紅玉忌鳴く蝉いずこ雨のなか』 哲露




 広瀬恒子さんが後藤文学を語る。児童文学を永く見つめてきた洞察は深い。

 丹治京子さんが読み語りをしてくださる。丹治さんは新日本出版社で数々の後藤竜二の本を編集された方だ。

 鈴木びんこさんが絵描きと作家の距離を、エピソード交えて話してくれる。

 他に、画家の佐藤真紀子さん、津久井恵氏、高橋秀雄氏、土山優さんが知らない話をたくさん聴かせてくださった。

 メールと封書のやり取りしかない私。

 電球色の効用か、そんな私にも後藤さんの気配が感じられる。

 隣の大部屋では盛大で親密な結婚式が行われていた。

 庭の芝生で深呼吸した。

 今年初めての蝉の声を聴いた



 池袋の町を、西から東へ同人たちが民族大移動。

 JRの高架を登ったり潜ったり、ビール目当てに宴会場を探す。

 あちらこちら膝突き合わせて語り合う女性たち。

 むせ返る熱気に、私は気圧され、ただ鍋にサーモンを足し、うどんを盛る。

 雪女が白鹿の冷酒を頼み、文学のこと、子育てのこと、四方山話に花が咲く。

 思いついて、同じテーブルの面々に、紙を配る。

 即興の句会を提案。

 文句いいつつもそこは活字のプロたち、10分で、575が8句集まった。

 天地人の各賞の俳句でしめる。


『紅玉忌天上で彼おだあげる』 いとうみく 

  さすが流行作家。あっさりと天賞なり。

『紅玉の色づくまで苦節あり』 なやむつお 

  なやさんのお人柄がそのまま伝わるいぶし銀の句。

『紅玉忌心に白い花一輪』 雪女 

  素直な心を詠まれた高田さん。いとう氏から創作について突っ込まれるオチがあった。

 
 部長、幹事、お疲れさんでした。



【翌日】


 結局、3次会の午前様。

 朝型のじじいだが、日曜日は8時まで起きられなかった。

 仕方なくRUNを諦め、インドカレーを作る。



 ゴーヤを入れて、カルダモンとシナモンを大目に入れた。

 青唐辛子も足してみる。

 うん、スーとする辛さがいい。

 ゴーヤは別盛りがいいと、次男が機嫌を損ねた。難しいお年頃なのね。


【木曜日】

 
 たまの出張にでる。

 震災の年に、被災地へ行った時は動いてなかったスーパーひたちに乗る。



 田園風景のいわき市へ。

 自販機しかないローカル駅は素朴そのもの。



 神田明神下の弁当を買う。

 今年はじめての鰻は一口サイズ。

 明日は、いよいよ隅田川の花火。

 昨日のフットサルはゲリラ豪雨で中止。

 今年こそは、大川に大輪を咲かせてほしいものである
 

  


鍵のゆくえ。

2014年07月19日 | ☆文学のこと☆


      【白い自転車、おいかけて】
     著:松井ラフ  画:狩野富貴子 
     2014年7月22日 PHP研究所発行 

 
 平日の夜、残業して帰宅すると一通の封書が届いていた

 封を開けると、河童の会の松井ラフさんのデビュー作が入ってる。

 弱輩にまで気遣って送ってくれる、松井さんの優しく強い目元を思い浮かぶ。

 表紙には、白い自転車、おいかけてという可憐なタイトル。それに似つかわしくない女の子の目が気になって頁を捲る。


  


「仕舞ってたこころの鍵や虹の空」哲露

 
 この小さな鍵が重要なモチーフとなってくる。

 どこの家庭にもある平凡な日常。

 だがその平凡な毎日の暮らしのなかにも、時折不協和音が忍び寄る。

 静かな営みの池に、暗い感情の石が落ちてさざ波が立つのだ。

 幼いゆかのなかにある独占欲が一つのきっかけで複雑な感情が発動する。日常は平凡に見えて、その実各人の行動と感情により波乱に満ちる。人生はいわばその連続とも云える。

 

 淡々と、丁寧に紡がれる描写は幼年物の基本なのだろう。

 モノクロとカラーの効果により、ゆかの気持ちを対比させる狩野さんの手法が活きている。

 モノローグが続いたあとのこの絵。ゆかの孤独と不安が胸に迫る。

 水辺を好む私は、自然物語世界に入っていく。
 
 

 そしてこの夕焼けのシーン。

 姉妹それぞれに思う気持ちが、松井さんの文と一体となって迫る。

 第14回創作コンクールつばさ賞の優秀賞(幼年部門)というのも合点がいく。

 膨大な紙の消費があって、この作品が誕生したのだと察する。

 文字の少ない幼年物の難しさを、物書きの下積みも少しは理解できるようになった。

 松井さん、デビューおめでとうございます。素敵なお話をありがとうございました。



 それにしても、自転車の鍵というのは、どうして突如消えてしまうのだろう。

 コロボックルが隠して遊んでいるのだろうか。

 そして忘れた頃に戻ってくる。

 創作も、人との出会いもその繰り返しなのかもしれないな。

 今日は、同人たちの心の故郷、後藤竜二氏を偲ぶ【紅玉忌】がある。

 大勢の作家や絵描き、編集者に囲まれて、また新たな触発があるだろうか。

 例年より早まった足立の花火に後ろ髪ひかれつつ、無限のエネルギーが集う会場へ向かうとしよう 


キリコ・デ・キリコ.

2014年04月27日 | ☆文学のこと☆


         【カフェ・デ・キリコ】
      佐藤まどか 著  中島梨絵 画 
     2013年4月25日第一刷 講談社刊 

 古い石畳、赤錆びた鍵穴、高い天井、日の差すバルコニー、ツタの絡まる建物

 公証人の末裔の家、堅牢な門を風が抜ける。

 重厚な歴史を積んだミラノのもう一つの顔は大都市の慌ただしさ。

 時間に追われるミラネーゼに、カフェは必須なのだ。

 ジーンズ姿、ショートカットの似合う霧子は母と二人、父の故郷のミラノに降り立つ。

 日本人の母と相容れない祖父から、勘当された父を亡くしたばかり。この地この家で母と再出発する。
 



 「カフェすすり苦いと笑い更衣(ころもがえ)哲露

 隣人であり良家のアンドレア、ダヴィデに助けられながら少しずつ町にとけ込む霧子。

 蜘蛛の巣だらけの空間を、居心地の良いカフェに生まれ変わらせる。

 母に対する複雑な感情を抑えながら。

 母のインテリアセンスは抜群で、そこに霧子の思いつきと工夫が物語に色を添える。

 日本語に渇望する環境だから、母に話しかけてしまうという部分は異国で暮らす作者の人間観察の賜物だろう。

 

 異国での再生、編入先の学校のこと、気になる金髪の男の子、材料は揃いすぎているがゆえ、これらを一作にまとめるのは容易ではない。

 坂の町の彩り、クラシックの調べ、ミラノの季節感、カプチーノの香り、一癖も二癖のあるミラネーゼ、国や出生の異なる人々と、作者はじつに丁寧に、飽きさせることなく描写していく。
 まるで紙上ギャラリーのように。

 不安と期待、一途で真摯な霧子の言葉が全篇を心地よく締めてくれる。

 年老いた常連たちはアンティークの椅子で居眠りし、木のテーブルで執筆し、カノーヴァのパンナコッタやダヴィンチのクッキーで癒されていく。 



 日本人特有の気持ちを察して寄り添う安心感も大切だと思う。

 だが、ときに泣いたり、思いの丈をぶつけ合うことなくして、関係は修復しないし深まらない。みんな生身なのだから。霧子の家族と、隣人のバジリコ家にそれを教わった。

 本郷のカフェで、まどかさんが話していた異国でのエピソードも、この本にあった。

 読みはじめを机に置いてランチを作っていたら、滅多に単行本を手にしない次男が熱中している。

 おかげで一日遅れの読書になった。

 霧子の苗字が、デ・キリコで、キリコ・デ・キリコ。

 作者はイタリア在住でお父さんの知人だよ、と言ったら息子たちにびっくりされた。

 はじめて読んだまどかさんの本。

 初夏の気候にぴったりの瑞々しさ、肌の色や性格の違い、思春期の多感、宗教、階級、様々な題材のグラデーションが、ラテンの哲学と爽快を運んでくれた。

 ヒトの内面の吐露、ひとつ一つの丁寧な描写の大切さ、擬音の使い途など、まどかさん、たくさんいただきました。

 ああ、ドゥオーモのある町へ旅に出たくなっちまった



 


【季節風】春号

2014年04月20日 | ☆文学のこと☆


     同人誌【季節風】118号

 同人誌の最新号が届いた。

 穀雨の今日、桜の木が緑に覆われる春の陽射しの下、寒風が足下を冷やす。

 この春号に昨年の春に書いた拙作が掲載されている。その証拠かどっさりと梱包されていた。

 100名余の同人が集った秋の大会。越水氏、土山氏が世話人を務める分科会で推していただいた。皆さんのアドバイスを参考に改稿を繰り返し、職業人の後藤耕氏に校正してもらう。

 よもや忘れていた頃に届いた小説は、まるで他人が書いたもののようだ。

 

 あれだけ推敲したはずなのに、 粗が目立ち、削りたい部分も多くある。

 投稿も休み、遅々としか進まない小説に苛立つ自己憐憫の日々。

 季節風に出会ったのが2010年。その年に後藤竜二氏が他界し、その遺産である本郷の大会へ初めて参加した。

 【はじめの一歩】。その名の通り、工藤純子氏とイノウエミホコ氏が世話人を務めるこの分科会が中年となった文学青年のはじまりである。

 それから3年。酸欠になりそうな地下の大広間。その時の同人たちの激励の銅鑼の大音声は決して忘れまい。

 書店や図書館の数多の本に囲まれていると、お前の書こうと思う文章はすでに書き尽くされている、無謀な行いだと諭され、途方に暮れることしばしば。それでも時代の片隅に、ほんの僅かの余地が残されているのではないか、そんな錯覚をおぼえ、穿ちに抗い粘っていると自然形になることを教えていただいた。

 膨大な時間を費やさないと、確固たる文章など紡げないのだ。

 そんな4年目に吹く春の風が運んでくれた一冊、たくさんの仲間や友人の恩情が創作魂に滲みていく。

 自作の不埒を思えるからこそ、まだ書き進める意義があるのだと煩悩に言い聞かせている。

 




 「麦茹でて喉を潤す実りかな」哲露
 
 大川端で恒例になった小笠原流の流鏑馬が行われていた。

 継続こそ最大の困難であり、最大の功労である。

 何も恐れることはない。書くことが最良の喜びなのだから。
  




東海道珍道中なり。

2014年03月30日 | ☆文学のこと☆

 
   「東海道中膝栗毛」
  越水利江子 著 十々夜 画 
  岩崎書店 2014.2.28初版 


 19世紀初頭、時代を越える傑作が誕生した

 十返舎一九の滑稽本である。

 神田八丁堀のぼんぼん、栃面屋の若旦那、弥次郎兵衛と、居候の喜多八のご存知珍道中の旅模様が生き生きと描かれた作品。

 それもそのはず、一九は取材の旅に明け暮れていたという。 電車も車もない時代のこと。取材そのものが血肉の旅となったはずだ。

 この古典を、越水利江子がどう料理したものか、昨年来から気になっていた。



 原典には滑稽本ならではの遊郭や色里、大人の恋の道が魅力たっぷりに書かれている。男色や艶っぽい話は児童文学にそのまま載せられないのだ。

 はたして、色黒毛むくじゃらの弥次さんはスラッとした男前、気っ風のいい若旦那に、芝居役者の北さんは旅回りで機転の利くツアーコンダクターであり、男を手玉にとる女形の美少年となった。

 時代小説を子供向きに書くテクニックは様々あると思うが、作者は遊里のことにも触れ、原典の魅力である艶も残し、まさに正統の弥次喜多を子供たちが読めるように編曲した。

 章ごとに挟まれる歌も絶妙だし、笑いを誘う話芸の数々はさすがに西の方である。地名や考証、お得意とする時代、舞台でないだけにこの翻訳には相当なご苦労があったと察する。

 楽しみもつかの間、ひたすら勉強させてもらった。



 無限に広がる青空とおっきな白い雲の下、二度と帰らない青春を憶う。

 あー、あっしもこんな爽快で痛快な旅に出てみてえもんでござる。

 越水さん、ごちそうさんでした


       隅田川端築山より


 「道中の行く手導く春燈」哲露

 
 染井吉野がひらいた。

 夜桜が見守る中、平成の提灯が燦然と輝く。

 彼岸も開けた。

 来週は待ちに待った、花見舟の吟行である。

 どうか晴れますように
 

  


お江戸の出版事情。

2014年03月22日 | ☆文学のこと☆


   「蔦重の教え」
 著:車浮代 飛鳥新社刊

 新聞の書評に出てから気になっていた

 仕事の話があって編集長と話していたら、その横に置いてあるではないか。

 どうやら献本らしい。

 「借りていいすか?」と訊ねると、「資料になるかな」編集長は快諾してくれた。

 飛鳥新社からは、「夢を叶えるゾウ」という人生のハウツー本がベストセラーとなっている。ドラマ化もされたからご記憶の方も多かろう。

 これには続編もでて、息子は読書感想に選んだ。

 私の惚れた人物が登場する。

 しかも舞台は新吉原だ。




 「お歯黒に溺れて掴む春の蛇」哲露

 
 タイムスリップしたリストラ対象の中年のおっさんはお定まりともいえるが、車氏はまさにハウツー小説の勘どころを押さえている。安上がりな序盤は章を追うごとに気持ちよく滑走を始める。 時代物巧者の技と、「夢ゾウ」のノウハウを絶妙に取り入れることを助言した編集者がいたことが想像できた。

 終盤のまとめで、少々長い講釈になるのが気になるが、江戸物を好む読者と、夢ゾウの笑いのペーソスを好む読者にはうってつけの新作だ。

 蔦屋重三郎は言わば我々出版と広告の基本のきを地でいったパイオニアである。

 志水燕十、朋誠堂喜三二、太田南畝、 恋川春町、勝川春章、朱楽管江ら巨匠を狂歌で誘う。

 歌麿を褒めそやし叱咤し世に売り出す、名編集者であり名プロデューサーとして蔦重がお江戸日本橋と吉原を跋扈する。北斎、写楽の大胆な解釈もまた見物だ。 

 私が駆けて遊んだ五十間通りを、主人公が同様に駆け抜ける。

 車氏の筆は、ひとの営みと男女の感情の起伏を現在と対比させながら、往時の版元の知恵と生き様を風物、風俗を交えて面白く、ときに切なく描いている。

 情けと愛情を心得、寛容と刹那の哀切を肌で感じ、短い生涯を真摯に、まっつぐに生きた時代はわずか200年前に歴然とあった。

 日本人が地に足をつけて空を見上げた息遣いを感じられる、このような書き物が広く読まれ、新作がつづくことを願う。



 昭和35年に、役所がこんな本を上梓していた。

 劣化激しい箱はポロポロと風化して崩れてしまったが、本郷の古書店で手に入れたひと時代前の勤勉と集積に春の陽射しが優しい。

 あれもこれも書きたいものだらけ。

 途方もない作業だが、一作ひと作紡ぐしか方法がないことがようやく判った段階。

 道は果てしないけれど、好きこそモノの上手なれ。

 そう信じて、休日の青空の下、macに向かうのである


  


梅は咲いたか~♪

2014年01月26日 | ☆文学のこと☆

 
      紅梅

 金曜日の朝刊一面トップに大川の梅が載った

 ぐんぐんと気温が上昇した土曜にその隅田川を走る。

 少年野球のグランド前に、ちょいとした梅園があるのだ。

 ネットごしだが新聞と同じ場所でツリーを従えた紅梅を撮った。

 白梅はまだちらほらとだが、今日の陽気では桜も早いのではないかと、先走った心配なぞしてみる昼下がりでござる。

 何事も成してなくとも、無駄に刻は過ぎていく。

  

 同じ土曜の朝刊全段に、あさのあつこ氏の小説が載っていた。

 月曜から掲載された夕刊連載「この手に抱きしめて。」を一挙に載せたもの。

 アステラス製薬の広告だが、こうした依頼が来るのも実力と人気を兼ね備えたあさのさんならではだろう。

 このような形であさのさんの小説を読めるのも、同人としての愉悦である。 

 この一週間毎夜の楽しみ、プロとしての矜持を感じさせてくれた。

  

 それにしても、今日は暖かかった。

 隅田川から荒川へ、受験真っ最中の長男とひた走った。

 南風に背中を押され気持ちいい。 

 ユニフォーム姿の子供たちが手拍子に合わせてダッシュを繰り返す。

 遠い筑波から海へ押し寄せる山風は、いざ上流へ反転したとたんに牙を剥く。

 江戸の人は健脚揃いだったろうな、と思いを馳せて足を運ぶ。

 先週の会社の帰り道、実家のある新吉原を回った。

 下世話な風俗と化したかつての廓町。

 南西にあった久郎助稲荷を見に行ったのだ。

 ありんす国のなりの果て。

 花魁や新造の祈りはいずこへ。

 今はなきお歯黒溝を越えると頭の車善七の屋敷と溜があったと云われる。その先の龍泉町に鷲神社が鎮座する。

 「柳橋ぃ~から 小舟で急がせて

  舟はゆらゆら 波しだい

  舟からあがって土手八丁 

  吉原ァ~へご案内  

  梅は~咲い~たか、桜はまだかいな

  柳なよなよ 風次第

  山吹ゃ浮気で 色ばっかり しょんがいな~」(長唄の抜粋)

 私も、私の小説のなりの果てをゆらゆら祈って書いている 


カッパのミイラ。

2014年01月19日 | ☆文学のこと☆

 
         河童の水掻き


 皆さん、河童のミイラはご覧になったことがあるだろうか?

 河童寺こと、曹源寺に、2012年以来の再訪である。 っていうても、私の地元。

 私の習作「みの吉の貝(べえ)独楽」の舞台がここ。


 「土くれを運ぶ河童の足霜焼けり」 成美 (天)


  
       寄贈された石像


  
       大明神のお堂

 調べてみると、全国津々浦々に河童の伝承、伝説があって、ミイラやら化石やら、その存在の多さに改めて驚く。現代のような科学的な照明がなく、闇の深い時代にあって、河童さまは大層妖気漂う存在だったのだろう。

 昨年末、河童の会主宰の高橋うららさんにお声をかけられ、曹源寺をお参りすることに。

 ご住職に連絡を取ると、お堂の見学に快く応じてくださった。

 開き戸ごしにしか見られなかった、河童の水掻きのミイラが件の写真である。

 本物か、否か?

 皆さんはどう思います?

  
       文化11年の治水工事 


 「初見世に河童もきうりを売りに出す」 原山 (地)


 封建の文化11年(1814) に、合羽屋喜八が私財を投じた新堀川の治水工事。

 義に生きた人はいつの時代も美しい。

 その時に喜八を助けたのが河童たち。

 かつて喜八に命を助けられた恩返しというから、失われつつある現世に学びたい義理ではないか。

 
        河童の天井画

 
         河童の置物

 お堂の天井一杯に河童のイラストが描かれ、黄金の河童やらたくさんの河童さまが鎮座している。

 一つひとつ眺めているだけで、時間が過ぎてゆく。

 あ~ありがたや、ありがたや。

   

 一昨年にお参りしてから、河童の会のメンバーのデビューが相次ぎ、快進撃がつづく。

 デビューのお礼やら、新刊の願いに、お賽銭を入れてみな合掌。

 大安の冬の静謐、じつに清々しい気分になれた。

 ご住職に多謝。


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 由来の合羽橋本通りを西にのぼり、浅草六区へ

 この通りはスカイツリーがよく見えることでも有名。

 遠方の方もいらっしゃる。代官山支店の手ぬぐい店を冷やかすと、みなの顔が綻んだ。

 そこで、浅草寺の参道を進み、弁天池そばの老舗の手ぬぐい屋にも案内する。

 観光の女性が決して立ち寄ることのない、初音横丁の酔っぱらいを眺め通って、ひさご通りへ。

 
          上の牛肉

 「どど~~ん!」

 来客すると下足番が太鼓をたたく。

 浅草名物の一つである、牛鍋にご案内する。

 六十六番札は、海光さまのご一行。つまりあちきたち。

 木造の階段をえっちらおっちら、二階の奥座敷へ。

 

  

 中庭を望める席は明るい冬の陽射しがそそぐ。

 ビールと人数分の牛鍋を頼むと、牛の佃煮が出た。

 生姜が効いている!

 これだけで、お酒が進むわい。

 
         牛肉の佃煮

 

 店の若い衆が牛脂をひき、焼き豆腐、ネギを並べる。

 赤み肉を置くと、出し汁が「ジューっ!」と鳴った。

 生卵が用意され、ごく太の千住ネギがその存在を誇示する。

 宇都宮のデビュー作家の箸がこの熱々のネギに止まらない。

 甘みのある野菜が、牛の脂をまとうと逸品になる。

 ちんやや今半とは違う、この赤身が拙者の好みなのだ。

 適度なサシがいちばんなんだよ。

 

 はい、出来上がり!

 シラタキがいいお味に仕上がっている。

 温めに頼んだ桜正宗が柔らかい。

 


 「海光さん開口一番改稿だ!」 うらら (人)

 今年初出版が決まっている方のために祝杯をあげた。

 まったりと歓談している瞬間を逃さず、新年の俳句を詠もうと私から提案。

 躊躇しつつも、皆さん、そこは文章の達人。

 見事な五七五を詠んでくださった。

 森川さん、原山さんの句はさすが。

 美人才女に囲まれた新年の河童の会。

 仕舞いには、主宰に私を名指した俳句を詠まれ尻を叩かれる。

 こちらの句は、師開高健のエッセイにかけたもの。

 河童の固めの盃、生涯忘れませぬ



【賞に漏れた皆さんの句】
 
 「子河童の初のおよぎはあまの川」 須長

 「初春に牛鍋くらいて腹も張る」 マツコ

 「鍋熱くデビューを決意牛食す」 結城

 「浅草寺初春のおみくじ願い込め」 速水


       はやみず陽子著

 初出版の次はどんなお願いだろう。

 速水氏の御本が書店に初お目見えなり。 

 
 「牛つつく湯気の向こうに河童さま」
哲露

 お粗末さま。

 

 


越水師匠、一般文芸に斬り込む!

2014年01月12日 | ☆文学のこと☆

   
       「読楽」1月号 (徳間書店)


「小鍋つく湯気の向こうに化けの皮」哲露

 
 新年一発は師匠の著作の紹介

 同業に「読楽」という文芸誌がある。

 雑誌部門では良きライバルで、ここ数年、私の後輩が何人か移籍している。

 その「読楽」に、わが同人の大先輩、越水利江子師匠がついに一般デビューである。

 大会前にこの話しを伺ってから、心待ちにしていた。

 姐さんの作品のタイトルは「うばかわ姫」

 題名からして怖い。

 しばらくぶりにページを捲る興奮を味わう。

 時代ファンタジーというが、小社の本当は怖いグリム童話のような、時代小説+ホラー+ファンタジーの要素を合わせ持っている。

 短編ということもあり、冒頭から越水ワールド全開!

 野盗から逃げ惑う姫の絹糸が、山木の枝に切り裂かれる。その度に息を飲んだ。

 姐さんが近江の海と名付けた琵琶湖の静謐、絢爛な安土城の荘厳。

 戦国騒乱期の土着民の息遣い、踏みしめる土や草花の匂い。

 ここにきて「恋する新撰組」シリーズの重版が相次ぎ、「忍剣花百姫伝」は読者ばかりか編集者を酔わした。「江」で威風堂々と描いた信長の剛毅で繊細な凛々しさと天守閣の偉容の一端が、うばかわ姫でも存分に発揮されている。

 制約の強い児童文学で抑えてきた表現が、一般文芸の大空に放たれ、さらに高見の天空へ飛翔した感がある。

 だがまだまだ序の口のはず。

 映画のプロモーションでいえば、大スペクタルの予告編といったところだろう。

 越水師匠の若い読者ならとっくに承知しているこの事実。

 児童文学界から一般文芸へ、姐さんの快進撃が、いま、ここから始まる!

 文芸編集の皆さん、大御所の青田買い!?、今のうちよ

 
 

  


お医者さんの作家。

2013年12月30日 | ☆文学のこと☆


       紙芝居「たべられないよアレルギー」
   脚本:井嶋敦子 絵:鈴木幸枝 制作:童心社


 同人にお医者さまがいる

 医者の作家というと、森鴎外から始まって、渡辺淳一、最近では海堂尊と思い浮かぶのではないだろうか。

 秋田で小児科医をしている才女は、とても温厚で品があり、秋の合宿時には高級ワインと玉のように滑らかな純米酒を差し入れしてくれるお金持ちでもある。

 その井嶋さん、新聞連載など活躍が続いていたと思ったら、なんと紙芝居で単著デビュー!

 子供たちに優しく接する井嶋さんならではの文壇登場だ。

 

 紙芝居の裏には、読み聞かせができるように脚本が印刷されている。

 そこには、病気のことや薬のことまで解説してある。 

 お医者の作家の本領発揮だなと、感服するばかり。

 届いた日に、中学生の二男に読んであげた。

 すると、自分のが上手いとばかり、反対に読んでくれた。読み聞かせ合戦を数度繰り返して思ったのは、紙の絵本が持つ力である。

 セリフに抑揚をつけたり、救急車の音に臨場感を持たせたり、話術をあれこれ駆使するのが楽しい! 

 スマホも電子ブックも便利は否めないが、紙の手触りにひとの温もりを感じるのは、昭和のおっさんだからだろうか。

 懐かしの紙芝居、おそるべし。。



         「ぼくたちの勇気」 
  編著:漆原智良 絵:進藤かおる

 
 もう一冊、作品を紹介する。

 巻頭を飾るのが、井嶋さんの「はじめての握手」。

 こちらも紙芝居同様、お医者さんならではの視点で描かれている。

 大先輩の漆原先生との共著だ。

 心といのちを守る5つの童話。

 控え室などに置かれていたら、自然と子供たちが手に取るんじゃないかな。 

 大切なものを子供たちに伝えるには、うってつけのシリーズ。

 児童文学って奥が深いんだな。

 井嶋さん、単著デビュー、おめでとうございます! 

 さて、紙芝居。

 今度は誰に読み聞かせしようかな


愛と物語。

2013年10月28日 | ☆文学のこと☆

  
                  本郷 森川別館

 今朝の天気予報によると、どうやら台風シーズンが終わったらしい

 藤原の定理という言葉を初めて知る。二つのハリケーンが同時に進んで天候が予測不能の状態を意味する専門用語だとか。

 悩ましかった台風27号と28号のことだ。

 その効果のほどか杞憂を背に、わが同人「季節風」の大会が本郷の老舗旅館で開催された。

 総勢約100名の物書きが、地を走り、空を飛び集まった。

 北は北海道から南は熊本まで日本全国津々浦々。

 さらには韓国、イタリアからこの大会のために。

 なんとグローバルなことか。

   
             玄関前の受付

 ガラガラッー! と滑りの良い引き戸を開けると、受付がある。

 愛の物語分科会の受付は私が担当。

 続々と集まる同人、編集者、銭、銭、銭。。

 まだ払っていない皆さん、会費はちゃんと、お願いしますm(__)m

   
                       2Fの廊下
 
 この廊下の奥、地下に降りて、三部屋をぶち抜いた部屋で総会が開かれる。

 愛の物語分科会の合評部屋はこの突き当たりの「ながら」。

 古畳の和室で、この日のための生原稿を持ち寄る。

 各々の作品をより良くしようと、遠慮会釈ない率直が飛び交うのだ。

 じつに、恐ろしくい。

 受付が延びたので聞けなかったが…。

 たぶん、あさのあつこ代表の号令が発せられたことだろう。

 この瞬間、泊り込み二日間に渡る合評会がスタートする。

   
           天寿と加賀鳶

 初日の合評後は、宴会場と化した大部屋で三々五々唾を飛ばして語り合う。

 「海光さんッ、今年も持ってきましたよ」

 振り返ると、秋田美人が白木の「天寿」を掲げていた。わざわざお声をかけてくださる。

 う、うれしいじゃないか! 

 井嶋さんの微笑が輝き、将軍さまに献上するような箱が眩しい。

 釣り名人のご主人さまからの毎度の差し入れに恐縮しつつ、今年もありがたく頂く。

 ぐびッ! ひと口ふくむと、

 煌びやかな酒精、磨かれてなお野趣を失わない滴に安物に慣れた舌が洗われるようだ。

 やっぱり旨かったな。

 井嶋さま、ご主人さま、ありがとうございます。今年も堪能です。どうもご馳走さまでした!!

 で、結局のところ、お開きになったのは明け方の3時30分。

 座布団に埋もれた、あの韓国のひと、風邪引かなかったかな?

  
                 季節風の編集委員

 委員長のいとうさんの司会で、各分科会の担当から推薦作が発表される。

 愛の物語分科会と呼ばれて、水川さんが立ち上がる。

 素直で心のこもった感想だった。

 まったく意識してなかったのだけど、推薦作に選んでいただいた。

 評は割れたし、名手が長編だった。たまたま回転する的に当たっただけだと思っている。 

 世話人は、愛の伝道師、古都のプリンセス、越水利江子さん。

 北のおきゃん、雪国の俳人、土山優さん。

 お二人の愛は、ほんまに深かったな。

 越水さんの一言。

 姐さん、いただきました!

 参加メンバーの忌憚のない率直な意見と、真摯な眼差しは忘れまい。

 大会へ参加して4年目。

 ただ一ついえるのは、やはり万里の道も1歩から、ということ。

 1歩ずつ着実に進むしかないんだね。

 愛の物語の皆さま、二日間本当にありがとうございました。

   

 なやさんの発案で待っていたのだが、メンバーはてんでバラバラ。

 残っていた同人とパチリ! 

 本郷通りのカフェに入った。

 2Fの窓、赤門と銀杏並木を背景に、越水さんと赤城さんが並んでいる。

 イタリア在住の才女佐藤さんと、洋平大兄。

 金色の滴と泡が肉体の疲れと、興奮した精神を爽快に癒してくれる。

 なんて幸せな時間なんだろう。


  「古畳 銀杏の匂い 秋の暮」 海光
 

 最後に、高橋秀雄さんはじめ運営に携わった皆さま、

 委員長のいとうさん、副委員長の工藤さん、本当にお疲れ様でした

 



 *補足

  越水さんが私のことをブログで書いてくだすった。

  右袖のブックマークに、越水さんのブログがあります。

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名刹の浮世絵。

2013年10月04日 | ☆文学のこと☆

     

 かつてこの地は、海辺であり、泥の海に囲まれていた

 待乳山は、真土と書くのは、この山だけが土で出来ていたからだとも伝えられる。

 待乳山小学校は私が通った学校。聖天さまの由来などその当時は興味なかったが、聖天の地は、池波正太郎氏の生誕の地として碑が作られている。 

 なまじ時代小説なぞ書いてみると、そのご縁を感じるから不思議なものだ。

 脇に流れる山谷堀は、猪牙舟に乗った旦那衆のお遊びの通勤路。私の生誕の地、新吉原へ通じている。

 この寺に常時お供えしてあるのが大根。

 二股が根本で引っ付くことから良縁成就、夫婦和合の象徴として、砂金袋の巾着とともにこの聖天さまのシンボルとされる。

 毒素を廃し、煩悩を清め、商売繁盛の願いにつながる誠にありがたいお寺なのだ。

 今年の10月18日(金)~11月4日(月祝)までここで「浮世絵展」が開催されるという。

 関東の三聖天、浅草寺の子院であり、浅草七福神の毘沙門天を祀る。

 広重も鳥居清長、清親など多数の浮世絵師が描きとめた風景はまだいくらかの面影は残っている。 

 封建の時代、浅草寺や大川を一望できるここからの眺めはさぞ壮観だったことだろう。

 待乳山聖天HP (http://members2.jcom.home.ne.jp/matuti/

 先週は、逢坂剛氏の「池波正太郎の小説作法」を聞きにいった。場所はご存じ、池波正太郎記念館。父君の中山氏が挿絵を描いていた関係から、子供の頃から池波邸にお邪魔してたようだ。

 団子坂に暮らした際は、歯を磨く森鴎外も見えたとか。そこには現在、森鴎外記念館が建つ。

 小説家のデビュー前後の話は、目指すものとしてスイッチが入るなぁ。

 もう10月。頑張らねば。。

 話し戻って、浮世絵展。

 聖天さまには、成就橋というのがある。そこを渡ると風流な庭園も見られる。

 過ごしやすい秋の散策にぴったり。

  「汐香る聖天山や都鳥」 海光

 ぜひお出かけあれ
  


夜店の魅力!

2013年09月21日 | ☆文学のこと☆

   

 衿越しに夜風があたり気分がいい


 「中秋の灯りが照らす江戸の町」 海光


 満月で迎える中秋の名月は、東京オリンピックの翌年まで見られないという。

 じつに貴重なお月見となったもんだ。

 雲ひとつない絶好の夜空に、粋なブルーライトのツリーとの競演。屋形船が行き交うのを、大川に構えたカメラマンのシャッター音が捉えている。

 こんな夜にオススメなのが、魅惑の夜店の物語。

 大先輩の作家、越水利江子氏の「奇怪変身おめん屋」を紹介する。

  
     「奇怪変身おめん屋」
   著:越水利江子 画:磯崎三朗 
   2005年4月初刊 あかね書房 

 まったく便利な世の中になったもので、大先輩とツイッターで情報を交換できるようになった。

 屋台の話をツイートしていて、越水氏からこの本の存在を知らされた。

 只今、読まなきゃいけない本、見なきゃいけない映画、片付けないといけないあれこれが山積みなれど、我慢しきれないほど興味を引かれて読む羽目になった。

 表紙にある、お面の絵にわくわくするではないか。

 百怪寺の参道、たっぺいに貼りついたお姫様のお面、風太に取りついたのっぺらぼうのお面、担当編集者をして天才と言わしめた作家のアイデアと展開にページをめくり続ける。

 種明かしになるので避けるが、夜空を飛ぶ金魚の幻想、町を覆う海が紙の絵から飛び出して、映像が鮮明にうつった。

 つくづく書き手の愉しみが読み手に移れば、何でもありなんだ、と閉塞といわれる文学の可能性に心が軽くなる。

 
       「あした、出会った少年」
     著:越水利江子 画:石井勉
     2004年5月初刊 ポプラ社

 「桜が咲き始めると、京都の夜は、ほのかに明るくなる。」

 小説の書き出しの話は、同人の森くま堂氏がFB上で投げかけたのだが、こちらも越水氏のツイートに触発されて読みたくなった。

 作家本人は創作と書いているが、限りなく私小説に近いものなのではと感じられる息遣いがあった。

 それにしても、桜が都に咲くと、ほのかに明るくなる、なんて空想力を書き立てる書き出しだろう。古都だから雅と思う東の人間には書けないリアルがここにある。

 生まれた土地と人間を書くようになって初めて判る、その覚悟が伝わってきて恐れ入るしかない。

 両手を垂らして、仰ぎ見ていても仕方のないことだ。

 目の前のことに全力であたるのが肝要では、と誠実な人に諭された。

 一歩進む目標がはっきりとした。刷毛を振ったような雲の下、大川沿いを走る。

 育った町が風に乗って通り過ぎる。

 せめて右手だけでも真っ青な秋空に向けて、もがいてみたいもんだ