伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

「ケネディ暗殺事件」と「ゼロ年の呪い」③ (「三金会雑記」原稿)

2011年07月17日 | 三金会雑記

「ケネディの暗殺」と「リンカーンの暗殺」の驚くべき相似 

 「テクムセの呪い」を辿っていくと、そのなかでも100年という節目を隔てて大統領の双璧リンカーンとケネディがいる。

そして、この二人の暗殺事故が偶然とは思えないほど多くの点で奇妙な一致をみせているのは、気持ちの悪いほどの異様さである。

 100年の時間差をもって同じような暗殺事件が起こったというだけでもその相似に驚くが、それ以外にあまりにもおおくの事柄が二人に共通しており、運命の見えざる手が二人を強く結びつけパラレルな人生の軌跡を描かせたのでは、といったオカルト的な思いにも捉われる。

 二人の一致点、もしくは類似点を拾ってみよう。

まず、その暗殺は容疑者から銃で後頭部を撃ち抜かれほとんど即死の状態だったこと。

その暗殺の現場には二人とも夫人が同席していたが無傷だったこと。(同じ席には別のカップルもおり、その男性側はいずれも負傷している。)

暗殺された日はどちらも金曜日で、リンカーンは「復活祭」の前々日、ケネディは「感謝祭」の前日だったこと。

 政権における重要課題がリンカーンは奴隷解放、ケネディは公民権問題で、いずれも黒人の差別問題に深くかかわるものだったこと。

 リンカーンは南北戦争、ケネディはベトナム戦争という国が南北に分かれて戦う戦争にかかわったこと。

どちらも下院議員に選出されたのはリンカーンが1846年、ケネディが1946年、その後副大統領候補としてあと一歩に迫った経験が1856年と1956年にあり、大統領選挙では僅差での勝利であったこと。

 両大統領の死後に大統領の後任となった副大統領の名前が、リンカーンの後任はアンドリュー・ジョンソン、ケネディの後任はリンドン・ジョンソンと全く同じ姓で、しかもその年齢は100年違いの1808年生と1908年生の南部出身者。

そして、アンドリューはリンカーン死後10年で死去し、リンドンも同じくケネディ死後10年で死去していること。

暗殺容疑者の生年はリンカーンのブースは1839年生、ケネディのオズワルドは100年後の1939年で、どちらも裁判を受ける前に殺害されてしまったこと。

 暗殺時に同席していた夫人の結婚年齢はいずれも24歳(リンカーン夫人は2311月、ケネディ夫人は241月)、二人ともフランス語に熟達した名家の出身で、いずれの夫人の死も63歳と64歳だったこと。

 どちらもファーストネームは6文字、LincolnKennedy であること。

などであるが、さらに無理にこじつけたものとして

リンカーンはフォード劇場で射撃されており、ケネディはフォード製のリンカーン・コンチネンタル車に乗っていて射撃されたということ。

ブース容疑者は劇場でリンカーンを撃ちその後倉庫で逮捕されたが、オズワルド容疑者は倉庫から撃ち劇場で逮捕されたということ。

リンカーンの息子はボストン市長を7期務めており、ケネディの祖父はボストン市長を5期ととめていたこと。

 リンカーンの息子とケネディの父はともに駐英大使を経験していること。

などがある。

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