伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

「死」を考える  ─  立花隆「臨死体験」再読

2013年01月10日 | 健康雑感

1月10日 (木) 

かなり前のことになるが、人間の終末期に関心を持ち「死」とは何か、そして「死に様」などを考えたことがあった。

だが、いま振り返ってみると、それはかなり観念的・理念的な問題の捉え方であったにすぎず、切実さを伴うものではなかったように思える。

しかし、自分の周辺で知人や友人の訃報が多く聞くことになる年齢に達してみると、「死」が自分がかかわる実際問題として否応なく正面から向き合あわねばならないことになる。

なにしろ2011年の日本人男性の平均寿命は79.44歳、東日本大震災の影響を除外すれば79.70歳=「80歳」である。そんな年齢は早々に過ぎているのだ。

そんなことで、改めて「人の死」を考えるべく、以前に読んだ時、おおいに納得させられた記憶が残る立花隆「臨死体験」を探し出して読み返してみた。

(最近の記憶力の減退は著しく、かつて読んだ本の内容の方はあらかた忘れ去られており、改めて読み返してみると新しい本を読むのとさほど変わらない。)

「臨死体験というのは、事故や病気などで死にかかった人が、九死に一生を得て意識を回復したときに語る、不思議なイメージ体験である。」

ややオカルトめいた事象だが、決していい加減なものではなく、その事例は世界にほとんど無数に存在し、これを巡って医学、脳科学、心理学など多方面からする膨大は研究があり、立花隆はその持ち前の強烈な探究心、行動力から多数の事例を克明に調べ上げ、驚くべき渉猟力で膨大な文献に目を通し、かつ研究者と話し合い、そしてこれらをまとめあげて作ったのがこの本である。

臨死体験とはどのようなものか、それをどのように解釈するのか、この本の主要な部分は「現実体験説」と「脳内現象説」という二つの流れの中で克明に述べられているが、つまるところ私のとって重要なのは、臨死体験という事象を通して「死」とは何か、これにどう対処するかを考えさせてくれるところにある。

この本のお蔭で、改めて、自分がいずれ向き合うことになる「死」を頭の中ではなく実践的に理解することができたように思う。

結論的には下巻最終章「死のリハーサル」で述べられていることに尽きるが、私がこの本で学んだ重要な部分を以下、抜書きしてみた。

 

「死に対する恐怖というものは誰にでもあるものだろうが……あえて、恐怖の内容を分析してみると、死によって自分の存在がこの世から消えてしまう恐怖、死のプロセスについての恐怖(苦痛など)、死後の世界に対する恐怖(裁かれる、罰せられる可能性など)に分かれる。死が未知なるものであるが故に生まれる恐怖である。

「人は知らないものを本能的に怖がる。……死という人生最後のライフステージに関しては、(死を経験した人はいないのだから)だれも確実な予備知識を与えてくれないし、指導もしてくれない。……すべての人が、たった一人で、何の予備知識もなしに、誰の助けも得ずに、通過しなければならないライフステージなのである。

「死ぬときどうなるのか、死んだらどうなるのか、意識ある生の最後の瞬間に、人は何を考え、何を感じるのか。自己という存在は死の瞬間に虚無に呑み込まれてしまって何も残らないのか。それとも何らかの形での、自己の存在の延長があるのか。何らかの意識の継続があるのか。

「ただ一つ、臨死体験のみは、死のプロセスに関する本当の情報を与えてくれるものと受け止められた。……臨死体験が本当の死のプロセスで起こることそのままなのかどうか、またそうだとしても死のプロセスのどの部分なのかについては、研究者の間で見解が一致していない。(「現実体験説」vs「脳内現象説」) しかし、体験者たちは、ほぼ全員がそれが死のプロセスそのものであると考えている。……

臨死体験によって、自分は、はからずも死のリハーサルを行ってしまった。自分にとって死は未知の現象ではない。……そこには恐怖すべきものがなにもなかった。むしろ、気持よいといったほうがよいくらいだったというのが、臨死体験者の感想の最大公約数である。

「これだけ多くの体験者の証言が一致しているのだから、多分私が死ぬ時もそれとよく似たプロセスをたどるだろう。だとすると、死にゆくプロセスというものは、これまで考えていたより、はるかに楽な気持ちで通過できるプロセスらしい。……現実体験説のいうようにその先に素晴らしい死後の世界があるというなら、もちろんそれはそれで結構な話である。

しかし、脳内現象説のいうように、その先がいっさい無になり、自己が完全に消滅してしまうというのも、それはそれでさっぱりしていいなと思っている。

「死ぬのが恐くなくなった」ということ以外に、もう一つ、臨死体験者たちが異口同音にいうことがある。それは、「脳死体験をしてから、生きるということをとても大切にするようになった。よりよく生きようと思うようになった」ということである。……体験者にいわせると「いずれ死ぬときには死ぬ。生きることは生きてる間にしかできない。生きている間は、生きてる間にしかできないことを、思いっきりしておきたい」と考えるようになるからであるという。」

私は、無宗教だから立花隆と同じように臨死体験は脳内現象だとする説に組する(「自己が消滅してさっぱりする方」)が、いずれにせよ「死」とはさほど恐ろしいものではないということ知ったのは、いわばある意味での「悟り」を得たといえるだろう。

 なお、「死のプロセスについての恐怖(苦痛)」について、この本が語るところは多くないが、その恐れの大部分が「死にゆくまでの病がもたらす苦痛への恐れ」ということであるなら、昨年ベストセラーになったという中村仁一「大往生したけりゃ医療とかかわるな - 自然死のすすめ -」 を読むことで、高齢者は「自然死」をのぞみさえすればその恐怖はおおむね取り除かれるのではないかと考えている。

 

 

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