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京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

カワセミ

2018-12-13 15:33:17 | 野鳥


今冬初、カワセミ撮影しました。


カワセミ(ブッポウソウ目・カワセミ科) 「野鳥図鑑」

大きさ: 約17cmくらい
季 節: 一年を通して見られる
色: 青、緑、黄、橙
特 徴: 漢字では翡翠(ヒスイ)(ダイヤモンド)と書く青・緑・黄・橙といろんな色で美しい色を持った水鳥です。
そのすばやい動きで小さな魚を採っています。












































































































平安京貴族邸宅跡の散策 5.7km

2018-12-13 05:42:42 | 京都歴史散策


平安京にはさまざまな貴族の邸宅がありました。
特に堀川に面した京の北部には歴史上有名な貴族の邸宅が集中しています。
これは邸宅の庭園内に池を造るのに適した場所であったと言われています。
有力貴族の邸宅は約4,300坪~約19,000坪という広大な面積で、庭園内の池で優雅に舟遊びを行っていました。
その様子は「駒競行幸絵巻」等に描かれています。
また内裏が焼失したときは、天皇の里内裏として利用されました。

今回の散策は平安京貴族跡の散策です。
京都市埋蔵文化研究所発行の「京都歴史散策マップ」でまわります。





貴族邸配置図





出発は二条駅です。
駅前に「文化財情報板」があります。

























千本通り(平安京の朱雀大路)を下がり、三条通りの一角に奨学院址があります。
奨学院は在原業平の兄(行平)が創業した一族のための教育施設です。





三条会商店街を歩きます。
坊条通り近くに勧学院址の石碑があります。












三条商店街を少し南に下がると武信稲荷神社があります。
平安初期藤原良相が創設した、勧学院と延命院の守護神社です。
後に藤原武信が厚く信仰して発展に努めたことからその名が付いたと言われています。
平安末期、平重盛が宮島厳島神社から苗木を移したとされる樹齢約850年の樟があり、坂本龍馬とその妻おりょうの再会の逸話から、縁結びの木としても有名だそうです。





三条通りに戻り、北上すると史跡神泉苑に着きます。
平安京造営の際の禁苑で、当日は今の10倍の広さがありました。
824年に祈雨祈願で空海と守敏の法力比べの場となり、869年に開かれた御霊会が祇園祭の端緒となるなど、伝承の多い場所で、現在は真言宗の寺となっています。













恵方社が台風21号で倒壊していました。これには驚きました。










神泉苑を東に行くと「不思議な礎石」があります。
藤原道長の六男、長家邸の礎石と伝えられる石です。















堀川御池に京都堀川音楽学校があります。
その敷地内の中庭に堀河院跡復元庭園があります。
発掘調査で出土した景色や州浜の石を用いて堀河院の園池が復元されています。
ここは中に入れません。


御池通りの小川通りを上がります。
以前紹介した御金持ち神社があります。
今回も訪れる人は多いです。





押小路通りに出ると閑院内裏址の石碑があります。
藤原冬嗣邸を藤原公季が伝領してから「閑院」と称されました。
大内裏荒廃後は里内裏として利用されました。





現在このあたりには西福寺になっていますが、豊臣秀吉妙顕寺城跡でした。










東堀川通りを北上すると旧京都国際ホテル前にでます。
現在新たなホテルが建築中です。
ホテル前に堀河天皇里内裏址の石碑があるのですが、工事シートに覆われています。


堀川丸太町を東に歩くとビルの前に「高陽院跡」の案内板があります。
摂政 関白・藤原頼通の邸宅です。





とにかく広大な敷地面積です。
現在の地図ではこんなになります。赤線内。





邸宅の様子





南下し夷川通りに児童公園があります。
二条院候補地(陽成院跡)です。
平安時代、陽成院と呼ばれた邸宅跡。源氏物語の主人公光源氏の邸宅である二条院のモデルとする説があります。











釜座通りを下がると東三条殿址です。
平安時代に隆盛を極めた藤原氏の邸宅跡です。
後醍醐天皇皇子から藤原良房、藤原兼家(東三条殿)の姉、そして藤原道長へと引き継がれた場所です。












二条殿址
和歌連歌で著名な二条良基の邸宅です。
後に織田信長の所有となり、本能寺の変では長男の信忠が自害した場所です。





このあたりは江戸時代、金座、銀座の跡でもあります。









室町通りに二条殿御池跡の石碑があります。
二条殿の邸内にあった「龍躍池」の跡。現在の龍池町、御池之町、二条殿町等の地名の由来となっています。







高松殿址、高松神明神社
醍醐天皇の息子源高明の邸宅跡です。娘の明子(高松殿)が伝領の後、後白河天皇がこの地で即位しました。保元の乱では後白河陣営の本拠地となり、源義朝や平清盛らがこの地に参集、平治の乱で全焼しましたが、鎮守社の高松神社だけは今も残っています。
















三条通り三井ガーデンホテル前に「三条烏丸御所跡」の石碑があります。
堀河、鳥羽両天皇の乳母である藤原光子の住居で、子の実能に受け継がれた後、鳥羽法皇の御所となりました。







烏丸通り旧新風館前には「三条東殿跡」の石碑がありますが、現在工事中でシートに覆われています。白河天皇をはじめ歴代天皇が里内裏としてしばしば用いました。
平治の乱勃発地でもあり、その様子が『平治物語絵巻』にも描かれています。



在原業平邸址 御池通り間之町南角
平安初期の代表的歌人で六歌仙の一人です。





三条通りには京都の歴史と文化を紹介する京都文化博物館があります。
京都文化博物館別館(1906,明治39年)
旧日本銀行京都支店、赤レンガに白い石の辰野式です。
中に入ると当時の銀行の内部がそのまま残っています。
設計は辰野金吾、長野宇平治 中京区三条高倉










中京郵便局(1902,明治35年) 私の好きな近代建築
中京郵便局旧庁舎、レンガ造りの現役の郵便局です。
設計は吉井茂則、三橋四郎 中京区三条通り東洞院東入ル





以上の散策距離は約5.7kmです。