京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

行き暮れてひとり 画家野見山暁治

2014-03-19 06:01:35 | 美術・博物館

今回の日曜美術館は、『行き暮れてひとり~画家・野見山暁治』です。
初めに申し述べておきますが、私は野見山さんの絵はよく理解できません。






93歳の野見山暁治(1920~)は、 現代日本を代表する画家の一人であり、文人です。





生い立ちの記、戦争体験、画家や絵画との出会い、芸術論など深い思索に基づく多彩な本を書いています。










日々の出来事や制作のエピソード、人びととの交流を綴った「アトリエ日記」は四冊。
今年1月にも最新版が発売されました。






エッセイ集『四百字のデッサン』で日本エッセイスト・ クラブ賞も受賞しています。





野見山暁治は福岡県に生まれ、東京美術学校を卒業と同時に応召しま した。
満州で入院生活を余儀なくされます。
戦後、虚脱感のなかから再出発をはかった彼は、1952年に渡仏、 1964年に帰国するまでの間にサロン・ドートンヌ会員となり、第2回安井賞を受賞しています。
1968年から1981年 まで東京藝術大学で後進の指導にあたり、芸術選奨文部大臣賞、毎日芸術賞を受賞し、2000年には文化功労者に選 ばれました。

「自画像」1947頃
敗戦のショックと虚脱感が漂う作品です。





「焼跡の福岡県庁」1964頃
空爆で福岡の街が燃え上がるのを目撃、廃墟とかした街の景色です。






「骸骨」1947
うしろめたい恐怖に襲われたと言います。
自分は何を書くべきなのかというあせりと不安の時代です。







「廃坑(A)」1951
生まれ育った炭鉱の景色を描いた初期の作品です。











渡仏後の作品

「パリ・セーヌ河畔」1956






1955年、日本に残してきた妻、陽子さんをパリに呼びパリで生活しはじめます。





そんななか、陽子さんは癌に倒れます。
パリ到着後1年の29歳でした。

そこ時のことが書かれた本、「愛と死はパリの果てに」です。









陽子さんが書いたパリのスケッチ















「岩上の人」1958
フランス滞在中に描き、第二回安井賞となった作品






「落日」1959
真っ赤な夕陽が沈む景色






野見山さんは42歳で帰国、50歳で練馬に自宅兼アトリエを建て、以来ここで制作を今日まで続けています。

アトリエ風景





「人」1975
水の中にシュノーケルをつけて潜った海の景色





「近づいてきた景色」1981
太陽が沈む一瞬を切り取った絵です。






「ある証言」1992
かめが砕け散る一瞬の絵






「これだけの一日」2006







「誰にも負けない」2008







絵本「しま」







「そらの港」2012 福岡空港ステンドグラス原画







「いつかは会える」2007 東京メトロ明治神宮前駅ステンドグラス原画







「ある歳月」2011
東日本大震災後、震災地を訪れたあとに書いた作品
天と地がシャッフルした ような画面に人間の顔や手のようにも見えるおぼろなかたちが交錯する。野見山は現在の心境 を「行き暮れているようだ」と語る。






野見山作品は、身近な自然やモノから出発しますが、現象の表面を追うのではなく、対象の中から〈今〉と いう生命を引き出し、内在する根源的なものを探るために、内部深くに切り込んでいきます。