フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

観劇

2009-02-18 17:29:27 | Weblog
今月は仲の良い歌手の前川清さんが御園座で公演中という事で、取材を兼ねて観劇してきました。インタビューの内容は3月31日の午前2時からの東海ラジオ「ミッドナイト東海21」で聴いて下さい。
さて、劇場へ行っていつも感心するのは役者さんを盛り上げる掛け声、いわゆる「大向こう」です。元々「大向こう」というのは芝居小屋の三階正面席の事で、そこに座るお客様も大向こうといいます。
「大向こうを唸らせる」という言葉がありますが、これは大向こうの席が安価で、何度も通う事が出来る、いわゆる芝居つうが多くいます。その人達を感心させる事をいうわけです。天井桟敷と呼ぶ事もあります。今日も大向こうから前川さんや梅沢富美男さんに掛け声が飛んでいました。
ところで私も実はこの御園座のステージを歌手(?)として立った事があります。それも切穴(すっぽん)から登場したのです。すっぽんというのは花道の舞台寄りに七三の位置に作られている舞台下からせり上がってくる装置の事で、役者が首を出す瞬間がすっぽんに似ているところから命名されたようです。
ほんの短い時間のせい上がりですが、心臓がバクバクしたのを覚えています。まあ緊張の中にもいい経験をさせてもらいましたが、もし掛け声でもかかったら瞬間に歌詞が飛んでしまったでしょう。
そんな事を思い出しながらの観劇でした。

2009-02-17 16:53:23 | Weblog
またまた政府の汚点の1つとなりました。G7会議後の記者会見で中川昭一財務相が記者の質問に対してしどろもどろの受け答えをしました。日本の政策を発信するこの機会に眠そうでろれつも回らない会見ぶりが世界に発信されたわけですから、波紋を広げるのは当り前です。当人の弁解によると風邪薬の飲みすぎで、酒酔いではないとの事ですが、一部では泥酔状態で会見に臨んだという厳しい見方もあります。
ところでお酒に深く酔う事を何故泥酔というのでしょうか。
この語源を見てみますと、泥酔の泥は中国の書物に出てくる空想上の虫の事で、「でい」は南海に住み、骨が無く、水が無いと泥の様になります。その様子がひどく酔った状態に似ている事から「泥酔」という言葉が生まれた様です。日本でも平安時代の書物に、酒に酔った状態を「泥の如し」と例えています。
一方この泥の字がつく泥棒の「泥」はというと、諸説あるなかでの珍説ですが、手拭いや風呂敷などが無かった時代に、顔を隠す為に顔に泥を塗り、万が一に備えて棒を持っていた事から「泥棒」になったとあります。時代考証的にいうと全く語源にはなりにくいそうですが。
それにしても今回の財務相の有様は日本という顔に泥を塗ってしまった様です。それでも麻生首相は続投を命じましたが、結局は辞任表明しました。
政府、自民党のバイオリズムがずっと下降線をたどっているのは何故なんでしょうか。
泥縄という言葉もありますねぇ。

老人力

2009-02-16 21:03:47 | Weblog
つい先日、プロスキーヤーの三浦雄一郎さんがエベレストに登頂した最年長の男性としてギネス記録に認定されました。76歳でしたが「まだまだ目標を持ってチャレンジを続けたい」とのコメントは流石です。
このところの話題として、歌手の秋元順子さんしかり、プロ野球でも工藤、山本昌両投手もしかり、年長での活躍ぶりが報道される事が多くなっています。
取り上げられる事自体が長寿社会の現状を教えてくれていますが、それにしてもまだまだ年寄りの持つ力、老人力を活かしきった社会とはいえそうにもありません。日本では65歳以上の人口が全人口の2割を超えるようになったのですが、この事が日本社会の不安としての認識が拡がっているからです。景気情報と一緒で不安ばかりがメディアに乗って行きます。
平均寿命がそれ程でもない時代には老人は尊敬され、家族に貢献する存在でした。つまり伝統に従って生きてきた老人たちの、本に書かれていない知識を大いに社会に役立ててきたのです。
こうした老人力を上手に利用し、社会に役立つ世の中を、今こそ確立していかなければと思うのですが。
もちろん決して自分がその年寄りに仲間入りをしたからの意見ではなく、一般論として受け取って下さい(笑)。

格言

2009-02-15 21:34:34 | Weblog
「格言の知恵は今日もわれわれを導き続けるにちがいない」と講演で述べたのはクリントン米国務長官です。就任後初めて明らかにしたアジア政策のうち、最も注目される対中政策について中国との関係を「呉越同舟」と故事を引用したものです。
新聞の論調でも指摘していましたが、「呉」と「越」という中国の国は敵同士で、ひとまずそれを横において協力をととられかねません。こうした傾向は日本でもみうけられます。最近の国語力の低下もさることながら、格言の理解力もかなり落ちていますし、使い方の違いもよく表面化しています。
「情けは人の為ならず」なんていう典型的な例もあります。我々は、人に情けをかける行動は巡り巡って自分にもいい結果をおよぼしてくれるようになると理解しているのですが、今の若い人中心に、人に情けをかける事はその人の為にならないので情けをかけてはいけないという解釈になっているのです。多分普段の生活の中でこうした格言が使われる頻度が極端に減っているせいだろうと思います。
ところで中国には「賢者は愚者に学び、愚者は賢者にも学ばず」という格言があります。もちろんこれは「どんな人もいいところを持っているのだからそれを学びとりましょう」という意味ですが、日曜日の政治ショーともいうべき討論番組を見ていると、相手から学ぶどころか私だけの世界を生きる自己チュー発言が余りにも多すぎます。
相手への敬意などが全く感じられません。「呉越同舟」してでも難局を乗り切ろうという考え方をとれないものでしょうか。

逆チョコ

2009-02-14 23:16:40 | Weblog
今日はもちろんバレンタインデーです。今日が土曜日だけに内心ホッとしている女性も多い事でしょう。顔を合わせる事がなければ義理チョコも必要ないですからね。
「六日の菖蒲あやめか十日の菊」という言葉があります。時期を逃して約に立たない事をいうようになりましたが、これと同じでやはりバレンタインの当日に手渡さないと少しばかり淋しい気がするものです。
さて2月7日の日記にも書きましたが、今年のバレンタインデーの話題でちょっと変化があったのが「逆チョコ」という言葉です。成人男性の約5人に1人は女性にチョコレートを贈る「逆チョコ」現象があるというものです。大切な相手との絆を守る為の発案だそうですが、こうなると「逆ホワイトデー」も考える事になるのでしょうか。
バレンタインデーに贈るものといえば殆どがチョコレートですが、ホワイトデーは色んな選択肢の中から選ばなければなりません。いわゆるセンスが問われるのです。逆チョコ、逆チョコと喜んだ女性の皆さんの1ヶ月後が大変楽しみです。
しかし私自身は逆チョコなるものは1つも購入しておりませんので相変わらずのホワイトデーを迎えそうです。

漢字

2009-02-13 22:04:48 | Weblog
麻生総理に漢字検定協会と、今年も漢字の話題に事欠きません。特に漢字検定協会の黒字額を見せ付けられると、漢検ブームが実感させられます。ワープロ機能の普及で文字を書く習慣が減った事により漢字に馴染まなくなったと思いきや、ある分析では変換しやすくなった事から漢字に親しみやすくなった様です。
私はこの日記を毎日、最初は手書きで書いていますので多少漢字に馴染んでいるつもりですが、それでも当たり前の漢字を忘れてしまっている事が多々あります。こうした時に記憶からたぐりよせる手段として漢字は表意文字である事を思い出すのです。
漢字そのものを覚えたり、読んだり、書いたりが難しくても、由来や意味そして成り立ちを知っていると早く思い出す事が出来ます。もともとアルファベットそのものには意味がありません。しかしそのものが意味を表現している漢字で言葉を覚えると、言葉の理解度が速くなるともいわれています。簡単な例では、木が沢山あるから森ですね。東という字は木の中に日があり、太陽が昇っていく様子で、太陽は東から昇るところから東になったと記されています。こうした成り立ちを暇にあかして探ってみるのも面白いですね。
ところで今日の日記を書こうと思った2つの漢字は「凄い」「糞」です。「凄い」の冫(ニスイ)は冷たいをあらわしますから冷たい妻が「凄い」のですね。そして「糞」は米が異質なものに変わると「糞」になる、これも道理だと感心したのです。
漢字って面白いですね。

相変わらず不景気

2009-02-12 21:33:53 | Weblog
毎日、毎日、新聞の見出しは人員整理や事業縮小ばかりで、益々不況の色が濃くなってきました。その中でアメリカ上下両院が71兆円の経済対策で合意したというニュースがあり、アメリカという親が背中に乗っている日本としても明るいニュースとなるでしょう。
こうした状況の中で、ふと昨年の巨人・渡辺会長の言葉を思い出しました。「中日が日本一になった年は不景気になっている。巨人が勝つと景気が良くなる」というものでしたが、結局どこが勝とうがこの不況は訪れていたのですよね。
ところで先日の日記で、不景気で社用族が減ってお父さんが家族と一緒に夕飯をとる事で「鍋」が売れていると書きましたが、もう1つお茶も売れているそうです。お茶の業界では「景気が悪くなると企業で会議が増え、茶の需要が伸びる」というのが通説です。
またテレビのプログラムは不景気を吹き飛ばせとお笑いが主流、街の花屋さんでは気分転換に「赤い花」が売れているとか。又神頼みなのか神社に足を運ぶ人も多い様です。こうした庶民のささやかな努力が景気回復につながるのでしょうか?
そういえば不況の年は演歌が流行るといいますからそれにも期待です。でも確かな裏付けがあるのでしょうか。

頑張る(?)

2009-02-11 13:43:20 | Weblog
昨日の中日スポーツの紙上で、山本昌投手が「自分には頑張る才能があったみたいだ」と述べていました。この「頑張る才能」という言葉が大変面白いと思ったものです。
頑張る基準は人からみるのと自分で考えるのとではギャップがありますから、人からみて「頑張ってるな」と思っても「それ程でもない」と自分で思うこともあります。この言葉から推測すると、頑張れるか、頑張れないか、どれだけ頑張れるかということが才能であるわけですね。
この才能に努力が重なれば鬼に金棒というわけですが、ここで忘れてはならない事があります。その職業あるいはそれをする事が好きということがベースにあるということ。好きというのはそのジャンルで頑張る才能が潜在的にあることで、才能を助ける努力も楽しんでできるわけです。
思えば今日2月11日は私の大学受験の日で、小雪がちらつく寒い日でしたが、好きなアナウンサー目指しての第一歩という意識で嬉しくて仕方がない日でした。つまり苦労を苦労と思っていなかったのですね。むしろ好きな事に対しては頑張るという言葉を使わなくてもいいのです。その道を目指して努力に努力を重ねる、この表現も大袈裟なのです。努力すら楽しむ事が出来るわけですから、熱中するという表現がふさわしいのですね。
その2月11日をスタートに念願のアナウンサーになり40年以上が過ぎようとしていますが、未だに好きな道で仕事が出来る。大変幸せな事です。
私にとって今日は「初心を確かめる」日でもあるのです。

サプライズ

2009-02-10 19:04:51 | Weblog
今日の新聞で最近の中学の歴史教科書での表記が、例えば仁徳天皇陵が大仙古墳に、また聖徳太子が厩戸うまやどの皇子に変わっていると報じています。我々の世代からすると全くのサプライズで、今までの知識が通用しなくなるのかと唖然とします。
これと同じ様に日本の歴史的背景が色んなところで変化していきます。明日の建国記念の日も、かつては紀元節と言っていました。8世紀初めに編纂された日本書紀が伝えている神武天皇の即位日を、太陽暦が施行された翌年、明治6年(1873年)の2月11日に定められた奉祝日でした。それが1966年に祝日法が改正されて建国記念の日となったものです。またこの日などは2月11日と固定していますが、その他の祝日はハッピーマンデーとかで日にちが変わってしまいます。こうした状況などは日本の伝統ある文化を消滅させてしまいかねません。
伊勢神宮は今、2013年の式年遷宮の準備が着々とすすめられていますが、この儀式の由来(例えば第1回が690年)などを学ぶことによって、日本の精神文化にもつながっていきます。日本の系譜や過去の出来事をしっかりと知る中で現代をみつめ、未来に生きていく姿勢が何より必要です。
ですからこうした歴史表記がころころ変わると何よりも家庭の中で親・子・孫とする日本の歴史の会話すらおぼつかなくなってしまいそうです。
歴史教育イコール心の教育だと思うので、慎重な扱いを期待したいものです。

花粉

2009-02-09 20:50:27 | Weblog
我が家では毎日ヨーグルトに蜂蜜をたらしてデザートとして食べていますが、今日食卓でテレビを見ていると天気予報の時間にはやくも花粉の飛散予測が報道されています。
ふと思ったのは花粉症と蜂蜜の関係です。ミツバチの主な食料は蜂蜜と花粉で、蜂蜜がパンやご飯の炭水化物にあたり、花粉がおかずです。ミツバチが花粉症になったと聞いた事もないので大丈夫とは思うのですが、やはり同じ心配をする人がいるもので「体内で蜂蜜に含まれている花粉を摂取するとどうなるのでしょうか」という疑問が載っていました。幸い私は花粉症ではないので心配はいらないのですが、花粉症の人は心配です。
色々検索をして見ていると何と毎日蜂蜜を小サジ1杯ぐらい摂取するとかえって花粉症に良いという意見もあったのです。市販の薬でも対処しきれない人にとっては調べてみる価値はありそうですね。
ともあれ蜂蜜は砂糖より糖分も少なく健康食品としては素晴らしいものですからやはり毎日の食卓には欠かせません。
ただこの蜂蜜を取り出す際、手元がおぼつかなくなってタラ~と机にこぼすと家人から叱声が飛んでくるのが唯一の悩みですが(笑)。