新聞のある音楽家のコラム欄に演奏には意図的に作る「無の30分」が必要だと述べられていました。楽屋でその時間を作り出すのだそうだ。その話を読んで、凄いなあと思うことしきりです。「無」とは「いかに考えないか」ということですが、私には絶対出来ないことだと思うからです。極端にいえば「考えないようにしよう」と考えてしまいます。初期の目的を忘れて単に考えない時間を作らなければということが主題になってしまうからです。
特に私の欠点でもあるのですが、何かに取り組んでいても、ふと他ごとを考え、今やっていることを放り出してそっちへ向かうことが度々ありますね。この落ち着きのなさは集中力がないと指摘される所以ですね。瞑想するという行為が難しいのも同じことです。
このコラムの筆者は空白の時を作り出す為に耳栓をして出来る限り無音状態にするのだそうです。最初は難しかったと書かれていたのでちょっとほっとしていますが、それでも継続してチャレンジしないと無の境地には達しないでしょう。ダメかぁと思うのはチャレンジしている最中に他の方法を思いつくことですね。
特に私の欠点でもあるのですが、何かに取り組んでいても、ふと他ごとを考え、今やっていることを放り出してそっちへ向かうことが度々ありますね。この落ち着きのなさは集中力がないと指摘される所以ですね。瞑想するという行為が難しいのも同じことです。
このコラムの筆者は空白の時を作り出す為に耳栓をして出来る限り無音状態にするのだそうです。最初は難しかったと書かれていたのでちょっとほっとしていますが、それでも継続してチャレンジしないと無の境地には達しないでしょう。ダメかぁと思うのはチャレンジしている最中に他の方法を思いつくことですね。