きのう、太宰治と三鷹には
ゆかりがあると書いた。
僕の父が五所川原市の産で、
隣の金木町が太宰の故郷。
お盆に帰れば、斜陽館にも
行ったし、小泊も訪れた。
(このあたりの事はまた後日)
そんな人ばかりじゃないと
気づき、まずは太宰と三鷹の
縁について書こうと思う。
無頼派の一人・太宰治は、
1939年9月から1948年6月まで
三鷹に住み『走れメロス』『斜陽』
『人間失格』などを生んだそう。
なので。
行きつけだった伊勢元酒店の跡地に
「太宰治文学サロン」を開設する等、
太宰ゆかりの場所がいっぱいある。
「サロン」は太宰没後60年と
生誕100年を記念し2008年に。
運営を行政と市民協働で行う、
〈新しい都市型文学関連施設〉
と謳っているのですが、、、
予算のない中でのアイデアだな、
という「現実」が透けて見えて、
少し涙ぐんだりもします。
けれど。
太宰といえば「貧しさ」もまた
ひとつの代名詞だもんね(^_^;)
ほかにも、太宰が編集者と
よく打ち合わせした屋台
「うなぎ若松屋」の跡地など、
市内に19の「縁のある場」の
10か所に「ゆかりの案内板」を
設置しているそうです。
また、筑摩書房が創設した
小説の公募新人賞「太宰治賞」。
吉村昭、宮尾登美子、宮本輝など
人気作家を世に送り出しながら
第14回を最後に中断していた、
この「賞」を太宰没後50年を機に
三鷹市が呼び掛け、共同主催での
復活もさせたのだとか……。
結果・・・
第21回受賞者の津村記久子が、
第140回芥川賞を獲得し、
26回の今村夏子は三島由紀夫賞、
29回、岩城けいは大江健三郎賞、
・・・と日本文学界の発展の
一助も担っている三鷹なのだった。
以上は、市のHPからの、ほぼほぼ
コピーペーストなので(>_<)
最後にオリジナルのねたで締める。
太宰が眠るのは、禅林寺。
駅から南下した大きなお寺で、
斜向かいには三鷹市芸術センター。
ここには森鴎外の墓も。
(寺院の被災により移転)
そして、もう一人。
日本の芸術に大きな足跡を残した、
土居甫(振付師)も眠っている。
ピンクレディ、タイガース等々の、
「伝説の」と呼ぶに相応しい男が
召されたのは2007年9月半ば。
葬儀は、土居さんに似合いの
めっちゃ良い天気で、暑かった。
もう十年になるんだな。
ゆかりがあると書いた。
僕の父が五所川原市の産で、
隣の金木町が太宰の故郷。
お盆に帰れば、斜陽館にも
行ったし、小泊も訪れた。
(このあたりの事はまた後日)
そんな人ばかりじゃないと
気づき、まずは太宰と三鷹の
縁について書こうと思う。
無頼派の一人・太宰治は、
1939年9月から1948年6月まで
三鷹に住み『走れメロス』『斜陽』
『人間失格』などを生んだそう。
なので。
行きつけだった伊勢元酒店の跡地に
「太宰治文学サロン」を開設する等、
太宰ゆかりの場所がいっぱいある。
「サロン」は太宰没後60年と
生誕100年を記念し2008年に。
運営を行政と市民協働で行う、
〈新しい都市型文学関連施設〉
と謳っているのですが、、、
予算のない中でのアイデアだな、
という「現実」が透けて見えて、
少し涙ぐんだりもします。
けれど。
太宰といえば「貧しさ」もまた
ひとつの代名詞だもんね(^_^;)
ほかにも、太宰が編集者と
よく打ち合わせした屋台
「うなぎ若松屋」の跡地など、
市内に19の「縁のある場」の
10か所に「ゆかりの案内板」を
設置しているそうです。
また、筑摩書房が創設した
小説の公募新人賞「太宰治賞」。
吉村昭、宮尾登美子、宮本輝など
人気作家を世に送り出しながら
第14回を最後に中断していた、
この「賞」を太宰没後50年を機に
三鷹市が呼び掛け、共同主催での
復活もさせたのだとか……。
結果・・・
第21回受賞者の津村記久子が、
第140回芥川賞を獲得し、
26回の今村夏子は三島由紀夫賞、
29回、岩城けいは大江健三郎賞、
・・・と日本文学界の発展の
一助も担っている三鷹なのだった。
以上は、市のHPからの、ほぼほぼ
コピーペーストなので(>_<)
最後にオリジナルのねたで締める。
太宰が眠るのは、禅林寺。
駅から南下した大きなお寺で、
斜向かいには三鷹市芸術センター。
ここには森鴎外の墓も。
(寺院の被災により移転)
そして、もう一人。
日本の芸術に大きな足跡を残した、
土居甫(振付師)も眠っている。
ピンクレディ、タイガース等々の、
「伝説の」と呼ぶに相応しい男が
召されたのは2007年9月半ば。
葬儀は、土居さんに似合いの
めっちゃ良い天気で、暑かった。
もう十年になるんだな。
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