我が中学の制服は学ラン(男子)で、
襟にはクラス章・・・学年カラーと
クラスの数字、私の代の6組なら
〈黄色の6〉・・・と
JRC章を留める決まりだった。
規則なので、真面目な生徒は従い、
ちょいとツッパる奴は外すので、
黒澤先生やクドベンあたりに
怒られるわけである。
てなわけで、私の13〜15才の
襟元には赤十字のバッヂがあった。
そんなJRCこと青少年赤十字は
〈現在1万4千校超の加盟校と
345万人以上のメンバーがいます〉
と公式発表していて、
我が柿生中学もそのひとつ。
と書きながら想起したのは、
中学につきものの委員会活動に
「JRC委員」ってのがあって、
ある意味人気だったこと
学級委員、秩序委員(一般には
風紀委員らしいが、我が校は
チツジョ委員だった)などより
楽チンで、かつ内申点に有利との
噂もあったりなかったり……。
校門までが急坂で、その地形ゆえ
あの頃はプールがなかった柿生中。
入学してほどなく「おはよう!」と
新入生にも気軽に挨拶をくれる
〈一郎くん〉の存在を知る。
「ウルトラマン。ウルトラマンがね…」
と、一方的に自分ごとを語り、
満足すると「じゃあね、バイバイ」と
猛スピードで去っていく三年生。
担任から自閉症だと聞く。
陽気な自閉症もあるのだな〜と、
それまで勝手にイメージしていた
障がいの認識を改めた5月。
・・・9月末からクネクネと
とっちらかったが、高校の
職員室に呼ばれて派遣された
「砂場」にここで話は戻る。
幼めの〈一郎くん〉達と半日過ごし、
やっと慣れた頃、御役御免。
つまりは大した交流もできずに帰路。
・・・不完全燃焼。
芝居の世界にたまたま進んで、
骨髄バンクと連動した作品を2本
(『マーヴィンの部屋』と
『首のないカマキリ』)、
ひきこもりの支援団体や
社会福祉協議会と連携した
『猫、獅子になる』などに
制作としてかかわったことと
それが連関しているかは知らない。
2024年、夏。
都内某所で園児に囲まれて、
思い出したり思い出せなかったり。
或いは若い頃、意外と接点のあった
JRCのことを綴ってみた。