麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

安らかなれ。

2013年11月18日 | 身辺雑記

最悪の場合は……と
病院からの連絡があって、
母、弟、おば二人らが
集まったのは11月9日夕刻。
副院長から説明を受けたのは
それから4時間程あとだった。

とにかく尽くせる手は尽くします。
言葉通りの医師看護師達の努力と
父の生命力でその日は
容態が安定して朝を迎えられた。
11月10日。
一度それぞれの家庭や仕事に戻った。
その日の4時少し前だ。
弟から「いよいよ」と。

そしてまもなく旅立った。
臨終には次男ながら事実上の跡継
宏のみ立ち会うことができた。



持病の痛風がまた痛くなったと
9月の終わりにいつもの調子で
病院へ向かい、入院。
暫くして、背中も痛いと言うから
調べてみたら癌が進んでいて、
余命は一年。
手術そのものが難しいから
命の保証はないと念を押された
10月半ば。

腫瘍は概ね切除。
ただ10時間以上に及んだ手術に
齢75の父の体力がかなり奪われた。

故郷の青森、立ちねぶたで知られる
五所川原を高校卒業とともに後にして、
川崎にやってきて以来、
土木建設の道一本に生きた男は
他の同世代より頑強な体を持ってはいた。

9日の前にも「会っておいて」が一度。
その体をもって幾山も越えての、
ついに力尽きての永眠となった。

仕方がないが悔やまれるのは
その闘いは鎮静剤の助けを借りたので、
(だから痛みも感じずに済んだのだが)
言葉を交わすことなく逝かせたこと。

それから。
今月末、30日が父と母の金婚式
になる筈がそれも成らなかったこと。

10日夕刻、永眠。
15日、通夜。
16日、葬儀。
すべて滞りなく執り行ったが
まだ、まるで実感がない。

10日再び病院に向かう僕に
弟が「死にました」とショートメール。
それを受けた僕の目の前の中吊りに
「うらやましい死に方」という記事。
それを何だか可笑しく眺めた。


冒頭の写真は、
土木屋の父の主戦場のひとつ、
東京湾と工場地帯だ。

安らかに。
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