麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

浪曲を初めて生で聴きました。

2014年12月08日 | 鑑賞
昨日もちょいと書きましたが、
僕のちっさい頃は、ラジオから
浪曲が四六時中流れていて、
おじいちゃんが熱心に聞いていた。

昭和生まれには、落語も講談も
浪曲も同じ着物を着た芸だから、
歴史に違いはないように思うが
調べてみると、明治初期に始まる
浪曲だけが新興の芸能だとわかる。
へえ~。

別称は浪花節。広沢虎造って名前や
『岸壁の母』で一世を風靡した
二葉百合子、最近でいえば
テレビなどの露出も多い国本武春
・・・と固有名詞は挙げられる。
けど、それほどの親しみはない。
そんな浪曲を初めて生で聴きました。

浪曲チームHAIDAKO-vol.2
~今年は忠臣蔵~
12月6日(土)、国立演芸場

「HAIDAKO」……澤勇人(はやと)、
東家一太郎、玉川太福(だいふく)、
東家孝太郎の頭文字から命名。

そして、東京の浪曲界において、
三十代の男性浪曲師は、なんと
この四人のみなのだと言う。


そんな絶滅危惧種(枕で本人談)が
「演芸の殿堂」で唸ったのは、

孝太郎『赤馬の殿様』
~吉良上野介は名君という話。
ホーメイ・口琴のアーティストから
転じただけに、ここでも妙技を
取り入れて先陣を切った。

太福『陸奥間違い』~後述。

勇人『岡野金右衛門の恋』
~吉良邸の地図を手に入れる任を
与えられた義士の悲話。
いわゆる浪花節で連想する濁声
(だみごえ)での名調子。

一太郎『大高源吾-腹切魚の別れ』
~仇討を秘さねばならぬ源吾と勘助。
親友・水沼との友情談。
こちらは一転軽やかな語り口。

と四者四様で大いに楽しめた。
昭和中期まで日本の津々浦々まで
人気を博した「浪曲」って、
やっぱパワーありますね!!

中でも太福は貫禄十分。
一人だけマイクを使わずの堂々。
ただ、噺はお題の「忠臣蔵」とは
ちょいと遠く……
大晦日。金策に窮した御家人が
旗本の松野陸奥守に使いを出すが、
下僕の勘違いで大名・松平陸奥守に
借金の手紙が渡るという筋。
ほぼ登場しない松野陸奥守が、
のちに赤穂に助力した商人・
天野屋利兵衛の取調べをした
……という落ち(?)。
それも含めて面白かった

さて、そんな浪曲の数少ない
「定席」が浅草・木馬亭だ。
遊戯空間『仮名手本忠臣蔵』で
ここ三年お世話になっている。
なにか繋がりは持てないかしら、
思いながら帰路につきました。
コメント
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