
◼️「It's Not Me イッツ・ノット・ミー/ C'est pas moi」(2024年・フランス)
監督=レオス・カラックス
レオス・カラックス監督作はいわゆるアレックス三部作を観ただけで、その後の長編復活作もミュージカル映画「アネット」もまだ観ていない。本作はカラックスに依頼していた展覧会が中止されたことから、その代わりとして製作された42分の映像。それはカラックス自身が考える自分の世界を映像化したエッセイのような映像のコラージュ。
綴られるのはカラックスの家族、身の回りの出来事から、亡くなった盟友への気持ち、留守番電話に残されたジャン・リュック・ゴダールからのメッセージ、自身の監督作の振り返り、さらに歴史や世界を揺るがした独裁者たちへの意見まで実に幅広いテーマに及ぶ。
ゴダールも似た作風のシネマエッセイがあると聞くが、到底僕には理解できないだろうと最初から観るのを諦めている。本作がそれっぽい映画と聞いて、大丈夫かな?と心配にもなったが、彼の監督作「汚れた血」がお気に入りなのでこれは挑むべきと心に決めて1週間限定上映の映画館へ。
断片的な映像がテーマも変えながら目まぐるしく示される。だが、それらはどこか連想ゲームのようなつながりを感じさせる。友達と会話している時に、「そういえばさぁ」という無敵の連結詞を挟んで突飛な方向に話題が展開されるのと似た感覚。
黒子が操る人形が、デビッド・ボウイのModern Loveをバックに画面右に向けて走る場面にちょっとワクワク🥰。でも「ポーラX」や「アネット」を観てたらもっとわかる部分があるのかもなぁ。
映像表現に触れる場面で、カメラが主人公の目線になる「主観ショットを使ったことがない」とカラックスは述べた。しかしすぐにそれを撤回して「一度だけ使った」とひと言添えて、「汚れた血」のジュリエット・ビノシュの表情が時間をかけて映される。「ポンヌフ」撮影後に破局を迎えた元カノであることを知っていると、ジュリエットが映るこの美しい数秒がすごく愛おしいものに思える。それは主人公アレックスの主観じゃなくて、カラックスの主観なのだ。
映画は私的な話題も含まれ、カラックス自身を表現したものだが、タイトルはそれを拒絶。"それは僕じゃない"と題されている。文章でも映像や動画でも形にしてしまうと、自分から切り離されたことのように思えて客観視しまうことってないだろか。タイトルはカラックスの照れ隠しなんだろう。
人間にはまばたきが必要。そうしないと目が乾いて視力を失う。だが芸術は一瞬たりとも見逃されることを望まない。だから"この世界の美はまばたきを求めている"。
これはこの映画の締めくくりの言葉。僕らが目にする様々な物事を、"見逃さないために時々目を閉じろ"とカラックスは言っているのだろう。ついていけるのか不安に思った42分は、好奇心をくすぐってくれる不思議で素敵な時間となった。
綴られるのはカラックスの家族、身の回りの出来事から、亡くなった盟友への気持ち、留守番電話に残されたジャン・リュック・ゴダールからのメッセージ、自身の監督作の振り返り、さらに歴史や世界を揺るがした独裁者たちへの意見まで実に幅広いテーマに及ぶ。
ゴダールも似た作風のシネマエッセイがあると聞くが、到底僕には理解できないだろうと最初から観るのを諦めている。本作がそれっぽい映画と聞いて、大丈夫かな?と心配にもなったが、彼の監督作「汚れた血」がお気に入りなのでこれは挑むべきと心に決めて1週間限定上映の映画館へ。
断片的な映像がテーマも変えながら目まぐるしく示される。だが、それらはどこか連想ゲームのようなつながりを感じさせる。友達と会話している時に、「そういえばさぁ」という無敵の連結詞を挟んで突飛な方向に話題が展開されるのと似た感覚。
黒子が操る人形が、デビッド・ボウイのModern Loveをバックに画面右に向けて走る場面にちょっとワクワク🥰。でも「ポーラX」や「アネット」を観てたらもっとわかる部分があるのかもなぁ。
映像表現に触れる場面で、カメラが主人公の目線になる「主観ショットを使ったことがない」とカラックスは述べた。しかしすぐにそれを撤回して「一度だけ使った」とひと言添えて、「汚れた血」のジュリエット・ビノシュの表情が時間をかけて映される。「ポンヌフ」撮影後に破局を迎えた元カノであることを知っていると、ジュリエットが映るこの美しい数秒がすごく愛おしいものに思える。それは主人公アレックスの主観じゃなくて、カラックスの主観なのだ。
映画は私的な話題も含まれ、カラックス自身を表現したものだが、タイトルはそれを拒絶。"それは僕じゃない"と題されている。文章でも映像や動画でも形にしてしまうと、自分から切り離されたことのように思えて客観視しまうことってないだろか。タイトルはカラックスの照れ隠しなんだろう。
人間にはまばたきが必要。そうしないと目が乾いて視力を失う。だが芸術は一瞬たりとも見逃されることを望まない。だから"この世界の美はまばたきを求めている"。
これはこの映画の締めくくりの言葉。僕らが目にする様々な物事を、"見逃さないために時々目を閉じろ"とカラックスは言っているのだろう。ついていけるのか不安に思った42分は、好奇心をくすぐってくれる不思議で素敵な時間となった。