
◼️「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯/Pat Garrett and Billy the Kid」(1973年・アメリカ)
監督=サム・ペキンパー
主演=ジェームズ・コバーン クリス・クリストファーソン ジェイソン・ロバーツ ジャック・イーラム
昔から興味はあったけどなかなか観る機会がなかった「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」。今年は、「名もなき者」を観て以来ボブ・ディラン関連作に手が伸びる。今回が初鑑賞。監督はバイオレンス描写で語られることの多いサム・ペキンパー。ディランは音楽を担当し、ビリーの仲間の一人として出演。名前は主役2人の次に映し出され、しかもメインタイトルの前という準主演扱い。ナイフの扱いも得意なガンマンを演じている。
保安官となったパット・ギャレットが友人でもあるビリー・ザ・キッドを追い詰めていく様子が描かれる物語。タイトルこそビリーだが、この映画の主役はあくまでもパット・ギャレット。かつては一緒に悪さもやった仲間を追わなければならない。年齢を重ねて、生き方や立場が変われば、ままならないこともある。ジェームズ・コバーンは、そんなパット・ギャレットの冷静に見える行動とその裏にある心の揺らぎを、無駄口を叩かずに態度で示してくれる。70年代の漢(おとこ)映画は、台詞に頼らずにジワーッと伝わるものが多いが、本作もその一つ。本業は歌手のクリス・クリストファーソンは、逆境に屈しないタフなビリーを演じている。
ビリーがメキシコに向かって逃げる先で起こす騒動やさらなる殺人。それを追うパットが出くわす様々な人々との小さなエピソードが積み重なっていく。ビリーの行方を知るガンマンが立てこもる家を、スリム・ピケンズ演ずる老保安官とそのメキシコ人妻と共に取り囲んで迫る場面。腹を撃たれてヨタヨタと歩く夫を、涙を流して無言で見守る妻の表情が強い印象を残してくれる。妻を演ずるのは名作西部劇「真昼の決闘」のカティ・フラドー。そしてこの場面に流れるのが、ボブ・ディランの名曲Knockin' On Heaven's Door(天国の扉)だからたまらん🥹
西部劇の音楽というと、「荒野の七人」「大いなる西部」みたいな勇壮なオーケストラ楽曲を思い浮かべるが、本作はギターとブルースハープと重なる男声のコーラス。その響きはガンアクションや飛び散る血しぶきの映像と違って激しさはないが、確実に映像を観客の記憶に刻みつける助けになっている。
何よりも素晴らしいのはクライマックス。ビリーが女性と抱き合う家までたどり着いたパット。いきなり踏み込むのではなく、男女の営みが終わるのを待っているかのように、ウッドデッキで座って待っている。そして向き合った2人の間を銃弾が走る。パットはかつての友を撃った自分の姿が映る大きな鏡に向かって、もう一発銃弾を撃ち込む。この一発に込められた気持ちを考えると強烈に切なくなる。そして、殺した証拠にしようとビリーの死体から指を切り落とそうとする助手を銃の台尻で殴り倒す。
ビリーの死体のそばで夜を明かしたと思われるラスト。黙って村を後にするパットに子供が幾度も幾度も石を投げつける。クライマックスからラストシーンまで台詞はほんのわずかしかない。それなのに胸が苦しくなるこの切なさはなんだ。ジェームズ・コバーンの背中に漢(おとこ)の無言の悲しみをみた。サム・ペキンパー監督作でこんな切ない気持ちになるなんて🥺。
法で秩序が作られる時代となる西部開拓時代の終わりと、ビリーとパットが駆け抜けた若き日の終わりでもあるのだ。
ビリー・ザ・キッドの最期を描いた映画というと、僕ら世代は「ヤングガン2」を思い浮かべる。あの映画で富豪で大牧場主のジョン・チザムを演じていたのはジェームズ・コバーン。本作へのオマージュなんだろう。
保安官となったパット・ギャレットが友人でもあるビリー・ザ・キッドを追い詰めていく様子が描かれる物語。タイトルこそビリーだが、この映画の主役はあくまでもパット・ギャレット。かつては一緒に悪さもやった仲間を追わなければならない。年齢を重ねて、生き方や立場が変われば、ままならないこともある。ジェームズ・コバーンは、そんなパット・ギャレットの冷静に見える行動とその裏にある心の揺らぎを、無駄口を叩かずに態度で示してくれる。70年代の漢(おとこ)映画は、台詞に頼らずにジワーッと伝わるものが多いが、本作もその一つ。本業は歌手のクリス・クリストファーソンは、逆境に屈しないタフなビリーを演じている。
ビリーがメキシコに向かって逃げる先で起こす騒動やさらなる殺人。それを追うパットが出くわす様々な人々との小さなエピソードが積み重なっていく。ビリーの行方を知るガンマンが立てこもる家を、スリム・ピケンズ演ずる老保安官とそのメキシコ人妻と共に取り囲んで迫る場面。腹を撃たれてヨタヨタと歩く夫を、涙を流して無言で見守る妻の表情が強い印象を残してくれる。妻を演ずるのは名作西部劇「真昼の決闘」のカティ・フラドー。そしてこの場面に流れるのが、ボブ・ディランの名曲Knockin' On Heaven's Door(天国の扉)だからたまらん🥹
西部劇の音楽というと、「荒野の七人」「大いなる西部」みたいな勇壮なオーケストラ楽曲を思い浮かべるが、本作はギターとブルースハープと重なる男声のコーラス。その響きはガンアクションや飛び散る血しぶきの映像と違って激しさはないが、確実に映像を観客の記憶に刻みつける助けになっている。
何よりも素晴らしいのはクライマックス。ビリーが女性と抱き合う家までたどり着いたパット。いきなり踏み込むのではなく、男女の営みが終わるのを待っているかのように、ウッドデッキで座って待っている。そして向き合った2人の間を銃弾が走る。パットはかつての友を撃った自分の姿が映る大きな鏡に向かって、もう一発銃弾を撃ち込む。この一発に込められた気持ちを考えると強烈に切なくなる。そして、殺した証拠にしようとビリーの死体から指を切り落とそうとする助手を銃の台尻で殴り倒す。
ビリーの死体のそばで夜を明かしたと思われるラスト。黙って村を後にするパットに子供が幾度も幾度も石を投げつける。クライマックスからラストシーンまで台詞はほんのわずかしかない。それなのに胸が苦しくなるこの切なさはなんだ。ジェームズ・コバーンの背中に漢(おとこ)の無言の悲しみをみた。サム・ペキンパー監督作でこんな切ない気持ちになるなんて🥺。
法で秩序が作られる時代となる西部開拓時代の終わりと、ビリーとパットが駆け抜けた若き日の終わりでもあるのだ。
ビリー・ザ・キッドの最期を描いた映画というと、僕ら世代は「ヤングガン2」を思い浮かべる。あの映画で富豪で大牧場主のジョン・チザムを演じていたのはジェームズ・コバーン。本作へのオマージュなんだろう。

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