忘却への扉

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教育ほど恐ろしいものはない

2017-05-30 | 平和を

 【 教育勅語検証し戦争阻止を 】 東温市 男性( 84・無職 )

 ◇教育ほど恐ろしいものはない。戦争が1年長引いていたら、私は特攻兵士としてゼロ戦に乗り散華していたかもしれないと思うと背筋が寒くなる。当時の小学校上級生は、みんな少年飛行兵に志願すると決めていた。
 ◇修身(道徳)の時間には教育勅語を暗唱したり、戦争で勇敢に戦った武将や兵士の話に耳を傾けたりしていた。教育勅語っは徹底的に叩き込まれた。毎月の8日(太平洋戦争開戦日)は、全校生徒が運動場に集合し、奉安殿から教頭先生がささげて運んできた教育勅語を校長先生がうやうやしく奉読した。寒い冬の朝礼は大変だ。鼻水を流し、震えながら直立不動の姿勢で、奉読が終わるまで物音を立てず聞き入った。奉読中、ある生徒が鼻水を音を立ててすすったことがあり、ひどく注意され立たされた。
 ◇5年生になると、全員が勅語を暗唱せねばならず、毎日放課後2、3人が立たされた。今、教育勅語を軽々しく語ってほしくない。勅語がたどった後を検証し、戦争への道は断固阻止したい。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 私の周囲にも軍国主義教育で洗脳された戦争体験者は多くいて話を聞いた。海軍志願は分からないでもないが、特攻隊員となれば無駄死にと分かっての行動。高学歴の優秀な若者を国家の命令で多数殺したのだ。
 お国のため天皇のためと子どもの頃から洗脳され、軍隊に憧れる人間作りに教育勅語を利用した。私がよく話を聞いた人などは嫌な時間や式などが始まる前に、悪ガキ仲間たちと逃げ出しずらかったと言っていた。多分それに、毎月8日も含まれていたのかも。
 先生に叱られたこともないようだったのは、持て余す悪ガキの彼らがいない方が、学校にとっても都合良かったのだろうと私は思う。兵隊に召集されたり、志願することもなく戦後を迎えたおかげで、お人好しの頑固者の私も出会えた、怖いものなしの個性的な頑固者を生き抜いた先輩。

コメント
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