忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

あの言葉に

2017-05-13 | 共に

 国家による大量殺人の、戦争や核発電所事故による死は特に嫌だと思ってきた。いじめを受けての自死報道もよく見る。日本国憲法を疎んじ、自由に戦争のできる国家へと突き進み、命を粗末にする歪んだ政府。
 この歳になるまでに、侵略戦争での殺掠(さつりゃく)と戦死に空襲体験など、体験者やその家族から多数聞いた。身近な人たち病死や事故に老衰での死とも出会い、最後を看取ったことも幾度もある。触れた手の冷たい感触を想い出す。
 いつか行く道、死を怖いと思ったことはない。自然死でなく例え傷ついていても、献体はできると知り猶更、延命治療は拒否する。何があってもまずは献体の会への電話。献体最優先を遺言としている。
 事故で死ぬ寸前で命拾いし、退院で家に着き、玄関を入るところで「死んどったら 良かったがに」。それ以前から現在も遅効性の毒ヲ塗った棘(とげ)のある言葉を聞き続ける日々。だが、これまでは一度も自死を考えたことはなかった。
 70年目を迎えた憲法記念日。子どもの日だったか、日本国憲法の真髄として「個人の尊重と個人の尊厳、」の言葉を書いたが、あのころ二度、自死もありかなとの思いが浮かぶ出来事があった。
 知人が何人も選んだ道であっても、人には奨めず、知人を「悲しませるな」と説得もした。会話も交わせず思いは違っても、一緒を感じていたい。私も場所と方法は決めたが実行するかどうかは、まだ未定。環境が人の行動をも左右させる。

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