忘却への扉

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麦刈りの光景に

2017-05-27 | 追憶

 裸麦では愛媛県が生産量日本一とか?県内消費ではなく麦みそや麦焼酎の原料としての栽培だ。 国道沿いの平地に色付く大麦畑の地方がある。コンバインでの刈り取りが終わった畑では、刈り株?を焼く真っ白い煙があちこちで上がってもいた。
 人は見当たらず、人家や工場か資材置き場に会社の建物などが点在する中でのあの煙。苦情が出ないのが不思議、消防署への許可はもらえるのだろうかとも気になる。
 子どもの頃私の住む中山間地の村では主食は麦ごはん。主食裸麦の自家用栽培をほとんどの農家で行っていた。寒かった真冬には濃い緑色の麦苗を霜柱が持ち上げるので、朝には麦踏をしたものだ。
 段畑の麦刈りは私も祖父母や母と一緒に鎌(かま)を手にして刈り、運こぶ。束ねた麦を家まで背負い、庭でセンバで麦藁(わら)と穂に分け、広げた筵(むしろ)の上に穂を広げ、竹で作った道具でよく叩き、木製の農具の唐(とう)みで風を起こしてごみなど吹き飛ばし、麦と分けた。
 厚みのある大きく四角内面にトタンが張られた木箱が2つあり、それに収穫した麦を入れふたをして保存し、1年分の家族の主食となった。減って来ると麦を炊く時そら豆や干し芋を混ぜ増量する。
 麦藁は、牛小屋の敷き藁用に全て積み上げ保存した。子どもの私の寝床にもなった。牛小屋の後ろにあった藁置き場から牛小屋に運ぶ手伝いもした。大声で呼びかけると向かいの山から山彦が帰ってくる環境がそこにはあった。

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