Ma Vie Quotidienne

一歳に二度も来ぬ春なればいとなく今日は花をこそ見れ

道南遠征 ② 奥尻にて震災学習

2015-06-26 20:46:05 | Travel
奥尻の青苗地区に到着しました。
22年前の北海道南西沖地震で津波の被害が一番多かった地区です。


当時この灯台も傾いてましたね・・・。

当時多くの人が住んでいたエリアは震災記念公園になっています。


その真ん中にある、奥尻島津波館。

まずはここで震災学習です。

入館料を払うときに自分で自由に見学するか説明つきにするかと聞かれたので、
せっかくだから説明つきでお願いしました。

まずはエントランスホールにある、青苗地区の震災前後の航空写真から。


漁港近くは海抜が0~1mだったにもかかわらず、
多くの民家や番屋が密集していました。


島の北部で起こった地震により3分後には北岸地区に津波が到達、
津波は島を伝って南へ向かい、
周囲の海底地形の影響をうけて地震から5分後には島南部をえぐるように飲み込み、
北海道本島にぶつかって戻ってきた波や第2波、第3波にも飲まれ、
合計7回の波に襲われたそうです。


震災後、青苗地区には民家は立てられないこととなり、
町が土地を買い上げて盛土をして公園とし、
民家は6mの盛土をして移転されました。


そして館内メインホールへ。

地震や津波を表現するアーティスティックなモニュメントと、
48個の立体模型による奥尻島の歴史と震災の再現、
当時の写真などにより構成されています。


震災で亡くなった奥尻島民198名の鎮魂のための「198のひかり」


振動を表すモニュメント。


立体模型による再現。

津波の襲来。


1週間後には仮設住宅の設置工事が始まったのですって。
びっくり!


全て波に奪われた青苗地区はかさ上げと公園を作る工事がはじまりました。
などなど・・・・。


そして写真展示。

傾いた青苗灯台。


奥尻のシンボル、なべつる岩付近。

職員さんの説明はすごくわかりやすく、
当時のご自身の体験も交えながら話してくださったりして、
たいへんためになりました。

そのあと地下の映像ルームで10分ぐらいのビデオを見せていただくのですが、
準備の間に、奥尻で見つかった縄文土器などの展示を見ることができます。


ビデオ含めてざっくり40~45分でしょうか。
わたしは一人でじっくり説明書きや子供たちの詩なんかを読むために
もう一回りしたのでもうちょっとかかりました。

津波館をあとにして、正面にある鎮魂慰霊碑「時空翔」へ。

青苗地区を襲った津波の高さと同じ13mの高さになっているそうです。

階段を上るとモニュメントがあります。

震災があった7月12日には毎年、
夕陽が真ん中のくぼみに入って落ちていくように設計してあるそうです。



時空翔の丘からみた奥尻の海。



さて、公園内を歩いて島の南端に行ってみましょう。


なだらかに海に向かって下って行きます。
これくらいかさ上げしているってことですね・・・・。


公園には遊具もあったりしますが、ひっそりとしています。
まあ平日(金曜)のお昼っていうのもありますが、
人口が激減しているので公園で遊ぶ世代が少ないっていうのもあると思います。


島の南端にある徳洋記念碑。
1880(明治13)年、
当時のイギリス東洋艦隊旗艦が函館から小樽へ向かう途中に青苗沖で座礁した際、
訓練のため乗艦していた有栖川宮様が先頭に立って救助を行ったのを記念して、
1931(昭和6)年に建立。
これは津波に耐えて残ったんですって。
皇族絡みだから頑丈に作られていたんでしょうね・・・。


島南端から日本海を望む・・・。


島南端から津波館方向を望む・・・・。

さて、それでは漁港方面に向かって少し歩いていきましょうか。


堤防は9mだか10mだかにしたっていってました・・・。


青苗漁港。

ここからも震災について考えながら奥尻の町並みをみて歩きます。

つづく。








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