Ma Vie Quotidienne

一歳に二度も来ぬ春なればいとなく今日は花をこそ見れ

読書  猫を抱いて象と泳ぐ  小川洋子著

2011-12-25 00:40:37 | Book


映画化された「博士の愛した数式」の著者、小川洋子さんの作品です。
この作品はチェスを愛した少年のお話。

チェスはやったことないんですが、
この作品読んだらやってみたいなと思いました。

でも、
なにかをしているときに
自分が海や宇宙を漂っている感覚や
何か大きなものに抱かれているような感覚を覚えることって
そうそうたくさんあるわけじゃないから、
この作品を読んでチェスを始めても、
自分がその世界を漂えないとわかってガッカリしたら
この作品がかわいそうになっちゃうので
しばらくチェスには手を出しません(笑)

それくらいチェスの世界の奥深さを叙情的に綴ってある作品です。

主人公の少年は、
生まれたときに奇形があって手術を受けていて、
両親がいなくて祖父母に育てられて、
裕福でもなくて、
空想にふけりがちな小さくておとなしい子ですが、
おばあさんが「奇形があったぶん何か特別の力が備わっているに違いない」と
信じていたとおり、
不思議な力に導かれてチェスを教えてくれるおじさんと出会い、
そこからその才能を開花させます。

少年は、
アリョーヒンという有名なチェス指しの再来といわれるまでの才能があり、
リトル・アリョーヒンと呼ばれるまでに成長しましたが、
決して表舞台に出て華々しい戦歴を残すことはありませんでした。

でも
「最強のチェスが最良のチェスだとは限らない」という師匠の言葉を胸に、
対戦相手と共に美しいメロディーを奏でるようなチェスを指すことで、
人々の記憶に残ることとなります。

人にはなにか
自分が自分であるための手立てが備わっているんだと思いますが、
それを引き出してくれる人や出来事との遭遇を
人生の早いうちに体験できる人とずっと体験できない人がいると思います。

リトル・アリョーヒンは
駒の動きを目で追うのではなく、
耳で聞いて空気で感じているうちに
自分が静かな海底を漂うような感覚を覚え、
その心地よい流れに身を任せているうちに
相手のキング(駒)にたどり着く道筋が光となって
彼を導いてくれます。

彼がその体験をするには
ある程度犠牲を払わなくてはならないのですが、
大好きなチェスを美しく奏でるため、
彼がその犠牲を厭うことはありません。

そういう「なにか」がある人生って、
たとえ傍から見て不幸でも、
本人にとってはものすごく有意義で、
誰も理解してくれなくても気にならないんだと思います。
実際はごく少数でも理解してくれる人は現れますけどね。

私にとってその「なにか」ってあるかなって考えました。
たぶん今のところ「走ること」です。
あんまり速くはないですが、
リトルアリョーヒンがチェスを指しているときと同じように、
自分の心と体と外界がひとつになって、
ふわふわの光に包まれる感覚を覚えることがあります。
いわゆるランナーズハイみたいなものなんでしょうけどね。

「最強のチェスが最良とは限らない」と同じことで、
「速く走ることが最良のランだとは限らない」と思っています。
速いタイムはおまけです。
自分も外界も痛みも犠牲もすべてまとめてひとつになって
ふわふわと漂った結果です。
おまけが付いてこなくても感覚は記憶に残ります。

できるだけ長い間
その深く静かな海を漂うような体験をし続けたい・・・。
そう思わせてくれる作品でした。