羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

ラ・ジャポネーズ!

2014年08月04日 | Weblog
世田谷美術館に「ボストン美術館~華麗なるジャポニズム展」を観に行ってきた。   


運よくボストン美術館特集の古い美術雑誌を持っていたのですこし予習してから行った。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、西洋でおきた日本趣味のブーム。
浮世絵などにみる大胆な構図や色使い、日本独特の装飾品など。
影響を受けた画家は驚くほど多く、ゴッホやマネの作品も
いわれてみれば似通った雰囲気の日本画があり、並べて展示してあるので面白い。

睡蓮の絵が有名なクロード・モネも1867年のパリ万国博覧会をきっかけに、
日本への憧憬と愛好を持ち始めた一人だったが、この「日本娘」を発表した頃はまだ、
売れない画家だったという。
モデルとなった妻、カミーユは夫の成功をみることなく32歳でこの世を去った。

カミーユ・・・!なんと可憐なやさしい表情。貧しい売れない画家の夫に寄り添って。。。
あなたの笑顔は、130年の時を越えて今こうして日本の人々をとりこにしていますよ、と
胸のうちで呼びかけた。

失意のモネを献身的に支えた女性がいた。画商の夫をもつ人で、病床のカミーユを看病し、
のこされた子供たちの世話をした。
着々と名声を築きつつあるモネの心の支えになったのはその女性、アリスの存在だった。
旅先からいつもアリスに送られてくる手紙。
「僕があなたを愛し、あなたなしでは生きていけないことを憶えていて下さい」

二人はアリスの夫が亡くなった後に結婚。モネは51歳になっていた。
(立会人はカイユボット。そうそう、カイユボット展にも行ってみてよかった。)

モネが晩年を過ごした庭には睡蓮の池があり、降り注ぐ光を受けて、
彼の創作意欲に応え続けた。
その池には日本風の太鼓橋が架かっていたという。

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