羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

おみくじ

2013年01月05日 | Weblog
大晦日に中村文則「掏摸」を読み終えた。
「新年おめでとう」という雰囲気からかけ離れた小説だったが
このひとの作品をまた読もうと思った。
(そして「スリ」の小説だったので
 正月の混んだ電車の中でちょっと用心深くなったりした。)

元旦は穏やかに晴れていた。
母のところへ自転車を走らせた。
母は何でもよく分っているところがあるので、
お正月なのに誰もこないの?と寂しがっているかと気がせいたが、
心配はいらなかった。
皆さんで初詣に行き母は車椅子で連れて行ってもらったそうだ。
そしてカルタとりもしたとのこと。
母のメモに「かるたとり、いちばんだったよ、ミヨ」とあり自分の顔まで
書いてあって微笑ましくて嬉しかった。

二日には家に帰ってきてもらった。
孫たちに囲まれてほんとうに嬉しそうだった。
そのとき「おみくじ入りクッキー」をみんなで一個ずつとり
ああだこうだと大笑いした。
今日、母のところへ行ったらその小さなおみくじがちゃんとテーブルの上にあった。
(中吉だった)
ああだこうだ笑いながらぽいと置いていった人たちもいたが、
母はちゃんとカーディガンのポケットにしまって持ち帰っていたのだ。

ところで母は、何故かいろんなものを紛失する。
今日は卒業生さんから頂いた新しい手製のカレンダーが行方不明だった。

「またなくしちゃったの!?」と家にいる頃は何度言ったかわからない。
責める口調になっていたと思う。
ホームに入って良かったことはわたしに心の余裕ができたことだ。
どうしてなくなるのか、、捨てた?のかわからないが、もう以前のように
イライラすることはない。
『誰のせいでもない』
小さなおみくじの紙片がテーブルのすみっこで「そのうち出てくるさ」と
いっていた。