羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

髪を洗う

2010年12月19日 | Weblog
高齢だから思うようにいかないこともありながら、それなりに
元気に過ごしていた母がちょっとしたことがきっかけで
すっかり病人になってしまった。

「忘れちゃった」と言いながらもにこにこしていたし、
たいていのことは一生懸命じぶんでしていた。

紅葉と冬桜を見せたいとドライブに誘ったときも
とても喜んで同行したし長距離で疲れたと思うのに、
愚痴もこぼさず「きれいだったねぇ」と何度も言っていた。




埼玉県と群馬県の境目にあるこの城峰公園に日帰りドライブをした頃が、
遠い昔みたいだと母は言うけれど、実際にはほんの一ヶ月ほど前のこと。
ほんとうにちょっとしたきっかけで年老いた人はどんどん弱気になり、
それと同時に病状も進行していくようだ。

今は、何もしたくないし何も食べたくないといって、
一日中椅子に座っている。
でも起きてくれるようになったしわたしが作ったスープも飲んでくれる。

今日は暖かいし仕事も休みなので、「今日こそ髪を洗おうね」と促した。
12月初旬は寝ていたし、ようやく起きている時間が長くなった今、
そう、今日がいい。
きれい好きの母を思ってこれまでにも何度か声をかけてみたが、
首をふるばかり。
だけど、かれこれもう二週間以上は洗えてなかったと思う。
今日も「まだ早い」「アタマはかゆくない」挙句は「何だか寒気がする」と
言っていたが燦々と日差しが差し込む二階の台所にストーブまでつけて
流しの前の椅子に座ってもらって手早く優しく洗髪した。
洗っていたら白とグレイの短い母の髪の毛がわたしの手のひらいっぱいに抜けて
「あ」と思った。

手をつないで別の椅子に移動して座らせてドライヤーで乾かした。

母のいる一階よりも陽の当たるここの二階になるべく長くいて貰おうと思った。

看病も介護も、思うようにいかないこともある。
ついイライラしてつよく言ってしまって後悔することもあるし、
それを思うと涙もでてくる。
でも、できる範囲で出来ることを手助けしながら、
どうにかやっていこうと思う。
老人性うつ病は手ごわいかもしれないけれど、
母の笑顔がまた見たい。




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2 コメント

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日々の中で (カラマツ)
2010-12-20 07:21:38
 娘さんの職捜しとお母様への介護、どちらも気の懸かることですね。それでも自分に出来ることを出来る範囲でするしかないのも現実です。

 そんな日常、心身ともに無理をしないで大切に過ごしてくださいね。それが娘さんにもお母様にもいちばん良いことだと思えますので。
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そうですね (すみれこ)
2010-12-20 21:31:52
カラマツさん、ご無沙汰いたしました。
お変わりございませんか?

昨年の今頃は長男のメンタルクリニックに
付き添っていました。
その息子が「おばあちゃんの顔見にきたよ」と
寄ってくれて、次女とも話していきました。

そんな、ふとした嬉しさも味わいながら、
どうにかやっていこうと思います。

やさしいお言葉、ありがとうございました。
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