羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

待つ

2008年10月16日 | Weblog
「いま病院にいて家族の手術を待っています」という友人からのメール。
ご病気のことは聞いていたけれど、やはり手術になったのか、と俄かに心配になる。
「大丈夫、ぜったいにだいじょうぶよ」と返信する。


わたしも、何回も何回もオペを待った。ストレッチャーで運ばれた家族をひたすらに待った。
たった一人で長い時間、待っていたこともある。
心配をかけたくない、というよりも「心配する人間が増える」ことが辛くて
あまり友達には言わなかった。
それでも「いつ手術?」と聞いてくれる友がいて、日にちを言い、彼女が、
携帯に「だいじょうぶよ、信じて待ってようね」とメールをくれたときは
すごく有り難かった。
本当は泣きたいくらい心細かったんだ、ということが自分で分かった。
携帯のありがたさをあの時ほど感じた日はない。

友人のご家族の手術は難易度の高い、大がかりなものだという。
「無事に終わったよ」というメールがくるのをいま、待っている。

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