若いころ、携帯などなかったので、仲間との交換ノートや手紙をやたらに書いた。電話もしたが、電話は茶の間にあって、家族がいるので長々と話すことはできない。
しかし、この手紙というのは厄介だ。手を離れたら書いた人の物ではなくなる。とんでもない手紙は、受け取り手に大きな痛手を与えたりする。また、恥ずかしくて返してもらいたいものもあるだろう。
わたしも、某先生にお礼の手紙を書こうとして迷いに迷い、ついには書くことを断念した。殿の想いを伝えようと、宝物のような時間のお礼をしようと思ったが、亡くなった人と撮った写真を家族ではない人が手にしたら困らないだろうか。「手紙にも賞味期限があります。100日経ったら処分してください。」と、書いてみるのもおかしな話だ。
それでも、貴重な時を忘れたくない。それは、自分だけが思っていればよいので、他人に強要してはいけないのではないかとも思う。
お礼の言葉は伝えたいが、どんなふうに書こうかと考えると、ペンは止まるのである。
どうでもいいことは、べらべらと書けるのに。