このたび選択定年のため、退職願いを提出した。正式には、誕生日の月12月に退社となる。
双六でさいごのサイコロの目が6つだったようなかんじ。一挙にあがりの目を振ったので、定年を待たずにあがりだ。もったいないという方もいたが、わたしは逆に得をした気分だった。いろいろなことに気づき、手遅れにならない間に、自分や家族のために、きちんと地に足をつけて、スタートすることがほんの少し早く迎えられた。
そして、すごろくの出来事を振り返ると、いつも弓道がかぶっていて、しあわせな会社生活であったことを改めて感謝。
初めて会社の弓道部仲間で、県予選を通り、広島へ全国大会に出た時に、広島の営業所のみんなと、試合前夜に飲んだこと。今なら忙しくて、営業の人が寄れるなど考えられない。その時の、営業の方々に、後にお世話になるなど思いもしなかった。7年前、別会社を立ち上げる時に、広島へ研修と称し何度も出張し、すべてのノウハウを習った。「ずっと昔に来たときは、ゆかた祭りじゃったけぇ。」と、言われた。広島弁はやさしくていい。すごい人で、年寄組と若者組が、意識的にはぐれた。女はわたしひとりだったが、今では女子のほうが増えて、昨年は二度目の岐阜の全国大会。男はひとりだった。
広島のNさんが、加賀へ見えた時、冬の加賀を案内し、山代の温泉につかって、話をしたことが嬉しかった。本当に惜しげもなく、すべてを教えてくれた彼女に感謝。その後、名古屋の営業の方たちとは、一緒に泣き笑い、常に楽しく仕事をさせてもらった。難しい客の要望に負けそうになると、いつも力を貸してくれた。
仕事の友はもとより、入社当時からずっと仲良くしている3人とは、なんでも打ち明けられ、ずっと支えてきてもらった。今回も、入院前に、谷川岳へ一緒にいき、わたし以上に落ち込むので、こちらが励ましていたくらいだった。
設計にいたころに、ちょうど石川国体があって、選手になったわたしに、昼休み大きい的を抱えて、遠的を設置してくれたり、みんなで色紙に寄せ書きをしてくれて、決勝の日には会社から応援にかけつけてくれた。あの時の横断幕は処分したが、いつまでも忘れられない。その頃、知り合った仲間は、違う職についているが、今でも力になってくれている。
そして、その後、とんでもない人事のときに、支えてくれた仲間も、今もずっと仲良く行き来してくれることが嬉しい。同志社のチャペルでの結婚式に呼んでもらった時の写真が出てきて、懐かしかった。
本当に、多くの人と出会い、すれ違い、なんのためらいもなく辞める日を迎えられることに、安堵がある。「よく頑張った」と、自分に言う。
ここで、一旦写真の整理をして、会社すごろくが完了。このあとの双六の一番はじめの項目は、「八ヶ岳でコーヒーを飲む」というもの。来年の夏めざして、友達のところへ、仲間と共にでかける。 さて、その後はお楽しみ。