(前回からの続き)
前回、「アベノミクス」のねらいは、円安誘導によって、自動車やテレビなど、かつての輸出の花形であった「消費財」(完成品)の輸出を盛り立てることにある、なんて見方を記しました。まあ安倍首相や黒田日銀総裁を含む、アベノミクス推進の中心世代である60~70歳代以上の方々には、いまから50年ほども昔、まだSLが現役で走っていた頃の高度成長期の成功体験を再現させたい!という思いが強いのかもしれません・・・。
しかし、ときすでに21世紀、平成の御世・・・。リニア着工間近のこの国の輸出構造はすっかり様変わりし、先述のとおり、いまや消費財の輸出額は全輸出額の2割にも届きません。たったそれっぽっちでは、たとえそれらの輸出面に円安のプラス効果(ドル建て輸出額の円換算額が大きくなる、など)が現れたとしても、それが日本経済全体に及ぼす恩恵は微々たるものに過ぎないでしょう。
それに・・・円安をテコに自動車などの完成品を大量に海外に売り込む、という「1ドル360円」時代の輸出モデル=集中豪雨的輸出はもはやご法度のはず。なぜなら、これって要するに「通貨安戦争」―――近隣窮乏化政策として貿易相手国から忌み嫌われることだからです。さらにマズいことに・・・これをとりわけイヤがりそうだと予想される国が、世界最大の最終消費国、つまり日本が一番、円安輸出攻勢のターゲットにしたい国である、われらが大将・アメリカ様・・・。
ここで、この30年あまりの日米通商の歴史を駆け足で振り返っておきたいと思います。
1980年代、日本企業は次々と海外に生産拠点を移していきました。その理由として挙げられるのが、1985年の「プラザ合意」以降、急速に進んだ円高ドル安。これを受け、主要メーカーの多くが、通貨高にともなう価格競争力の低下を回避するため、円建てで換算した各種コストが割安になった諸外国へ工場を移転させました。いわゆる対外「直接投資」の開始です。
で、これらの投資活動のうち、アメリカに行うものについては、上の円高対応に加えて、もっと外交政策的な意味合いがあったと考えています。それは・・・この対米直接投資の推進が、当時(1980年前後)日米間の最大懸案事項だった貿易摩擦の解決策だったということです。つまり、日本のメーカーに対米輸出を増やせないようにアメリカ本土に工場を作らせる―――こうすることでアメリカの対日貿易赤字の削減とアメリカにおける雇用創出を図る・・・。これこそアメリカが編み出した日本封印の策でした。逆にいえば、それだけアメリカは日本の輸出攻勢を悩ましく感じていたということでしょう。まあともかく、わが国の新たな挑戦がこのとき始まりました。慣れない異国での工場建設、産業空洞化への対処、などなど・・・。
・・・その後の艱難辛苦の末、日本はこれまでに綴ったような貿易スタイルを築き上げました。そしてあのとき、本邦企業がアメリカなどに播いた種はいま、多くの実り(多額の所得収支の黒字)をわが国にもたらしてくれています。もちろん現地にも恵み―――多数の労働者雇用や技術移転など―――を与えながら・・・。厳しい試練を乗り越え、けっして搾取することなく、相手とWin-Winの関係を構築する・・・つくづくスゴイ!って思うよ、日本人って・・・。
―――というわけで、もう分かっていただけたかと思います。わたしがアベノミクス的な完成品の円安輸出振興策が成功しそうにないと考える理由が・・・。それはアメリカ様の逆鱗に触れること―――日米貿易摩擦の再燃は必至です。