Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

自業自得を責任転嫁

2018-04-14 12:36:00 | 時事
米国が英仏とともにシリアを攻撃しました。シリア政府は化学兵器使用疑惑に対し、化学兵器禁止機関の調査を要請しており、周到に隠蔽したうえでのパフォーマンスの疑いが強いとはいえ、立ち入り調査を容認している状況で性急に証拠ごと吹き飛ばす攻撃をする意味は何か。
ありもしなかった「大量破壊兵器」で一つの主権国家を葬り去った前科があるだけに、慎重に賛否を考えたいものです。

その意味では、国際社会の「評価」と制裁に対し、自衛のためやむを得ない戦争だった、日本国憲法は敗戦国の政体変更を禁止した陸戦法規違反だ、と我が国は擁護するのに、イラクは無条件で批判し、政権転覆を容認してきた国士様連中のダブスタは今回も全開なんでしょう。

それはさておき国際社会は緊張の度を高めているわけで、北朝鮮問題こそ金正恩委員長の極秘訪中以降、米朝対話がセットされて緊張がやや緩和されていますが、予断を許しません。

そして内政でも働き方改革など重要法案が審議されている中で、「もり」「かけ」「日報」で国会が空転している状態に、重要法案の審議が進まない、国益を損なう、という批判が高まっています。

不思議なのは各種の問題で法案審議が止まったり、外政への対応がお留守になっていることについて、各種の問題を国会で取り上げることが悪い、という批判です。他にやるべきことがあるのだから不祥事に目をつぶれ、不祥事は後回しだ、ということが許されるはずもないわけで、それが通るのであれば、予算審議の時期や内政や外交が緊張している時を狙って「不祥事」を公表するモラルハザードが成立します。

重要法案や内政、外交への対応が進まないのは誰の何が悪いのか。批判することが悪いというのは問題のすり替えに過ぎません。
こんな状況を日本語ではわずか4文字で表現できるのです。自業自得、と。



弱者を盾に全否定するな

2018-04-14 11:01:00 | 交通
NHKが「ヘルプマーク」を持ち出してエスカレーターの片側開けを何とか否定しようと躍起になっています。
東京五輪を機に、というのであれば、片側開けの国際標準こそ定着させるべきであり、もし例外的に片側開けに馴染めないのであればそれは個別対応の世界であるという当たり前のことを否定する意図が知りたいです。

片側開けのほうが処理能力が遅い、という説明は算数レベルの計算もできないと自白したようなものと気づいたのか、弱者を持ち出す手垢のついた作戦に戻ったわけですが、障害があって片側開けの方向では開けられないというのは見ればわかる話であり、そうでないケースはそれこそ「ヘルプマーク」を周知して対応すべき話です。

そういうハンディキャップがある人がいたら、片側開けの向きをその前後だけ逆にすればいいわけで、それを周知すべきです。いや、周りをせかせかと歩かれるのも浮「んです、というかもしれませんが、じゃあ階段や通路で「抜かないでください」とでも言うわけがない話でしょう。片側開け否定ありきの理由であることが明白です。その意味で弱者を都合よく持ち出しているように見えてならないわけです。

歩くより遅いスピードで拘束することがそもそもの問題であり、片側開けができていない原因の大半が並立してだべっている、なぜか中央に立っている、というような正当な理由が見いだせないものであり、通路や階段で通せんぼしているのと同じ、ということです。
だから通路を塞ぐな、と同義で片側開けは推奨すべき話であり、ハンディキャップのある人に配慮する、支援する、という話とは全く別ものであり、両立できる話ですが、片側開け否定のために無理やり関連付けているだけです。

ちなみに、多くの人をスムーズに捌かなければならない都市部の状況においては、お互いがベストになることは不可能であり、お互いに何かしら遠慮していかないと回りません。片側開けはその典型であり、厳しいことを言えば、忍耐の度合いが軽度であれば、反対側に立つほうが楽であっても、我慢していただくしかないのです。車道を歩いたほうが楽だから車道を歩いていいですか?と言ったら普通は相当批判的にみられるわけです。車椅子のようにそうしないと進めない場合は受容されますしクルマも配慮をすべきですが、「我慢」のレベルであれば「何を言ってるんですか」になるわけです。

片側開けもそういう話でしょう。ややもすると、歩道がある道路で「クルマが我が物顔で走るのはおかしい」と叫んでいる勢力と同レベルになることに気が付きたいものです。



伝統ではなく巡業部長判断

2018-04-14 10:27:00 | ノンジャンル
巡業でのちびっこ相撲の問題、伝統どころか昨年の変更だった件ですが、巡業部長が貴乃花親方から春日野親方に変わったことが原因だそうです。

もうこれは本場所の土俵も含めてダメでしょう。伝統とかいっている根拠が崩れています。
昨年まで女児が参加できていた時点で確たるルールでもなかった、というところに、その判断が組織の決定ではなく巡業部長の見解ですから、「春日野ルール」に過ぎないルールで性差別禁止の例外にできるか、という話になってしまいます。

よしんばその原則が伝統だったとしても、例外が巡業部長レベルで改廃できる程度の話だったわけです。
今回人命がかかっている場合は明確に例外化されることは理事長が断言したわけですが、じゃあ女児はどうなのか、の延長線上に自己顕示欲をぎらつかせている女性政治家の一群に対して、合理的な理由を示せなくなりました。

例外は巡業部長(本場所なら別の部長クラスでしょう)の胸先三寸なんですから、女性政治家を土俵に上げない理由は、巡業部長(か他の部長)が嫌だ、というだけの話になってしまうのです。

場当たり的に整合性を欠く対応をすることは、あとから理路整然と整理すると見るも無残な結果になるのです。