Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

改革屋は「泥棒」に過ぎなかった

2023-01-16 19:27:43 | 交通
国交省が高速道路の有料期間を50年延長することで調整を開始したと報じられています。既に現時点で2065年までの料金徴収となっているので、これで無料化は最短で2115年になるという話です。さすがに今から92年後の「22世紀」とはひどい話で、SFの設定ではありますが、ドラえもんが元々住んでいた「未来の世界」が22世紀とか、あと84年で宇宙戦艦ヤマトが旅立つとか、そんな時代を想定した話には呆れかえるばかりです。

そもそも「高速道路は将来的に無料になる」という「毛針」で国民を釣って分割民営化をにこぎつけたわけです。しかし民営化当初の時点で事業計画に大規模修繕の積立を入れてませんでした、という故意としか言いようがない状況で最大の支出項目を外していたという事態が発覚しています。それがさらに50年です。すでに民営化スキームは破綻しており、国鉄の分割民営化同様、国民負担に付け替えて民営化会社とその株主はがっぽり、という「裏スキーム」が見え見えの状態です。

幸い民営化はしたものの政府全額出資の状態であり、投資家という名の国家資産にたかるシロアリに食われる前に、民営化スキームの見直しを行い、場合によっては「収公」すべきです。

自動車ユーザーはもっと声を上げるべきでしょう。政府による詐欺行為、いや、窃盗行為ですよ。自賠責の流用、使い込みも誰も追及しない。今回も「保守は必要だし無料化は無理なんだから」と理解を示す擁護が湧いていますが、必死ですね、早く上場して甘い汁を吸いたい、という勢力の走狗です。
道路財源の一般財源化から今回の高速道路有料恒久化まで自動車ユーザーは兆単位のお金をだまし取られています。そしてそれは政府や与野党だけでなく、このお先棒を担ぐ勢力がいます。

道路財源の一般財源化の時には読売新聞が「定着しているから暫定税率を本則化すべきである」と抜かしていたのがその典型ですが、自賠責の踏み倒しは全メディア、与野党ともだんまりに近いです。身を切る改革どころかぬくぬくと肥え太り国民にツケを回しても批判しない改革屋もまさにその正体見たりです。

特にメディアとともに、民営化推進委の連中は万死に値します。物騒な言い方ではありますが、国民から兆円単位の資産を強奪し、一部のおともだち勢力で分け合おうとしたのですから。こういった民営化路線が平成の「官有物払い下げ事件」と指摘したのは相当昔ですが、結局その批判と予言の通りとなっています。のちの東京都知事になった委員長に、財界のお歴々、叙位叙勲どころかそのツケを私財を総て投げうって弁済すべき存在です。

その意味では今の改革屋の跋扈の原点である小泉政権の「罪」はそれこそ海よりも深いわけで、足下の改革屋のメインである維新が「身を切る」とか言いながら身内に甘い甘い対応で隠しきれなくなったらトカゲの尻尾切り、という劣化コピーよりも狡猾でかつ悪質であり、自民党ではなく「日本をぶっ壊す」破目になったのです。ただ問題なのは、そうした改革屋をやんやの喝采で支持したのは今も昔も有権者であり、国民はその当時の誤った選択のツケを永遠に払わされます。これが民主主義のリスクとコストですが、それを否定はできません。騙した連中とともに、昔も今も改革屋に喝采を送った国民を我々は恥ずべき存在として反面教師にするしかありません。



コメの生産と消費

2023-01-16 19:25:52 | 歴史
江戸時代の経済というと、大昔ここで江戸時代の石高と米食の関係について書いたことがあります。
日本の総石高がざっくり3000万石で、人口も産業革命前でもあり3000万人程度というデータがあるなかで、コメは備蓄やいわんや貯蓄には馴染まないし、1人が消費できる量もほぼ同じなので、1人1年1石の消費であれば基本は生産量=消費量であり、コメは口に入らなかったとかいう「江戸時代の農民、庶民」というのは虚像だという説があるわけです。

洋の東西を問わず、長さや重さなどの単位は人間の身体や生活に由来するわけで、1尺が1フィートと近似しているというのはその典型でしょう。
その意味で1石は1人が年間に消費するコメの量、という説があり、であれば上記の通り日本の生産高と人口が釣り合っていれば、酒造に回る量がそれほど膨大でもないし、廻船での輸送中の海没がそこまで多くもないでしょうから、よほどの不作でもない限り目立った過不足はなく、であれば最終的に誰かが食べないとコメが溢れてしまう、という説です。

1年間を月30日年12ヶ月とすると年間360日で、1石=10斗=100升=1000合なので、1日約2.8合。江戸時代は3食になってきた時代なので1食約1合というのはなるほどという数字になりますが、これを紹介した後、実際には労働者階級、とりわけ農作業では1日6合くらい食べるケースもある、という話を出して、であればそこまで食べない人も少なからずいたとしても(女性や子供)、3食コメの飯にありつける人がいる反面、一定数の人には全く回ってこないこともあり得るという指摘まではしました。

なぜか後年になっても閲覧が多い記事なんですが、要は1日のコメの消費量につき、結局日本人が主食と副食をバランスよく食べるようになったのは戦後であり、大量の飯(白米、玄米だけでなく麦、雑穀も)を塩辛い漬物や干魚の類でかきこむ、というのが伝統的な日本人の食生活だったという概念が抜けていました。その意味では中途半端で恥ずかしくもある記事です。
現代の感覚だと1食1合でも多く感じますが、おかずが無きに等しい状況では主食が専らになりますから、6合はオーバーに見えても1食2合だとあり得なくもないレベルになります。

実は先日ある文章を見てはっとしたのですが、江戸時代の武士は土地の生産量で表した地行取りと、下級武士のように藩が年貢米として得たコメを支給される扶持取りの二種類がありました。この扶持米で支給される層ですが、「30俵2人扶持」とか言われるように、基本給30俵と家臣2人分、という単位になります。この「扶持」は1人1日5合、月間1.5斗、年間1.8石とされるそうで、江戸時代の標準として1人1日5合というモノサシがありました。
「扶持」の対象は武士というより中間や小者の「奉公人」とはいえ重労働で腹が減る、という存在でもないわけで、まあ江戸初期までの軍役を基準とした面はあるのでしょうが、1日5合の消費が水準としてあるようです。

まあそれであっても1日5合(年間1.8石)で計算して約1700万人の消費であり、人口の55%が3食コメを食べ、残りがハレの日でもない限りコメは口にできない、という計算になります。農民は全人口の8割強とされていますから、コメを食べられなかったのは農民層だけだとしても、それは全人口の8割とした農民層の55%に過ぎないわけで(残りの45%の農民が3食コメの飯という計算であり、1食だけコメ、というのであれば全部に行き届いてしまう)、平年においては麦や雑穀だけ、というのがほとんどというのは、数字の上ではいささか持っているきらいがあるようにも見えます。
農村ではコメは貴重な商品作物なので自家消費をしないで出荷した、という説も根強いですが、そのコメを誰が食べるのか、という段階で3000万人中1700万人まで行き届いてしまうという数字になってしまいます。
(厳密には扶持米を換金して副食品その他を購入する金銭を手に入れるので、必ずしも5合を消費するとは限らない。この場合余計に誰かが食べないとコメが余る)

なお農村では雑穀、という話については明治以降、昭和戦前までの実体験として語られることが多いですが、日本のコメ生産高の伸びに対し人口増加が追いつかない傾向があり、江戸期の1人1石から、昭和戦前では1人0.7~0.8石という計算になります。もちろんパン食などのコメ以外の主食も増えており、1日5合の計算が多すぎるようになっているかもしれませんが、都市労働者階層の確立により米飯食がそこに偏っているとか、外食などをはじめとするフードロス、そして軍隊など一定の備蓄による流通ストックの増大などの要因で、実は江戸期より悪化していた可能性があります。

ちなみに1993~1994年の「平成の米騒動」は、、戦後最悪の不作とはいえ、「コメ離れ」が定着して深度化していた状態での米食需要すら賄いきれないレベルの収穫になるというリスクを示しており、コメだけは自給できるという話は幻想になっているようで、国際情勢、気象状況次第では「飢饉」が発生し得る状況です。なお足下の「全国総石高」はざっくり5700万石ですから、1人年間0.4石程度。1人1日1合がやっとで、1食0.3~0.4合分というのが平年の数字で、江戸時代の1/3しかありません。輸入肥料や輸入エネルギー源で動く機械で保った生産性でこれだけですから、それがなくなるとどうなるんでしょうね。







デフレからインフレへの道

2023-01-16 19:22:10 | 時事
マクドナルドの値上げがニュースになっています。
単品バーガーが1年間というか10ヶ月で合計60円の値上げというインパクトは大きいのですが、原材料費その他のコストアップの正当な転嫁という意味では本来は受容しないといけない話です。消費者にとっては大惨事でも、じゃあそのコストアップを誰が吸収するかという話であり、消費者にとっては「いい施策」であっても、それで従業員や仕入れ業者が泣いていたら本来はおかしいのです。

一部の報道にあるように、今回の値上げでも日本のマックは「安い」のです。原材料価格の上昇と円安を織り込んでもなお安い、というところに日本経済を長年蝕んできたデフレの宿痾が見え隠れします。値上げ後で比較しても米国が日本とほぼ等価、韓国は1割高、オランダは倍、というのが同じ単品バーガーの国際比較です。特に円安と物価高で円ベースの食費が恐ろしいことになっている、と大騒ぎしていたはずの米国で単品バーガーが円ベースで等価ですから、何のことはありません、マックでハンバーガーを買えば支出は日本並みに抑えられるのです。逆にそれだけ日本の単品バーガーは「安い」のですし、以前は「安すぎた」のです。

今回の値上げですが、1年前は110円だった、さらに以前は65円だった、という単価を切り取って今回の価格が「異次元」のように報じていますが、そもそも価値不相応な値付けをして自分で自分の価値を貶めた安売りをしてきたことが破綻しただけです。今から40年くらい前、ハンバーガー各社の標準的な価格はハンバーガーが170円から180円、チーズバーガーが200円といったところであり、その時代に戻っただけです。
じゃあなんであんなに安く、というのは、個人所得の途上国並みへの切り下げを目論んだデフレ政策に乗せられた激安ブームの中でマクドラルドの日本法人が仕掛けた政策に過ぎません。デフレ価格で販売を膨大にして固定費を回収できる水準まで販売出来れば販価を下げられる(原価率をムチャクチャ上げても採算が取れる)、ということで、確か100円への半額、さらに65円という他社が追随できない水準で寡占化を図ったわけです。もちろんそれで採算性の高いサイドメニューの売上が幾許でも増えればこれも下支えするということです。

ちなみにこの施策は極めて正しいと勘違いしている人が多いですが、固定費が一定である前提なんですよ。設備費とかはともかく、人件費はどれだけ売ってもインセンティブになりません。デフレに加え雇用の不安定化で人件費は下がり続けるなか、安価な労働力という文字通りの「固定費」でしたから。
今でもこのデフレマインドというかトリックに気付かない愚かな、それとも確信犯のメディアもあるわけで、この値上げのご時世に安売り、食べ放題、といったお店を持て囃していますが、何のことはありません、売上を大きく増やして固定費をそのままにすることで、限界利益の利益率が大きく下がっても絶対値が固定費を上回るからOK、という計算です。ここでも売っても売っても人件費は増えません。そうでしょう、客数が増えたら時給アップ、だったらビジネスモデルが破綻しますから。逆に販売単位当たりの収入はダダ下がりであり、それこそ途上国レベルの人件費になっていますからね。

ではデフレ政策やデフレ企業を排除してインフレ側に振ればいいか、というとこれも難しいのが悩ましいです。
改革屋の甘言で中流層が壊滅して、共働き、世帯収入でも十分な収入が得られない状態に社会が変えられてしまった後で、デフレ政策が破綻しても遅かったのです。とりわけ非正規化で収入が激減しているのに、支出と収入を両建てで縮小することで収支が償えるというデフレ政策で耐えていた大多数の国民がそのトリックと現実に気が付いた時には時すでに遅しです。待っているのはスタグフレーションですから。

これ、幕末の経済と似たところがあり、開国時の日本では銀の価格が国際平価の3倍だったのに英国の圧力で等価交換を強いられたことで、開国により諸外国が1ドル銀貨で1分銀を買うことで大量の金の流出が起こりました。(1ドル=3分の両替を強制したことで、4ドルで1両小判3枚が手に入り、海外で銀と交換することで12ドルとなり8ドルの儲けとなる。1分銀が両替用途に集中して市中から消え、小判は海外に流出した)
実はいろいろな事情で結果的にデフレ政策になっており、物価も金ベースで見れば安かったのです。(長崎貿易の実質的な拡大をするために、単価を抑えることで「上限価格」になる数量を増やすといったトリックもあった。このケースでは輸出輸入の両サイドとも安い単価で計算するので影響はない、というか輸出超過で銀が流入していた日本有利だった)

この時に幕府は混乱の張本人の英国の圧力で銀を切り下げるのではなく金を切り上げてしまうというダメ押しまでありました。新1両小判は旧1両小判と比べて金が約1/4の含有量となり、さらに基軸通貨の小判の変更は含有量に応じて新旧小判の引き換え(回収)を行う必要がありました。すなわち旧小判1両を新小判約4両で回収したため、この状態で1両の値札を付けていたら新小判1枚で買えることとなり実質1/4で買いたたかれるため、約4倍を目指して物価が急上昇したのは当然の結果です。もともと銀貨も含有量ではなく今の紙幣のような貨幣だったので1両が4分という「公定レート」を徹底すればいい話でした。(計数貨幣なので1分銀の含有量を切り下げるだけでよかった。小判のように引き換え(回収)はしなかった。銀目が秤量貨幣だった江戸中期までと違い、銀貨に「1分」「1朱」といった金目の価格が記載されていた。ただし英国が銀貨の改鋳(実際に発行された)による銀目の切り下げを拒否して頓挫)
実際には金の切り上げでも教科書的には正解だったのですが、長年のデフレ政策で金ベースの物価が安いことに慣れていた日本にそれは無理でした。

デフレからインフレに急展開した(しかも一種の外圧)、というどこかで見たようなシチュエーションで幕府は「うちこわし」の多発に加え、下級武士の経済破綻など体制の維持が困難になったわけで、幕府崩壊は倒幕勢力の功績というよりも経済破綻による部分が大きいとも言えます。
そして現代はどうなるのか。「円」の価値が全部下がったわけですから。幕末期は小判を持っていた人はこの改鋳で大儲けをしましたが(一説によると越後屋=三井がこれで儲けた)、今回はドルでも持っていない限り誰も得をしません。一億総貧乏です。