Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

危険運転罪を躊躇う余裕はない

2023-01-15 08:45:52 | 交通
司法当局による危険運転罪適用のハードルが高く立法趣旨と乖離しているという批判を常々していますが、危険運転罪でもまだ生温い、というようなケースがあるわけです。特に重大な結果に直結するケースが多いのに危険運転の定義に該当しないとされることが多い飲酒運転は「罪と罰」のバランスが悪いとしか言いようがないわけで、しかも一向に無くならないという問題もあります。

こういった「運転」に対して危険運転だけではなく、結果を重んじて「殺人」「傷害」で問えないのか。
もちろん刑法では「故意」がなくて殺人や傷害は問えず、過失致死や過失傷害になるわけで、自動車運転に関してはいわゆる自動車運転処罰法が出来るまでは業務上過失致死、致傷として加重するにとどまっており、現行法規でも過失として扱っています。

故意性を問う時に刑法の講義で出てくるのが「未必の故意」と「認識ある過失」であり、「死んでも構わない」という意識であれば「未必の故意」で故意性があるとされます。一方で「死ぬかもしれないが大丈夫だと思った」であれば「認識ある過失」とされます。
で、これを逆手に取れないものか。危険運転が争われる極端な速度違反や、飲酒運転については、「死んでも構わない」という意識で運転したとするのです。この場合は死なずに済んでも「殺人未遂」に問えます。

「大丈夫だと思った」という意識を否定する。ここがハードルですが、運転者は免許取得時、あるいは更新時に必ず講習を受講しています。(実態はいい加減なケースもありますが)
ここで、赤切符レベルの速度違反、飲酒運転(薬物運転)については、それを実行した時点で特定の相手に対する故意性はないが、事故れば「未必の故意」となる意識がある、とするのです。赤切符レベルの速度違反で事故れば相手は死ぬ、飲酒運転(薬物運転)で事故れば相手は死ぬ、という認識を持って運転する前提でライセンスが交付されている、という前提であれば、「大丈夫」は例えば「首を切断しても死なないと思った」と言うが如き個人の身勝手な発想として「認識ある過失」で逃げられないとすることは可能でしょう。事故が起きれば重大な結果となるという認識があってその行動を自らの意思で実行する(速度違反、飲酒運転とも他人に強制されて行うものではない)、という時点で、殺人(殺人未遂)と定義するのです。

何もない状態で殺人罪の適用はさすがにハードルが高く、罪刑法定主義の大原則から「殺人」の定義は厳格に問われますが、自動車運転処罰法の体系下においては、定義をある程度自由に設定できます。刑法の殺人罪との比較は必要ですが、例えば故意性の定義が若干緩い代わりに殺人罪本来の「死刑又は無期及び・・・」の「死刑又は無期」を省き、5年以上の有期懲役とすればいいでしょう。(危険運転罪だと12年以下の有期懲役。有期懲役は単独で20年以下、加重で30年以下なのでこの定義だと明確に差が付く)



当の本人が正統を蔑ろにしている疑い

2023-01-15 08:45:17 | 歴史
新年一般参賀が3年ぶりに復活しましたが、やはりというか「愛子内親王殿下推し」を隠そうともしないメディアが多いです。
成年皇族となられて初の一般参賀というニュース性はありますが、中には皇嗣殿下が立ち位置を間違えたのを内親王殿下が訂正とか、肩入れもここまで来ると、という感じですね。そういうメディアにとってはdisりたい秋篠宮家の「間違い」を正したと言いたいのでしょうね。

さて周囲というか「臣下」の分を弁えない内親王殿下推しはともかくとして、宮内庁による公式の「お写真」などで、内親王殿下を前面に押し出すのはどうなんでしょう。確かに両陛下のお子様ですが、「皇位」として考えたら皇位継承権はなく、一方で皇位継承権第1位、第2位の扱いはいかに、と考えた時、政府が皇位継承を歪めようとしているのではと疑いたくなります。

そしてこれはあまりにも不敬な発言ではあるのですが、政府のみならず両陛下が内親王殿下への皇位継承を目論んでいるのではないか、という疑念があります。降嫁して皇籍を離脱する前提の内親王殿下に対し、どう見ても「帝王学」的な立ち居振る舞いを身につけさせているように見えるのです。
本来であれば「家族」という「私」を前面に出すのではなく、「皇位」という「公」を前提にしたら、皇嗣殿下はともかく、親王殿下は事実上の「次の天皇」ですから、両陛下が親王殿下に親しく接する、あるいはそれこそ「帝王学」的な伝承を試みる、ということがあって然るべきです。

この疑念、小泉内閣時代に皇室典範改訂で女系相続に道を開こうとした際に、当時の三笠宮家の寛仁親王殿下が「三笠宮家の総意として」反対を唱え、そして秋篠宮家では悠仁親王殿下を設けられたことで、皇位継承に対する皇族の「意思表示」を感じた際に遡ります。現在の上皇、上皇后両陛下は当時現役の天皇、皇后両陛下だったので意思表示は出来なかったとして、では当時の皇太子ご一家はどうしていたのか。要は何もしなかったわけです。もちろん極めて生臭い論点だけに当時の両陛下同様に中立を保ったという見方が妥当なんでしょうが、その後の状況を見るに、やはり「我が子可愛さ」の念があった可能性は否定できません。

継承問題が勃発しそうなときには「最高権威者」が方針を示すべきです。徳川幕府の初期、2代秀忠、特に正室(その性格から側室はいなかった)が長子の後の3代家光ではなくその弟の忠長(駿河大納言)を可愛がり、3代将軍は忠長が継ぐのでは、という観測が生じて営中に家光派と忠長派が生じる懸念があった時に、駿府にいた大御所家康が上京して、家光を上座、忠長を下座に座らせるなど正しい継承順位を示すことで秀忠夫妻も「忠長推し」を諦めたという有名なエピソードがあります。

もちろん「当の本人」たる陛下が良しとすればいい、という判断基準ももちろんあり得ますが、これまで国士様系から出てきたような「陛下の平和主義ガー」というような臣下が抱く幻想としての「あるべき姿」と違い、皇位継承というのは連綿と受け継がれてきた我が国の「ルール」であり、称徳天皇と弓削道鏡の例を出すまでもなく、当代が恣に出来るものではありません。そこは「主上御謀反」として諫めるべき部分です。

本来は両陛下が悠仁親王殿下を「上位」として扱うことを明確にすることで、昨今見られるような状況を正す、特にメディアやネットレベルではなく政府レベルでも見られる異常事態を正さないといけないのに、それを良しとしてしまっているわけです。
現状の皇位継承順位を前提に、いよいよ男系男子での継承が不可能になった場合は、当代の男系男子の天皇を基準に、直系女子を第一に女性の近親者を皇位に付けることになるはずで、であれば悠仁親王殿下の即位後、佳子内親王殿下が皇籍を離脱していなければ、次順位は佳子内親王殿下で、愛子内親王殿下はその次になります。

そう考えると、「愛子内親王殿下推し」というのは極めてイレギュラーな皇位継承を狙う議論となります。愛子内親王殿下に「直系」だからと皇位継承をするケースは、現在の皇位継承順位を無視する、いわば廃太子、廃嫡を伴いますから。
そしてその形態で「馬の骨」への王朝交代となれば、女系相続の「法的な天皇」と、男系相続の「歴史的な天皇」が並立します。これは「南北朝」ではなく片方は「天皇に非ず」であり、どちらが正統かは言うまでもない話です。通常はこういうケースでは何が起こるかを考えたら、冗談抜きに現在の皇位継承権者を「守る」ことが必要です。

ところが本来は皇位継承権者を守る義務がある政府は女系継承を狙っているというのは言わずもがなで、秋篠宮殿下の立太子をせずに「皇嗣殿下」という煮え切らない名称にしたり、事実上の皇太子のはずの悠仁親王殿下に皇位継承の意味を持たせる名称を用意しないとか、下手に定義したら「撤回」出来ないからという意図が見え見えです。そもそも皇室典範特例法に「皇太子」の定義追加をすべきだったのにしていませんから。

現在メディアのみならず政治家も男系継承に拘るのはおかしい、時代に合わないとか言って女系継承への地均しを狙っています。
それで実現するのは「新王朝」であり、伝統ある皇位だからこそ天皇という日本国憲法と相容れない例外を容認しているのに、「新王朝」にまでその特権を認め得るのかどうか。日本国憲法は14条2項にあるように華族、貴族の類を容認していません。天皇の定義に外れる「新王朝」を仰ぎ得るのか。それこそ憲法改正が必要でしょう。皇室典範改正か特例法で女系継承を定義したとしても、「現王朝」ではない特権階級が生まれるのですから。

そもそも憲法の外にあるが如き制度が温存されているのは、「天皇」だからであり、「天皇」でない存在を仰ぐわけにはいきません。そして「天皇」は脈々と受け継がれてきた伝統であり、「新王朝」が「天皇」を名乗ったから天皇です、というものではありません。太上天皇という正式名称を無視して「上皇」を正式名称にした政府は看板を架け替えれば、「天皇」の伝統的定義に外れても誰でも天皇になれる、というスタンスであり、であれば「馬の骨」が1家(の一族)だけ国民の象徴として特権階級になれるという部分は憲法改正で手当てしないといけません。

上で述べたように、百歩譲って女系相続による「新王朝」となるにしても、その移行は「ラストエンペラー」の次代になります。
既に悠仁親王殿下という正当な皇位継承権者がいる状態でその事態は、悠仁親王殿下の皇位継承が不可能になった時であり、その際には「ラストエンペラー」として天皇位に就いていた将来の悠仁親王殿下を基準とした近親者に移行することになります。にもかかわらず愛子内親王殿下への皇位継承はあり得るのか。もし悠仁親王殿下が皇女を儲けられていたらその皇女を差し置いての皇位継承はあり得ません。そう考えた時に、足下の「内親王殿下推し」がいかにおかしいか。

もちろん臣籍降下したものの1946年までは皇族であり男系継承をしている旧皇族を配偶者として迎えられた場合は、内親王殿下の皇位継承は「あり」でしょう。それでもそれは悠仁親王殿下が男系男子を儲けられなかったときに限定されます。ところが「内親王殿下推し」のメディアは旧皇族との結婚による内親王殿下の皇位継承を批判しているわけで、どうあっても「馬の骨王朝」が実現しなければ困るというスタンスです。内親王殿下が成年皇族になられたということは、適齢期を迎えられているということにもなるわけで、既に「馬の骨」となる一族が決まっており、それがひっくり返るのは困る、という本音がうっかりメディアに出たのかもしれません。だとすれば直系相続というよりも「馬の骨」への王朝交代が本音ですよね。つまり我が国の歴史と共に歩んできた「天皇」を廃止したいということに他なりません。

ちなみに「旧皇族」の復活はそれこそ宇多天皇、醍醐天皇の先例がありますからね。特に醍醐天皇はのちの宇多天皇が源氏として臣下にいるときに生まれており、「臣下」生まれで即位しています。また旧皇族の多くは明治天皇、昭和天皇の皇女が嫁いでおり、女系であれば1代か3代前の枝分かれに過ぎません。

時代の流れ、男女同権とか言いますが、では実際に女系相続となったらどうなるか。少なくとも「世界最古の王朝」という「天皇」の金看板が否定されることは間違いありません。英国でエリザベス女王の直系相続に対して政府がマウントバッテン朝ではなくウインザー朝のまま、と再定義したのも、そうしないと「王朝交代」になるからです。逆に「馬の骨」になった時には我が国を一から十まで貶めようとする各国はこぞって「王朝交代」を喧伝して、歴史的裏付けもない君主を仰ぐ国、として貶めることは火を見るより明らかです。

逆にそうした国は「天皇」のような歴史に裏付けされた権威を持たないわけで、それがコンプレックスになっていますから、マウントを取り返せる歴史的転換点としてそれこそ何十年のスパンで工作するでしょうね。東京裁判のA級戦犯の処刑が1948年12月23日、すなわち当時の皇太子、今の上皇陛下の誕生日だったことは、数十年後であろう即位の際にフラッシュバックさせるため、という説がありますが(偶然説もあるが、A級戦犯の起訴が1946年4月29日、すなわち昭和天皇の誕生日であり、両方を揃える偶然は考えにくい)、ナイーブな日本とは違い、諸外国は洋の東西を問わずそれくらい長い目で、そして陰湿に粘着質にやってくるのです。