11日にNHKEテレで考古学者森本六爾反骨の男、昭和の弥生研究に新風というドラマ仕立ての番組を見た。
大正から昭和初期にかけて考古学会に新風を吹き込んだ森本六爾。
だが旧制中学卒程度の学歴で代用教員を勤めていて趣味で遺跡発掘調査をしていた彼の説を学会はまともに取り上げなかった。
そんな六爾を支えたのが同じ志を持つ妻だった。
そんな夫婦の姿を残された資料からドラマ仕立てで構成したものである。
考古学会にそんな異端児が存在したことは知らなかったが、この六爾のことをモデルに松本清張が小説にしているというので古い文庫本を見たら清張傑作短編集の中に『断碑』と言うタイトルであった。
小説なのでデフォルメしてあるが、正当に扱われないアマチュア学者の悲哀を危機迫る筆致で描いている。昔読んだのにすっかり忘れていた。
この六爾と重なるのが細菌学者として有名な野口英世だ。野口程有名ではなく成果も考古学という地味なものなので、私は知らなかったが、学歴がないために日本のアカデミズムから無視された心境は同じだと思った。
そして松本清張自身の恵まれなかった前半生の鬱々した気持ちが投影されてもいる。
学問の世界もヒエラルキーで成り立っていて、新しい学説や方法が発表されると周囲は嫉妬と反感の渦が巻き起こる。「俺たちがこんなに毎日必死でやって来たのに発見できなかったのにあいつが何でそんなことができるのだ」というやっかみだ。
しかし相手が有名国立大学出身の研究者だと「仕方ないか」ということになるが、これが無名の大学や旧帝国大以下の格下の大学出身者の成果だとバッシングされるのである。
ノーベル賞ということになると日本以外の査定なので日本の偏差値は通用しない。
それで企業の研究者や苦労人の地方大学の研究者に光が当たることもある。
芸術やスポーツは結果がすべてだが。
清張氏は読者に支持されて作家としてゆるぎない地位を築いたが、森本六爾は奇矯な考古学徒として33才の短い生涯を終えた。