木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

政治がコントロールを失えばオリンピックも運命を共にする

2015年06月10日 | Weblog

20年東京オリンピックの迷走
多くの建築家有志の危惧を押し切って決まった「新国立競技場」がそのあまりの多額の建設費用に遂に音を上げた。
「だから言わないこっちゃない」とこの建設に反対していた建築家達は思っただろうが、今なら間に合うと代替え案を提案している。
後々の維持費等を考えたら違約金を払ってでも建設可能な代替え案に切り替えるべきだろう。
そもそも大して望まれてもいなかった「東京オリンピック招致」を進めたのは石原慎太郎だ。「半径8キロ圏にあらゆる施設を集約したコンパクトオリンピック」をぶち上げ、そのずさんな頭でほらだけは2人前、3人前の人物だったが、その責任も果たさず、都知事の座を捨てた。とんでもない置き土産を残して。
縮小した案でも当初の計画より500億円も予算オーバーになるという。知事時代、都税を私物化し、東京都銀行など、よけいな事業で赤字を出した石原慎太郎。500億円は石原が負担すべきものだ。
コンペで選ばれた設計案。強く推したのは建築界の風雲児とも言うべき安藤忠雄氏だという。
異端から独創的なものが生まれるという真理は否定しないが、独学で建築を学んだという安藤氏が正統の座について「権威」を得るようになって落ちた「独善」の結果をそこに見る気がする。
建築の設計という分野はそこに人が住んだり、使ったりすることを考えると、「使いやすさ」、「住みやすさ」を無視した斬新なデザインはどうなの?と思う。
安藤氏の出演するテレビ番組を何回か見たことがあるが、何となくこの人の設計する建物って、評価する人がいる一方で、実際使ったり、住んだりしている人にとって使いやすい、住みやすいものではないのではないかという疑問はぬぐえなかった。
イラク生まれでイギリス国籍だというこの競技場の設計者の女性建築家は「アンビルドの女王」と言われ、実際には斬新すぎて建てられない設計ばかりする人として知られているとあった。実用に向かない設計をする人を建築家と呼べるのか?
安倍晋三の「原発事故の汚染物質はアンダーコントロールされている」のでたらめ発言といい、2度目の東京オリンピックは船長が無能・無責任すぎてコントロールを失い漂流している。

コメント
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