イラク情勢が風雲急を告げている。
当初アメリカが想定したようにはならず、「イスラム過激派勢力」がイラク政府を追い詰めつつある。
日本の安倍政権は「集団的自衛権の行使」を閣議決定による「解釈改憲」で突破する構えで、連立を組む公明党も「言葉のもてあそび」で容認する流れになっている。
今アメリカが「同盟国日本」に一番望んでいるのは、アメリカ自ら手を突っ込んだアフガンやイラクでの「テロとの戦い」に共に行動してくれることだと思う。
もし閣議決定の解釈改憲で集団的自衛権容認ということになれば、第一の任務がイラクやアフガンでのアメリカとの共同行動だ。
その覚悟が安倍政権と自衛隊と日本国民にあるのか?誰にもそんな覚悟はない。
憲法を改定して「戦争放棄」を捨て「集団的自衛権行使」を容認するべく国民を説得するのが筋だが、それもできず、とにかく急いで、「普通に戦争できる国」につき進めば、待っているのは世界中、特にアラブやアジア諸国から恨みを買い、テロリストの血祭にあげられる光景だ。
テロリストの犠牲になるのは安倍晋三や自衛隊員とは限らない。海外への旅行者、そして海外に進出している企業、労働者の可能性のほうが高い。
なぜそんな対価を払わなくてはならないのか。
70年前の戦争では「満蒙は日本の生命線」と、今考えれば間違っているが、当時はそうした他国への武力進出を当然と考える世界認識があった。
そして戦争への求心力を担ったのが、「天皇への忠誠」だった。
しかし戦争に駆り出されていった多くの青年たちは「何のために自分は死ぬかもしれないこの戦いに行かねばならないのか」と悩み、自分の愛する家族や、人々の平和な生活を守るために行くのだと無理矢理納得させて召集に従ったのだ。
「同盟国が攻撃されている場合、共に戦う」って、安倍政権が想定する同盟国はアメリカ以外にないでしょう。
アメリカに正面から戦いを挑む国って今の世界にはない。「果てしないテロとの戦い」があるだけ。そんなことのために命を差し出すなどどう考えても無理筋で、何の大義もない。
第一アフガンでもイラクでも戦争を仕掛けたのはアメリカの方で、唯一アメリカが攻撃されたのは日本軍による「真珠湾攻撃」ぐらいではないか?
それでもやるというなら「閣議決定」でやってみればいい。たちまち惨憺たる結果になるはずだ。
「閣議決定」だから政権が倒れればそれまでのこと。後を引き継いだ政権は縛られることはない。