木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

混迷を経なければ最善は見出されない

2010年05月23日 | Weblog

今日5月23日の信濃毎日新聞の一面トップ記事は、「辺野古周辺埋め立て、自衛隊との共用検討」で、普天間代替の日米合意とあった。
まったくこれじゃ最悪の合意だ。
民主党が政権を握った時、この党が国民のしあわせのために知恵を絞る政党かどうか、半信半疑で、そして鳩山由起夫という政治家がどれほどのものかという点についても不安はあったものの、まさかこれほどひどいとは、予測できなかった。
自民党に戻っていいとは決して思わないが、このような民主党が政権の中枢を担うのもまた日本国民にとって不幸なことだ。
おそらくこの7月の参議院選挙では、昨年の衆議院選挙のような勝利を民主党にもたらさないだろう。そして政治の混迷は続く。だがその中からしか私達は「民主的で公正な社会」を作り出せないのだと思う。

映画『密約』を見る。
映画の冒頭、「この映画は事実に基づいたものであるが、個人を誹謗中傷するものではない」というメッセージが映し出される。
このメッセージの意味は映画の後半で意味を持ってくる。
1972年の「沖縄返還」に関して、日米政府間で、今に続く「思いやり予算」に通じる「密約」があった。
それを外務省への取材の中で明らかにしたのが、毎日新聞の西山記者だった。
外務省の審議官の秘書事務官だった女性職員を通じて日米間の極秘電文を手にしたことで、この密約の暴露は可能になったのだが。
政府は「密約」それ自体を認め、国民に謝罪するのではなく、逆に西山氏に対しては女性事務官に「秘密を漏らすようにそそのかした罪」、女性事務官の方は「国家公務員法違反」の罪で裁こうとしたのだ。
最初は日米間の「密約」に焦点があたっていたのが、検察側が「情を通じて」事務官から密約の証拠を持ち出させたと反撃したところからこの密約を暴露したというそのこと自体より、その取材方法に世間の関心が移ってしまうという逆転現象が起きた。
私もこの「情を通じて」という言葉にはずうっと引っかかってきた。
このドキュメンタリー映画の原作はノンフィクション作家の澤地久枝さんだが、女性ならではの視点で、この秘密の電信文を持ち出すという行動をした女性事務官の心理と人生の軌跡を追った。
辣腕記者に利用された事務官という構図では決してなかったということをこの映画は示唆していた。

コメント
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