イラク開戦6年。
この戦争を一方的に仕掛けて、多くのイラク人を殺し、建物やインフラを破壊し、計り知れない後遺症を残したアメリカ、とりわけブッシュとその側近は、謝罪もしなければ、責任も取らない。
そしてそれを世界中が非難、批判もできないで、あいまいなまま過ぎようとしてる、それが全くやりきれない。
ソマリアへは、海賊対策として自衛隊の護衛艦が出て行った。
「がんばってきて」とか「がんばってきます」とかみんな言ってたけど、どうがんばるんだ。「死なないように、殺さないように」がんばるしかないだろう。
自分の部隊の部隊長、ひいては最高責任者天皇ヒロヒトの「戦争責任」をどこまでも追及した男、奥崎謙三のその「責任追及」の行脚を追ったドキュメンタリー映画『ゆきゆきて神軍』(監督原一夫)。
映画の公開は87年だが、多分、それ以前の数年の行動を追ったものと思う。
奥崎はこの時まだ60代、痩身の行動力のある人間だ。
彼は数少ないニューギニア戦線の生き残り。敗戦後に部隊で起きた処刑=銃殺事件の真相を明らかにするべく、敗戦後30年以上たって、地獄の兵士体験を忘れた、あるいは忘れたい生き残りの兵士を訪ねて当時の様子を聞き正す。
今風の言葉を借りれば、「徹底したKY」である。あいまいを許さない。日本人離れした性格だ。
そんな奥崎は単なる正義の人というわけではない。自身は戦後、不動産業者とのトラブルから相手を障害致死に至らしめ、十年以上服役生活をしているのだ。激情の人である。
生き残りの相手を訪ねている最中でも、相手があいまいにやり過ごそうとするのを許さず、殴りかかる激しさだ。
「自分ほど上官を殴ってきた兵士はいない」というこの迫力は、徹底して長いものには巻かれないという生き方だ。人並み以上の体力と生活能力がその源だと思うが。
補給がないニューギニア戦線で、最後は人の肉を食べて辛うじて生き残るという状況の中で、部隊ともいえない部隊であるが、隊を離脱しようとしたとして兵士二人が隊長の命により銃殺される。敗戦後のことである。
この部隊内のいまわしい事件の時、奥崎は居合わせず真相を知らない。後でこのことを知って、「なぜそんなことが」と追及していくのである。
事件に関わった者達は「部隊長の命令」と証言するが、部隊長は否定。
みな戦争が終わると、日常生活に戻って、自分の体験や自分の犯した罪を忘れようとする。それを奥崎は撮影のカメラを連れて乗り込んで来て聞き正す。と言っても彼は礼儀正しく訪問する。相手がきちんと向き合わない態度を取ると、先に書いたようについに暴力に及ぶことになる。
印象的だったのは、奥崎の妻が、奥崎の行動を非常によく理解していて、「そんなことやめて」とか「みっともない」とか、普通言いそうなことを一切言わず協力しているところだ。
しかもただ付いて行くだけの人ではなく、奥崎が暴行罪で留置されている間、自らがマイクを取って車から訴えるその言葉は確信に満ちていて、これには感心した。奥崎もその妻も只者ではない。