木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

戦前はまだ続いている

2008年03月04日 | Weblog

沖縄集団自決」に日本軍の強制は無かった、とする論を張る側が持ち出したのが、林博史氏の論文だ。
彼等は林氏の論文の文章の一部を都合よく切り取って、自分たちの根拠にしているのであるが、その林氏のwebサイト上の論文にはもう一つ目を開かせる論の展開があった。

私は今、60年代から70年代の韓国の行動経済成長時代を描いた『英雄時代』という韓国ドラマを見ているが、その主役達は、韓国の経済人と、この時代の経済開発を推し進めた朴大統領である。
朴大統領といえば、日本側からみれば、強権・独裁で国民を支配した政治家のイメージだが、その朴大統領は、日本の植民地時代、日本の陸軍士官学校で学び、満州で日本の兵士として中国と戦ったのである。

だから朴氏のその後の自国民への弾圧の手法は、日本軍から学んだものなのであるという。
35年間の日本による統治は、韓国社会の秩序維持に反映されているというのだ。

それを「植民地統治の時代に、日本はいいこともした」などと言えるのだろうか。
また林氏は、戦前、日本国民はもとより、朝鮮・中国・東南アジアの人々を強権的に支配した官僚達、例えば、岸信介、町村金吾などの息子や孫(安倍晋三前首相や町村信孝官房長官)が、今の政界の支配的地位にあるということは、戦前が戦後にそのままつながった状態であるとしている。
しかも彼等は、祖父や父のしてきたことを反省するどころか、その路線を復活させることのほうに情熱を感じているのだから、これを批判し、退場させるのでなくては、日本は何も変わっていない、「侵略戦争の時代」を何も反省していないとうことになると言っている。
政治を世襲でつないでいくということは、鳩山邦夫のようなグロテスクな神経の持ち主をはびこらせると同時に、時代の変革を妨げる元凶になるということなのだ。
まともな保守とごろつき右翼は、もともと一線を画すものなのに、いつの間にか一体になってしまっている。
東京で開かれる予定だった日教組大会が、会場として予約した高輪プリンスホテルのキャンセルで、中止に追い込まれた。
ごろつき右翼団体が、一年の一度の出番とばかりに騒ぎまわるのはわかっているのだから、断るなら最初から断っておけばいいのに、このホテルの幹部達もどうかしてる人達だ。
しかし、日教組もプリンスホテルなど会場に設定するのでなく、公立施設で大会を開くというふうにできなかったのか、という意見のwebサイトもあった。
全く目からウロコだ。かつて堤義明が率いたようなホテルしか会場は無かったのか。
日教組にも問題を感じる。労働貴族に化したような幹部達。連合という組織の問題点だ。
貧困・格差の問題をここまで置き去りにしてきた罪はこの労働運動の中央組織にも多いにある。





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