東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

ドキドキ

2013-04-15 | 私流
私はいつもときめいていたい人間である。ドキドキのときめきは、仕事においても生活においても必要。街ですれ違った美人にときめき、楽しいパーティーでの新しい出逢いにときめき、悪戯の成果を見届ける時もドキドキする。

仕事も、まさにときめきを求めての仕掛けを随所に施している。講演の内容は、私自身が感激するストーリーに組み立てているし、支援先のクライアントの方が喜んで頂ける成果を求めて行動している。だから、いつもドキドキしている。私の若さを保つ秘訣は、このあたりにあるのかもしれない。

やっとタブレット

2013-04-14 | 初体験の気づき
周囲の人たちがスマホやiphonを使っている中、私は10年以上愛用している携帯電話を使っていた。しかし、出先でネット検索が必要なとき、私のケータイでは時間がかかるし見にくい。そこで、やっと遅ればせながらタブレットを買い求めた。使ってみるとなかなか便利だ。

今は放棄しているが、以前はITコーディネータの資格も持っていた。その私が時代遅れのケータイを持っていることに首をかしげる人もいた。これで人並みになったと、ホッとしている。

店内がアウトドア

2013-04-13 | 経営の気づき
3月にオープンしたアウトドア店のコンセプトは、「外よりも店内がアウトドア」。確かに、廃材を集めて友達の大工さんとオーナーが手作りで仕上げた内装は見事だ。看板もアイキャッチャーとして最適。看板は、チェーンソーを扱わせたら世界一の職人さんとたまたま出逢って、その方からのプレゼントであるとか。

店を訪ねたい方は、松山城のロープーウェー乗り場前で店を探してほしい。遠くて訪れられない方は、フェイスブックにて東矢憲二を検索し、私のタイムラインにて店の写真を探してください。

看板、内装、品ぞろえ、それらの全てがオーナーの人脈によって整えられている。やはりお人柄が良ければ、色々な宝が集まる。

7分の脅威

2013-04-12 | 雑談
北朝鮮が、万が一ミサイルを発射したら、最短7~8分で日本に着弾するという。あり得ない話だろうが、もし核弾頭を搭載して原子力施設を攻撃すれば、日本は消えてしまう。その7分の間に着弾地の予想を行い対処策を施すのであるから、その間の一刻一刻の価値は大きい。

我々ビジネスマンが昼食をとる時間でさえ、7分で終了させるのは至難の業であると、単純化して事の重大さを考えてしまう私である。

私の幸福論

2013-04-11 | 人生の気づき
所得と人生の満足度は比例するが、所得と幸福感との相関関係は小さく、お金で幸せを買うことは難しいということが、米世論調査企業ギャラップが行った調査で明らかになっている。人々の満足度は所得の増加に伴って上昇するが、幸福感は他人からの尊敬や自立度、家族関係、仕事に対する満足度などと密接にかかわっており、所得とは別物だ。

人は誰しも幸福になろうと必死である。しかし、最近、私は自分の間違いに気づいた。幸福を手に入れようと努力することよりも、いま身の回りに起こっている幸せな状況を感じ取ることの方が重要だと。幸福を探してさまようよりも、いま手にしている幸福を感じて感謝しなければならない。

その時に収入の大きさは全く関係しないことも理解しておくべきだろう。


小さな幸せ

2013-04-10 | 人生の気づき
幸せは小さなことからやってくる。人間は大きな幸せを待ち望むが、いきなり大きな幸せが舞い込むことはない。とるに足らないちっぽけな幸せを自覚できるようになると、大きな幸せに巡り会うチャンスが訪れる。小さくても良いから、幸せと思える時間が増えることが第一条件だ。

普段の生活の中で、小さい幸せはそのまま見過ごすことが多いが、そのことに感謝できる自分を自覚できると、それこそが大きな幸せだとも言える。毎日しなければならない仕事があり、三度三度の食事が出来ることに幸せ感を感じられれば、大きな幸せはいくらでも見つけられる。

要するに、大きい幸せを得るには、小さな幸せを度々感じられる人にならなければならないのだろう。

慈しむ

2013-04-09 | 雑談
慈しみというのは、可愛がると同じ意味につかわれることが多いが、本当は両者の意味は異なっている。私は、相手の痛みを我が痛みとして考えることに、「慈しむ」の重みがあると考えている。相手が求めているその本質を、自分が悟る事が慈しみとも言える。

例えば我が子と接するとき、「慈しむ」と「可愛がる」とでは、分けて考えなければならない。多くの方々は、「慈しむ」と「可愛がる」の言葉を間違えて行動しているように思える。あたかも可愛がる事が、慈しみだと考えている節がある。

慈しみというのは、子供にとって「これは間違いだ」と思ったら、子供を救う為に嫌われてもいいから、言わなければいけない、その心が慈しみである。現代の教師に欠けているのが、この慈しみではなかろうか。

的確な行為

2013-04-08 | 経営の気づき
10メートルの防潮堤を構えていても、津波が10メートル10センチであれば、その防潮堤の意味は全くなくなる。津波が防潮堤の高さを少しでも超えれば、防潮堤を建設した意味は皆無になる。あるいは、最後に食べた一口が余分であった場合、その一口分だけが余分になるのではなく、それまでに食べたもの全てが余分のものと見なされるのが生理上のおきてだ。

少し足りなくても少し余っても、ことによってはそれまでの行為全てが否認されるのであるから、的確性を確保するということは如何に大事か。

事業経営も同様である。少しの金額でも借入金の返済が足りなければ、倒産によって会社は消滅する。少額といえども、足りなければ会社は藻屑となって消え去る。あるいは、お客様への言葉が一言多すぎたがために、その後の取引が解消されることもある。如何に的確性を保つかは、場面によっては重要課題である。

不要な仕事をつくる人たち

2013-04-06 | 経営の気づき
私の事務所では社会保険労務士の仕事もしているが、スタッフからの指摘で一つの事実が判明した。それは、まだまだお役所仕事的な存在が残っているということ。

事業所が中予地区にない場合は、管轄する役所も変わるため、普段接していない役所に出向かなければならない。その役所での出来事である。なんと、保険の新規適用関係を興すに当たり、持参した書類に対して不要な質問が次々飛んでくるのだ。意味のない質問を繰り返し、確認の調査をすることによって、1時間以上の余分の時間が費やされたとか。

帰ってきたスタッフと私の会話は次の通り。「意味のある質問ならわかるけど、全くナンセンスです。時間つぶししているとしか考えられません」「行うべき仕事をすべてやり終えた時、暇を持て余しているかに見えるのは、上司に対してまずいから、余分な仕事を自分で勝手につくるんだろうね」

このような状態は役所に限らず、企業でも時に存在する。しかし、忙しそうに見させるテクニックを駆使しての状態からこの問題を見抜くのは難しい。見抜くとすれば、プロセス分析・業務分析などに本格的に取り組むしかない。

自然治癒

2013-04-05 | 私流
10年来高かった血圧が改善された。相当に高い数値であるから、医者に診てもらえば当然のこととして血圧降下剤を飲まされる。となると、一生薬と縁が切れなくなる。そのような状態になりたくない私は、自力で、気功の力で平常値に戻した。

気功で自分の免疫力を高め、その免疫力が血圧値を上手にコントロールしてくれた。本来、自分の身体は自分で守るべきものだ。もちろん、健康管理の専門家である医師にときに頼ることがあるにしても、完全にお任せにするのはまずい。自分を守るためには、絶対に自分の努力も必要だ。


タネとネタ

2013-04-03 | 雑談
タネ(種)は、撒けばほぼ確実に花開く。しかし、笑いのネタは、撒いても花開かないことがあり、私の場合はよく滑る。要するに、笑いの場合は、ネタの良し悪しという価値よりも、笑いを取るテクニックの影響の方が大きい。

講演するときは、聴衆の笑いを呼び込もうと計算して話すことがあるが、なかなか難しい。

金融円滑化法というダム

2013-04-02 | 経営の気づき
ダムを建設する場合は、どこに建設すべきかという場所の設定と、水抜きについて、最初から考えてなければならない。その点、金融円滑化法は、言ってみれば緊急避難的な措置として作ったものだから、ダムのようなものである。

しかし、構築場所を間違え、水抜きを考慮していなかったものだから、3月末の法律失効段階において、てんやわんやの状態になってしまった。水抜きとは、即ち、円滑化法によって恩典を受けた企業の後始末をどのようにするかという点だ。

本来であれば、法律作成段階から作戦を立てておかなければならないが、何もなかった。このような安直な法律を考える政治家に日本経済を任せていいものかどうか。困ったものだ。

老視

2013-04-01 | 初体験の気づき
早い人で30代半ばあたりから、遅い人でも60歳代から近くの文字が見えにくくなる。普通は老眼と呼ばれているが、正確な呼び名は「老視」らしい。しかし、漢字変換しても「老視」の漢字は出てこないことから、いかに使われていない言葉かが良く分かる。

私は2年前くらいから文字が見えにくくなったので、かなり遅い方の部類に入るようだ。老化が遅いということは嬉しい気持ちもする。人間はつまらないことで一喜一憂するが、こんなことが嬉しいのだから、本当に人間は単純だ。

さて目の次は何が衰えてくるのかと心配するが、せめて酒を飲む力だけは減退して欲しくない。今のところその兆候は全くなしである。