人間は、健康を損なうと、薬を飲んだり医者にかかったりするが、体を健康に保つ一番の有効策は、食生活を正すということだろう。食べすぎず、偏らずの食生活を送っていると、健康でいられる。しかし、美味しいものを食べたい、たくさん食べたいという欲望をもつ人間は、誘惑に駆られて、健康を損なう。要するに、欲望を自制できなかった罰が、不健康ということになるだろうか。
したがって、健康の度合いは、過去の人生の良しあしのバロメーターと言えなくもない。もちろん、食生活だけではなく、スポーツの有無や、ストレスのため具合とかの精神面との関わりも強いが、とにかく、これまでの生き方の総合得点が、健康度として表れる。怒りっぽい人は腎臓を患いやすいとか、性格がもたらす病気もあるようだから、私の指摘もあながち的外れではないと思う。
私の持病は、高血圧と緑内障だが、過労とストレスのたまものと反省している。もっと自己コントロールできていれば良かった。従って、少なくても、これからは仕事のしすぎによるストレスをためないと決意している。
このように、体の故障具合によって、自らの生活を反省出来るのだから、病気は有難い。
したがって、健康の度合いは、過去の人生の良しあしのバロメーターと言えなくもない。もちろん、食生活だけではなく、スポーツの有無や、ストレスのため具合とかの精神面との関わりも強いが、とにかく、これまでの生き方の総合得点が、健康度として表れる。怒りっぽい人は腎臓を患いやすいとか、性格がもたらす病気もあるようだから、私の指摘もあながち的外れではないと思う。
私の持病は、高血圧と緑内障だが、過労とストレスのたまものと反省している。もっと自己コントロールできていれば良かった。従って、少なくても、これからは仕事のしすぎによるストレスをためないと決意している。
このように、体の故障具合によって、自らの生活を反省出来るのだから、病気は有難い。
健康でいる事の喜びは、病気にかかった人しか理解できないものです。
そして、それも自覚が足りないと、もっと節制をしなさいと病気を悪くする。
病気もそうですが何事も健康的な人生を歩んでいくことが大事です。
勤労を怠ると、収入が減り、人間の一番大事な欲求である、「食欲」までも制限されてしまいます。
頑張りすぎることは長続きしませんが、自分のペースで人生を生きていくことが一番大事な事になるのではないかと思います。
そして、そのペース配分を自分自身で知って、コントロール出来る人こそ、長く生きられる人になるのではないかと思います。
今日の東矢先生のブログから「最後の注意信号」という言葉と、「ペース配分」という言葉を連想しました。
大事な部分ですね!