「現代文明は、人間の苦しみやつらさを排除しようという方向で進んできた」と「無痛文明論」(著 : 森岡正博)に記載されています。確かに、苦しみや辛さのない文明は、人類の理想のように思えます。しかし、「快」に満ち溢れた社会の中で、人々はかえって「喜び」を見失い、生きる意味を忘却してしまったのではないか、というのが本書の筋です。
例えば、医学の発展によって、痛みがあればその痛みを和らげる薬がすぐに与えられます。そうすると、不摂生の意味が軽んじられることになり、正しく生きるという生活意欲がわきにくくなります。
あるいは、女性の家事も、次々と新しい家電製品の登場によって、楽に家事をこなすことができだしました。おかげで、手間隙かけて作る母親の製作物の意味合いも減り、母親の愛に感激する場面が減少してきました。
辛い、苦しい場面に出会う回数が減少した分、それを乗り越えたときの感動の場面も減少したようです。このように考えてみると、学校教育や社員教育などにおいて、まだまだ苦しむ場の与え方が少ないと反省すべきかもしれません。
例えば、医学の発展によって、痛みがあればその痛みを和らげる薬がすぐに与えられます。そうすると、不摂生の意味が軽んじられることになり、正しく生きるという生活意欲がわきにくくなります。
あるいは、女性の家事も、次々と新しい家電製品の登場によって、楽に家事をこなすことができだしました。おかげで、手間隙かけて作る母親の製作物の意味合いも減り、母親の愛に感激する場面が減少してきました。
辛い、苦しい場面に出会う回数が減少した分、それを乗り越えたときの感動の場面も減少したようです。このように考えてみると、学校教育や社員教育などにおいて、まだまだ苦しむ場の与え方が少ないと反省すべきかもしれません。
人の痛みが解っているなら、プライドなど捨てて譲歩できるのではないでしょうか。
最近、自己主張ばかりして我を反省しない日本人が多くて悲しいです。
あの奥ゆかしい日本の姿は何処へいったやら。
豊かな文明社会に慣れたツケがきているのかもしれませんね。
私も含めて、人間はかってだから・・・
笑