花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「メキシコ」の旅(10)

2014年11月27日 | 海外旅行「中米」コスタリカ・メキシコ
≪マヤの世界遺産「ウシュマル遺跡」≫

7世紀初めに栄えたマヤ文明の「ウシュマル遺跡」は、「メリダ」から南方に80kmの所にあった。
「ユカタン半島」地域は、石灰岩に覆われた「カルスト大地」のため、雨が降っても皆地面に沁み込んでしまい、地下の所々に溜まるだけなので、どこにも川がない
地下にできた水溜りの上部の地面が落ち、穴が開いた所が「セノーテ」(沁み込んだ水が溜まった深い池)だ。
だから古代からこの地に住む人たちは、常に水の必要性に迫られていた。そのため神殿は、雨の神「チャーク」を祀って雨乞いをしたものがほとんどだった。
しかし、10世紀頃には、中央高原から来た「シウ人」によって「ウシュマル遺跡」は占拠され、「ケツアルコアトル」(羽のある蛇)も信仰されたらしい。



「チャーク」の丸い大きな目、突き出した長い鼻、開いた口の顔は、壁面の至る所に見られた。チャークの顔1個を作り上げるのに10個以上の彫刻した石が組み合わされていた。
また雨乞いの儀式に使ったらしい大きな「水盤」があった。

 





亜熱帯の森の中に石を積み上げたアーチ状の門があった。「マヤの凱旋門」と言われていて、この街道を進むと18km先のウシュマルの町まで続いているという。
こうした三角形の形がマヤに特有の形だそうだ。

         

≪世界遺産「カバー遺跡」≫

「カバー遺跡」は「ウシュマル遺跡」の東南18km程の所にある遺跡だ。白い石畳の道が続いていた。
ここもやはり、雨の神「チャーク」を祀っていて、壁中に「チャーク」が飾られている建物もあった。

 



壁の上部はぎっしりと「チャーク」と幾何学模様で埋めつくされていた。



マヤの三角形がここにも…



この遺跡にも「球戯場」があった。



この遺跡のあちこちに「イグアナ」が生息していた。太陽が昇ると彼らは身体を温めるために石の隙間から出て来て、日向ぼっこをするそうだ。

 

ここの「魔法使いのピラミッド」は、角が丸みを帯びた形になっていた。

 

ピラミッドの上部から見た広大な「カバー遺跡」









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