なんでも内科診療日誌

とりあえず何でも診ている内科の診療記録

回想編:研修医の時に出会った先生たち

2022年07月26日 | Weblog

 研修医の時に出会った先生たち

 

 昔々、自分が研修医の時に出会った先生たちの話です。他の研修医と比べると出来が悪かったので、2倍やれば何とかなると思って4年間と長い初期研修をしました。長くいたので、さまざなな先生方に教わりました。

 一番長くお世話になったのは、消化器科のY先生でした。Y先生は、とても気さくで人懐こい笑顔の方でした。誰とでも仲良くなる先生で、居酒屋のマスターと仲良くなって、いっしょに釣りに行ったりしていました。

 医局で最も他の医療職と仲良くしていた先生で、看護師さんや放射線技師の方たちと、ふだんから話をすることが大事だと教えられました。

 今考えると、初期研修後に大学の医局で数年研修したとはいえ、消化器科のトップとして広範な消化器病の患者さんすべてを診るのは大変だったと思います。

 非A非B肝炎(当時の表現)とされていた患者さんのγグロブリンが高く、調べてみると自己免疫性肝炎と判明しました。ステロイドで肝機能が改善して「よくわかったな」と褒めてもらいました。

 

 内科や外科を一通り回った後、関連の小規模病院に行き、ふたりの先生から外来診療を教わりました。

 H先生は呼吸器科の医局出身で、喘息や肺炎を診ていました。小柄ですが、元気一杯の先生でした。病院の宴会で看護師さんたちに引っ張りだされると、言われるままに衣装を着て舞台で踊っていました。

 外来カルテに短くニョロニョロした文字が書いてあり、事務の人が、「いったい何と書かれたのでしょうか」と研修医の私に聞いてきました。英語かドイツ語の略語かなと悩みましたが、どうもひらがなで「よし」と書いたようです。特に変わりないという意味でした。

 確かに外来で患者さんとよくしゃべっているので、いちいち書いている時間はないのでしょう。患者さんが診察室から出る時には「ごくろうさまでしたあ」と大きな声で送り出していました。(今時々真似をしています)

 H先生は、患者さんが亡くなって、ご家族に剖検(亡くなった後の病理解剖)の許可をいただく時には、「(たとえ亡くなった後でも)悪いところを取ってあげよう」というのだそうです。なるほど、そんな言い方があるのかと感心しました。

 

 もう一人のI先生は、消化器科で細胞診が得意でした。詩歌が好きで、昆虫採集が趣味でした。ちょっと恥ずかしがり屋で、しゃべり方は、のんびりというか、ゆったりしていました。

 いっしょに回診していると、癌終末期の患者さんが、「先生、つらい」と言ってきました。何と答えるのだろう、返事に窮するなあと思いました。たとえ緩和ケアを行っても、症状をすべて取れるわけではありません。どうして自分が癌になったのかという悔しい気持ちなど全部を含めた言葉でしょう。

 I先生は、ちょっと間をおいて「そうだなあ、つらいなあ」とだけ言いました。全然答えになっていないのですが、I先生の口調でしみじみ言われると、患者さんも周囲のスタッフも妙に納得していました。

 I先生に、困ったような微笑んだような顔で「困ったなあ」「残念だったなあ」と言われると、本当に仕方がないという気になりました。良くなった時の「よかったなあ」も、うれしさがジワッと倍増するような気がしました。この言い方(芸?)は未だに真似できません。

 そこでは半年研修をして本院に戻りました。「今週でいなくなるので、他の先生に変わります」と伝えると、入院していた甲状腺癌の女性に泣かれました。看護師さんから聞いたところでは、「I先生が細胞診をする時に、当方が手を握ってくれて嬉しかった」、と言っていたそうです。(実際は患者さんが恐怖心から、そばで見ていた当方の手を握ったのだと思います)

 

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