横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

保土ヶ谷の坂1

2007-09-30 14:06:44 | 近所
横浜というと港のイメージだが、実は起伏の多い地形で何々丘とか何々台という地名も多い。
山下公園の南は山手の丘が続き、港の見える丘公園から港を見渡せる。

したがって坂道も多く、小さくても名前があって親しまれている。
小冊子・相鉄瓦版に保土ヶ谷区の21の坂が特集されたので歩いてみることとした。
きょうは、そのうちの6つの坂道。


七曲坂
まず保土ヶ谷駅の東側、国道1号線を横浜方向へしばらく歩いて、
西区との境あたりを右折するとすぐに細い坂道が家々をぬって上る。
名前とちがって四曲がりだった。


みらい坂
少し戻って安楽寺を過ぎたあたりを入っていくと、これも階段の細い坂道。
比較的新しいこの名前は、みらいへ続く坂道だから。


みらいとは、みらいの見える丘公園という小さい児童公園のこと。
向こうに見えるのは三ッ沢公園あたりだろうか。
高校サッカーなど若者たちが未来をめざすことも多い。


いわな坂 (石名坂、石難坂)
保土ヶ谷駅から戸塚方向へ少し行ったところを左へ上がる坂道は、
金沢横町とも呼ばれた旧金沢道(金沢浦賀往還)の一部だ。


上の写真で手すりが見える左手の急な階段を上がると御所台地蔵尊がまつられ、
その脇にいくつもの庚申塔も見られる。


また近くには政子の井戸(御所台の井戸)がある。
将軍源頼朝の妻政子が鎌倉への途中でこの水を使って化粧したと言われている。


岩井坂
いわな坂をさらに進んで北向地蔵を右に曲がって、
この岩井坂を下がっていくと国道1号線に戻る。


ここは東海道、保土ヶ谷宿。
小田原北条氏の家臣、苅部家本陣跡がある。
本陣とは幕府役人や参勤交代の大名が宿泊したところだ。
見学できるようにはなっていない。


さらに戸塚方向へ進むと、一般の人が宿泊した旅篭屋の跡が残っている。
このまま進むと権太坂へ至るが、いったんJR東海道線をくぐって西側へ渡った。


岩崎坂
桜ヶ丘のほうへ上っていく階段の道の両側は生垣があったり、
草木も多く見られる。


坂の途中にあったフジバカマに似ている花は、
ユーパトリウム(青色フジバカマ)というものだろうか。


かすみ坂(霞坂)
岩崎坂が岩崎町にあるとすれば、
保土ヶ谷駅よりに戻った霞台にある坂道は霞坂。
今回の坂道には途中に、このような名前のポストが立っている。


霞坂を下るとJRの東海道線と横須賀線が走っている。


保土ヶ谷駅方面へ向かうと、いわな坂で触れた金沢横町の道標がある。
1682年から1845年ころに建てられた四基で、
「圓海山の道」「かなさわ かまくら道」「杉田道」「富岡山 芋大明神の道」と記されている。
いつか辿ってみたい。

長い記事を読んでいただいてありがとうございます。
何回かのシリーズになる予定です。