小川を背にしたお地蔵様の次は、有田久治が同行し國木田独歩が富永有隣に会った定基塾跡です。有田久治の父である有田市右衛門は、大波野の開拓に尽力した人です。そのことを示す有田翁の大きな石碑が今でも大波野に立っています。有田久治はもともと定基塾で学んでいたようで、独歩に有隣を紹介しました。そのため、独歩の有隣会見記録には同行者として書かれています。
有田久治はその後、吉見家隣にあった東家に養子に入り、以後東久治となりました。そして、独歩が最も可愛がっていた吉見はる嬢と結婚しています。東久治は、のちに麻郷小学校校長に就任しています。
専福寺に嫁いだ石崎ため(槇殿ため)の追悼記念石碑
富永有隣は城南瓜迫に住んでいました。そして、時々定基塾に通っては近隣の子供達を教えていたのでしょう。独歩は、この富永有隣を主人公にした小説「富岡先生」を書いています。富永有隣の偏屈な性格がよく描かれています。富岡先生,先生の娘,その娘を娶りたい男たちのストーリーです。定基塾を出ると行者山に向かう道に入ります。しばらく歩いて左折すると、すぐに専福寺が見えてきます。
有隣と会見した定基塾 石崎ためが嫁いだ専福寺 奇兵隊員が使った池
専福寺には、独歩が家庭教師をした石崎ための追悼碑があります。麻里府の石崎家にはたくさんの娘たちがいました。そのうちの三人と独歩との関係が面白いと思います。独歩は、求婚したほどに次女の石崎とみを好きになりました。四女の石崎ためは独歩が家庭教師をしました。勉強もよくできたようで、当時女子では珍しく中学に入っています。独歩と何度も文通をしています。また、独歩も教師の道を斡旋しようとしました。ところで、三女の石崎ますは独歩が嫌いでした。性格が合わなかったのでしょう。独歩が姉の石崎とみに会うことを嫌がっていたようです。独歩もそれを知ってか苦手のようでした。
第二奇兵隊の記念石碑 第二奇兵隊を忍んで建てられた石柱
専福寺には第二奇兵隊の史跡が数多くあります。第二奇兵隊は、長州征伐直前に石城山から専福寺に陣を移動しました。そして、大島口の戦い時に、ここから大島に出陣して見事に幕府軍を撤退に追い込みました。ところで、伊保荘に住んでいた私の曾祖母の叔父にあたる人が奇兵隊員として出陣したそうです。大砲の音が聞こえるたびに、曾祖母の祖母が出陣した息子を案じていたとの話が伝わっています。ところで、第二奇兵隊として大島口の戦いで戦果を挙げ、その後に奥羽鎮撫隊参謀となった世良収蔵は麻郷神社に祀られています。専福寺を出ると、ちらちら降りだした小雨の中を一路郷土館に戻りました。
道順を再確認したJR田布施駅周辺の國木田独歩に関わる史跡
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