東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 干拓(開作)の史跡を巡る下見ウォーキング(1/2)

2020年01月06日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今月1月のウォーキングは平生町の干拓(開作)に関わる史跡を巡ります。12月に下見を済ませ、散策する干拓地跡,塩田跡地,樋跡,寺院などのコースや昼食休憩地をほぼ決めました。今月19日、JA南すおう平生に10:00に集合してスタートします。平生町の干拓の歴史で忘れてはならない寺院の一つがあります。直指院です。今回、直指院で1年間のウォーキングの安全や健康を祈願をしていただきます。また地蔵浜の干拓に貢献した貫田喜左衛門に関わるお話を、ご住職からお話をしていただく予定になっています。幼児の頃、私は平生町で主に育ちました。祖母に連れられてよく直指院に行きました。映画や芝居を見た平生座など、懐かしい昔の平生町界隈を思い出しながら皆さんを案内しようと思います。

          田布施川沿いの人島荒砂神社で小休止


 最初に訪れる直指院、江戸時代は直指庵と呼ばれていました。庵とはお寺より格式が低く、尼さんが住んで地域のお世話をしていることがありました。例えば、お葬式などで寺のご住職の補佐をしていたようです。私が幼児の頃、直指院には尼さんがいました。祖母に連れられて直指院に行くと、尼さんに頭を撫でてもらいながら健康成就を祈祷してもらったことを覚えています。この直指院が干拓に関係していた事をだいぶ後になって知りました。

 平生湾をのんびり散策   干拓地のお地蔵様    三新化学近くを散策
  

 直指院に行きましたが、ご住職はおられませんでした。そのため、奥様に1月の干拓地ウォーキング時にお寄りすることを伝えておきました。後日ご住職からお電話があり、当日直指院を訪れることを了解いただきました。ありがとうございました。直指院を出ると、平生湾に向かって歩きました。そして、干拓地跡を次々に歩きました。新湊でしょうか、その突端にお地蔵様がありました。花が活けてありましたので、お世話する方がいるのでしょう。

 かつて八海に通じる道のお地蔵様      運河跡を平生町人島に向かう
 

 その後、あちこち道を迷うように干拓地跡や塩田跡地を歩きました。下見では灸川河口で昼食をとりましたが、1月の本番ウォーキング時には八海公会堂を使わせていただくことになりました。どんどん歩いて人島地区の荒砂神社で小休止しました。人島は古代においては島でした。干拓が進むにつれて島が削られ、今では島の面影はまったく残っていません。私が子供の頃、人島には島の残存と思われる岩が残っていました。人島を過ぎると、灸川沿いに歩いて竪ヶ浜に向かいました。

       平生町の干拓地跡や塩田跡を下見のため歩いたコース

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