東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

光市 五軒屋~田布施町 竹尾~麻里府の下見ウォーキング(3/4)

2017年12月24日 | 歴史探訪他ウォーキング

 麻里府上組を通る古道の脇の山道に入りましたが、すぐに道が無くなりました。数十年前は道があったのでしょうが、崩れたりして全く分かりません。初めてこの山の入った人は、ここに道があったとは思えないでしょう。道があったことが分かるのは、あちこちに潰れた廃屋があるためです。その廃屋の横の斜面を登るようにして歩きました。そして、暗い山に半ば放置された人丸社に向かいました。

    道が無い斜面をひたすら登る     やっと見つけた人丸社と裏にある祠
 

 何度か斜面を迷いながら登って行くと人丸社の建物が見えてきました。こんな山の中にお社があるとはとうてい思えません。私がこの人丸社を知ったのは、数年前に上組の古老にインタビューした時のことです。古老によると、自分は行ったことはないがおできに効くお社との言い伝えが残っているとのこと。古老の奥様は、そのインタビュー時に初めて人丸社のことを聞いたとのこと。それほどに古く廃されたお社だったのです。

           屋根がかろうじて残っている人丸社


 人丸社の周りには灌木が生え放題でした。そのため、足でまたぐようにしながらお社の周りを歩きました。人丸社の裏側には瓦でできた祠がありました。おそらく、人丸社がまだ敬われている時に、引っ越しした家族がお社を置いていったのではないかと思われます。この人丸社に限らず、お社の周りによく小さな祠があります。それは、往々にして引っ越しする時に残された祠なのです。

           人丸社を出ると、木が倒れた道跡や斜面を通過


 人丸社を出ると、麻里府上組集会所に向かって山の中をさ迷うように歩きました。何十年も放置された里です。竹が生え放題です。竹が生えすぎて森のように暗くなっています。また、道とおぼしき場所に竹が何重にも倒れていました。竹を避けるよう、枯れた竹を踏みつけながら、そして竹をまたぎながら斜面を降りていきました。竹の間を歩きながら、廃屋の跡を通りました。かつては多くの民家があったことが分かります。かつて横尾じょうと呼ばれていた場所ではないかと思われます。人丸社に行くには、このようにアドベンチャーでリスキーなウォーキングとなります。そのため、本番ウォーキングでは歩きません。

     竹の森をさ迷うように歩く        枯れた竹を踏みつつ下る
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする