東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷小学校 運動会 嵯峨音頭の手伝い

2016年09月25日 | ふるさと

 今年は、郷土館などの仕事が新たに入ったため、嵯峨音頭の手伝いがほとんどできませんでした。年に一度は手伝いをしなければと思い、24日久しぶりに麻郷小学校の運動会に行きました。快晴の運動会日和でした。なお、麻郷嵯峨音頭は、太鼓や踊りは嵯峨音頭と同じです。口説きを麻郷版にしたものが、麻郷嵯峨音頭です。
 仕事の関係で去年は運動会の予行演習しか行けませんでした。しかし、今年は運動会が延期となり、しかも仕事が無い日でしたので行くことができました。ラッキーでした。主に麻郷嵯峨音頭の手伝いをしました。


      延期で24日になった麻郷小学校運動会、今日は快晴の運動会日和


 ところで、私が子供の頃の運動会と比較してみました。まず、昔は地区ごとに場所が決まっておらず、早い者勝ちだったように思います。そして、テントはなく地面に筵かゴザを敷いていました。種目もずいぶん変わりました。昔は、小学生が競争や演技をし、麻郷幼稚園の子供達がお遊戯をしていました。しかし今、地域の方々の参加できる種目、例えば玉入れなどが増えました。そもそも昔は、地域対抗の運動会が小学校の運動会とは別に行われていました。

 会場の東側保護者席    主催の先生や来賓者席    会場の西側保護者席
  
 麻郷小学校に着いてしばらくすると、綱引きが始まりました。綱引きの次が麻郷嵯峨音頭です。私を含め関係者は太鼓などの準備をしました。運動場中央にすぐに持ち込めるように、太鼓をトラック傍に置きました。

  麻郷嵯峨音頭の準備   太鼓などの準備完了    太鼓を運動場中央に配置
  

 綱引きが終わると、すぐに太鼓を運動場中央に運びました。太鼓を置くシートが張られると、その上に太鼓を並べました。そして、合図の元、麻郷嵯峨音頭の開始です。最初、数節の太鼓を叩き、続いて口説きが始まり、その直後踊りが始まりました。

          数節太鼓を叩いてから、麻郷嵯峨音頭の開始


 平生湾周辺が荘園だった頃、京都嵯峨で流行っていた念仏踊りが当地に伝えられ、それが嵯峨音頭の由来とのこと。現代音楽のような音律ではないため、最初とっつきにくいです。太鼓の節も、踊りも独特です。また、伝えられてから数百年経ったため、踊りや太鼓に地域差があります。特に、田布施と平生などでは少し違います。例えば、平生町曽根の嵯峨音頭は田布施の嵯峨音頭と太鼓も踊りも少し違います。光市伊保木は踊りは同じでも叩き方が2種類あります。なお、麻郷以外は口説きが「那須の与一」か「海老やの甚句」です。昔は、口説きにもっと多くの種類がありました。

        小学生の間に地域の方々が混じり、麻郷嵯峨音頭を踊る


 由緒ある嵯峨音頭、柳井市伊保庄では絶えたらしく、平生町佐賀では録音による踊りになってしまいました。古来から伝承された嵯峨音頭、今のところ、光市伊保木、平生町、そして田布施で踊られています。今後も伝承され続けることを願っています。

  嵯峨音頭の片付け    太鼓を軽トラに乗せる   麻郷公民館に収める
  

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