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東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

罠(檻)にかかった猪(イノシシ)の戸殺処分を見学

2016年09月23日 | 生き物

 中学高校の同級生のI君の家に、展示会で披露する真空管アンプなどを借りに行きました。その時、I君が仕掛けた罠にイノシシがかかったとのことでした。これから戸殺処分するとのこと。テレビ放送で戸殺を見たことがありますが、実際に見たことはありません。同行させてもらい見学することにしました。処分する道具を一式揃えると、罠がある山に向いました。

 処分のための道具一式     罠の場所に向かう    途中Nさんと合流
  

 山に向かっている途中、Nさんと合流しました。Nさんは、中学高校同級生のお兄さんです。山道を進むと山のふもとにその檻がありました。檻の中には体重30kg位の中型のイノシシがいました。口が血だらけでした。檻から出ようと何度も鉄柵にぶち当たったのでしょう。

            山のふもとに置かれた檻、中にイノシシが


 戸殺処分の手順はだいたい知っていましたが、その道具を見て触るのは初めてです。最初、12Vから100Vに昇圧するインバータに電線が繋がる棒をイノシシの前に差し出しました。すると、イノシシは怒ってその棒の先端に噛みつきました。その瞬間に100Vの電圧を棒の先端に通じるのです。するとイノシシは感電してヒクヒクと硬直しました。しばらく感電させて静かになったころを見計らって、イノシシを槍で深く突いて戸殺しました。

 12V>100Vインバータ   棒の先端に嚙みつかせる    槍でイノシシを突く
  

 イノシシが死ぬのを確認すると、いったん檻の外に出して合掌しました。その後、I君は写真を撮りました。昔はイノシシの尾を切り落として提出すれば良かったのだそうですが、今は写真を撮って証拠にするそうです。※戸殺中の画像は、人によってはショックを受けると思われます。そのため、画像は載せませんでした。また一部にモザイクをかけました。

             絶命したイノシシを檻の外に出す


 ところで、イノシシは古代の日本人にとって貴重な食料の一つでした。埴輪に作られるほどです。東京多摩センター近くにある埋蔵物文化センターには、縄文時代の遺跡かたくさんあります。その遺跡の一つに、イノシシを狩猟するための道具が展示されています。現代、イノシシを捕まえるのは檻が主流です。しかし、1万年前の縄文時代は落とし穴が主流でした。山のあちこちの獣道に落とし穴が作られていたのです。その落とし穴の底に、上を向いた棒が何本も刺してありました。落とし穴に落ちたイノシシや鹿などの獣は、棒の上に引っかかって足を空中でバタバタさせます。そんな獣を、上から槍で突くのです。

                                           合掌し、証拠の写真を撮る


 その後、イノシシを解体する場所に運びました。私は借りた真空管を郷土館に運ばなければならないため、解体を見学する時間がありませんでした。そのため、I君達とは別れました。
 ところで、私が八王子市の団地に住んでいた頃、山で捕らえた山鳥(鶏位の大きさ)を解体したことがあります。その様子を、8歳位だった娘に見せたことがあります。娘はその事を覚えているでしょうか。最初は見るのを嫌がっていましたが、そのうち興味深そうに覗き込んでいました。もし覚えていたら、良かったのか悪かったのか、その感想を聞きたいものです。

       元来た山道をイノシシを運ぶ        このあと所に運ぶ
 

コメント
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