東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 城南 犬田の史跡巡りウォーキング(雨のためコース短縮) 1/2

2016年09月26日 | 歴史探訪他ウォーキング



 8月はウォーキングをしなかったため、2ヶ月ぶりのウォーキングでした。今回は、光市に接する田布施町城南の犬田地区の史跡を中心に歩きました。天気予報では午後遅くから天候が悪くなるはずでした。しかし、昼から雨が降り出しました。そのため、予定のコースを大幅に短縮しました。

犬田大師堂から八十八ヶ所   三十三ヵ所目の地蔵尊   旧一番の磨崖仏に向かう
  

 城南公民館に10時に集合して、参加者17名で出発しました。一路、城南犬田(いんだ)に向かいました。途中、お地蔵様を見たり、岩でできた御旅所などを見学した。40分位でしょうか、歩き続けると犬田大師堂に着きました。隣に犬田集会所があります。この犬田大師堂から、山の中を八十八ヵ所のお地蔵様巡りスタートです。ちなみに、犬田大師堂前に一番と二番のお地蔵様があります。

        江戸時代、旧一番ヵ所のお地蔵様だった磨崖仏を見学


 山の中をどんどん進むと、次々にお地蔵様が現れます。そして、江戸時代まで旧般若院が置かれていたのではないかと推測される、三十三ヶ所目のお地蔵様がある広場に着きました。この広場から旧往還道に降りて、磨崖仏が掘られた大岩に向かいました。

 岩に彫られた磨崖仏     八十八ヶ所後半を巡る   八十八ヶ所目の地蔵尊見学
  

 草が生い茂る旧往還道を行くと、大きな岩が見えてきました。この岩に磨崖仏が掘られているのです。その岩に「一番ヶ所 末岡友蔵義和」と彫られています。年号が無いのでいつ掘られたのかは分かりません。江戸時代、末岡家は庄屋をするなど豪商でした。江戸時代の記録にその名前があるかも知れません。調べてみようと思います。なお、宝塔も掘られていましたが、魂を抜いたのか文字が削られているように見えました。

              スタートした犬田大師堂に戻る


 明治初期の廃仏毀釈令で犬田地区は混乱にあったようです。今回ウォーキングした犬田八十八ヵ所のお地蔵様は、明治初期に移設された形跡があります。元々は旧般若院傍の磨崖仏を一番ヶ所とした八十八ヵ所を、明治初期に犬田大師堂が一番ヶ所になるように移設したようです。そのため、たくさんのお地蔵様が今の位置に移されたように見えます。お地蔵様の順番や間隔などに統一性がないことがそれを物語っています。また、旧般若院にあったお地蔵様が、犬田大師堂に移されたとの記録が残されています。

          犬田大師堂に戻り休憩、この頃から天候下り坂

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